ソルディアの大地に再び立つ。もう一度、あなたに会うために。
やるべきことは多くあるけれど、なによりシュトラウス王宮で過ごす私を支え、指針となってくれた目標だった。
それが果たされた瞬間、私はどんな顔で彼の前に立っているのだろう。
悪女と疎まれ、恐れられた私を前にして、あなたの瞳には一体どのような感情が浮かぶだろう。
会いたいと強く思うと同時に、その時を想像するとひどく怖くもあった。
「……慈愛を司る、
春の色に染まるドレスが風に揺れる。
緊張を隠すようにぎゅっと握りしめたロッドを斜めに倒し、柔らかなカーテシーをおこなう。
「シュトラウス王国より参りました、レティシャ・クレプスキュル・シュトラウスでございます」
馬車を降りる瞬間までは緊張に押しつぶされてしまいそうだった。
それでも、クラウド様の姿が視界に入り込んだ途端、自然と口元がほころんでいた。
(…………ああ)
瞳の奥がじわりと熱帯びていく。
ほんのり驚愕の表情に染めたクラウド様。
周囲は不自然なくらいに静まり返っており、すべての視線がこちらに注がれている。
感極まった勢いで涙が出そうになるが、さすがにそれはまずい。
私は一呼吸を置き、まばたきを挟みながらにっこり目を細めた。
「こんなにも多くの方々に出迎えていただけるとは思っておりませんでした。お気づかい感謝いたします」
「……皆、貴殿の到着を待ちわびていた。こうして無事合間見えたこと、春の精も祝福してくださることだろう」
静寂の中、いち早く動いたのはクラウド様だった。
「北ソルディア帝国、皇太子。クラウド・ローヴィルグ・ソルディアだ。歓迎する、レティシャ王女」
目の前に差し出された手。抑揚のない声で紡がれた言葉を耳にしながら、自分の手を重ねる。
「歓迎いただき、ありがとうございます。クラウド様」
瞬間、クラウド様は少しだけ目を見開いた。
(……あ、私ったら。公の場でほとんど初対面の皇太子殿下にいきなり"クラウド様"だなんて)
嫁いできたとはいえ、皇族相手の礼儀としてあまり褒められたものではない。
両国のあいだに上下関係が明確にあったり、親交が薄い場合、今の私の呼びかけは「相手を下に見ている」という解釈を与えてしまうのだ。
(だめだわ、いつまでも感動ばかりしていたら。もっと冷静にならないと。ああ、やっぱり……ハンス様の眉間に皺が寄ってしまっている)
こうした作法に詳しかったハンス様あたりは好い顔をしないだろうなと考えていた矢先、クラウド様の背後に控えていた彼の様子に内心ヒヤヒヤしてしまう。
(……クラウド様も、不快に思ってしまったかしら。私が悪女でなければ、印象も違ったのだろうけれど)
ようやく会えて嬉しい。
だが、すでに時戻り前とは対応が変わっている。
『俯いていては、貴方の顔が見えない。どうか私の目に、未来の妻となる人の姿をしっかり焼き付けさせてください』
一度目のとき、馬車から出た私があまりにも下を向いていたので、クラウド様がかけてくれた言葉だった。
クラウド様は少しばかり仰々しい台詞を私含め、その場の者たちに聞かせることで、己がシュトラウスの王女を好意的に受け入れ、歓迎しているのだと周りに知らしめたのだ。
クラウド様の対応があったからこそ、私は早く受け入れてもらえた。
でも、その言葉をクラウド様の口から聞かされることは二度とない。
……当たり前よね。
あの頃のように俯いていた私は、もういないのだから。
「――どいつもこいつも腑抜けた顔で王女殿下のお姿を目に収めるとは。ここがシュトラウスであったら考えられん醜態だ。皇太子殿下、いつまで我が国の王女をこの寒空の下に晒しているおつもりか」
花嫁行列の馬車の一台からひとりの男が降りてきて、声高々に言った。
「マキシム……!」
今回の輿入れ、花嫁行列、婚姻式の見届け人、私をソルディアに送り届ける役目などをドルウェグから任命された王宮魔導師のマキシム。
シュトラウス王国側の特命公使だが、どうして彼が選ばれたのか私には理解できなかった。
だって、この男は。
「レティシャ王女、仲介役が遅くなりまして申し訳ございません。それにしても先ほどのご対応には感服いたしました。まさかソルディアに配慮し、わざわざ春の精などという季語まで取り入れてご立派に式礼なさるとは」
嘲笑が含まれたマキシムの言葉を聞き、出迎えとしていたソルディアの貴族や皇城の臣下は眉をひそめた。
(本当に、どうしてドルウェグはこの人を公使に選んだのよ……!)
マキシムは、魔導師至上主義思想を強く支持し、ソルディア帝国は格下の国だと普段から強気に発言していた。
外交の責任者である公使を務めるには、絶対にふさわしいとは言えない人物なのだ。
頭痛の種はマキシムだけではない。花嫁行列に参加したシュトラウス王国側の者たちは、マキシムの発言に勝ち誇ったような態度を見せている。
この婚姻の主導権はあくまでもこちら側。我が国の王女はソルディア皇室に嫁いであげてやっているのだ。
(実際にシュトラウスでは言われていたことだけど……)
今まさに誰かが言い出しかねない雰囲気だった。
「さあ、レティシャ王女。ソルディアに礼儀などは不要です。いつものあなた様らしく、我が国の誇りと権威を堂々と胸にお据えください」
「黙りなさい、マキシム。おまえは私に恥をかかせる気?」
「……はひ?」
マキシムの間の抜けた声があたりに響く。
想像していなかった私の返答に、口をぱくぱくとさせている。
「公使ごときが私に礼儀の有無を語るだなんて何事かしら。せっかくのご挨拶が台無しになってしまったわ」
「えっ、あの、しかしレティシャ王女。なぜソルディアなんかに――」
納得がいかず声を荒らげるマキシム。
私はそんな彼の喉元に、ロッドの先端を軽く押し当てた。
「くどい。これ以上の御託を並べるというのなら、魔法式を展開させる前に、スティの牙がおまえの肌を突き破るわよ」
「ひ、ひぃ……!」
いつの間にか私のそばに寄り添うように立っていたスティが小さく唸り声をあげると、マキシムは腰を抜かしてしまう。
「ほかの皆も肝に銘じなさい。御国滞在中、最低限の礼を欠くような者たちに容赦はしないわ」
シュトラウス王宮で散々並べていた威圧的な発言の数々は、やっとの思いで来ることができたソルディアでも健在で。
(……ああ、クラウド様の顔も、ほかの人たちの顔も見れない)
まさか馬車を降りて数歩しか動いていないのに、こんなことになるとは思わなかった。
でも、このままでは婚姻式を迎える前に、シュトラウス王国側の目に余る態度で一悶着起こりそうな気がした。
だから釘を刺すつもりで、マキシムを強く叱責したのだけれど。
「く、黒い獣を従えている……」
「自国の公使の喉を」
「……ああ、やっぱりそうなんだ」
シュトラウスの悪女。
その名に偽りはなかったと、出迎えてくれたソルディアの人々の視線がそう語っていた。
――ソルディアの大地に再び立つ。もう一度、あなたに会うために。
それが果たされた瞬間、私はどんな顔で彼の前に立っているのだろう。
(今の私、とんでもなく悪い顔をしていたに違いないわ。それもクラウド様がこんなに近くにいるのに……!)
分かってる。ええ、分かってる。
もう腹は括っているのだ。
無理な話だけど、ただほんのちょっとだけ、クラウド様に悪女を装うときの私の顔を見られたくなかったと思ってしまっただけ。