「今、なんと言ったかしら」
冷たい笑顔を浮かべたまま、カッサンドラは小首をかしげる。
「シュトラウスは魔導師国家です。魔法を扱う者が優遇され、王女であるにもかかわらず魔法式を操れない私が疎まれてしまうのも、邪険にされる理由も理解しています」
それでも、と私はさらに続けた。
「私のことなどいないものとして扱えばいい。気に食わないと言うなら初めから目に映さなければいい。人が人を痛めつけ虐げていい道理など、誰にもないはずです」
人を傷つける行為。その最たる例が戦争だと知っている。
強制的に人権を奪い、尊厳を踏みにじり、絶望しかない世界がどんなものなのかは、もう分かっている。
「――無駄吠えは終わり?」
こつん、とカッサンドラのヒールの音がやけに響いて聞こえた。……次の瞬間、私の手足には黒い蔦のような影が巻き付く。
それがカッサンドラの特殊属性『闇』から生まれた影だと理解するのに時間はかからなかった。
「おかしいわねぇ。ついこのあいだまでは、おまえも自分の与えられた役割に納得して、嬉しそうに駆けずり回っていたはずよ。なにが原因で、考えを変えたのかしら」
カッサンドラは自身のロッドを小さく振り、さらに影の拘束を強める。このまま手足が千切られるのではと思うほどの痛みに涙が滲んだ。
「もしかして、ソルディアの皇太子?」
「……っ」
どきりと鼓動が跳ね上がる。
私のわずかな挙動を、カッサンドラは見逃さなかった。
「湖で溺れていたところを助けられたと報告は受けていたわ。魔法の恩恵を受けられない国の人間の言葉になにか感化でもされたの? だからそこまで必死に吠えているの?」
「ち、違っ……」
「ふふ、顔色が変わっていてよ。一体なにを吹き込まれたのかしら。こうしてわたくしに楯を突く姿など見たことがなかったから、おまえを奮起させる起因となった人間には興味があるわ」
「やだわ、お姉様。確かにあの美貌は褒められたものだけど、所詮はソルディアの人間よ〜? 魔法は扱えないし、百歩譲っても王族相手の男娼くらいにしかならないと話していたじゃない」
「おやめなさい、フランソワ。幼い子がいる前でその話は」
「あ、ごめんなさ〜い」
カッサンドラは会話に入ってきたフランソワを窘めた。
嘘、どうしてクラウド様の話に。それに隣国の皇太子に対して男娼だなんだって、どこまで非魔導師を馬鹿にしているの……!
「なに、その目。もしかして、助けられてその皇太子のこと好きになっちゃったの?」
カッサンドラの影に縛られ動けずにいる私を、エリザベートが腰を落として覗き込んでくる。
「……っ」
悔しい。どんなに言葉で反論したところで、私は彼女たちにとって無能な弱い人間。
大切な人が侮辱されているのに、影で押さえ込まれてろくに動けない。
……そしてなにもできず、立ち止まったまま、いつかまたソルディア帝国に降りかかる悲劇を黙って見過ごすの?
(もうそんなこと、絶対に嫌!)
だったら、どうすればいい。
今のままじゃ私は彼女たちに立ち向かえない。
この敵ばかりの王宮で、いつまでも弱いままではいられない。
弱いままじゃ、誰かを守れない、未来を変えることも、なにもできない。
悪意がうごめく王宮を渡り歩いていくためには、ただ綺麗事を述べるだけでは太刀打ちできない。
私は、私を偽ってでも、強く立ち向かわなければいけなんだ。
「ふふ……ふふふっ。私が、ソルディアの皇太子を好き? なにをふざけたことを言っているの、"エリザベート"」
「……は?」
目の前のエリザベートが顔を歪め、信じられない面持ちで私を凝視した。
その背後に佇むカッサンドラはぴくりと片眉を動かし、フランソワはギョッとして瞬きを落としている。
ほかの王女らも同じように、私から出た発言に驚き、嘲笑をやめて息を呑んだ。
「今、あたしのことを呼び捨てた? 無能の分際で、無能が、無能のくせに、このあたしを……っ!」
「無能、無能って、馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかり。こっちもいい加減飽き飽きしているの。もう無能ではないと分かってもらえれば満足する?」
一瞬、手足を拘束する影の力が弱まった。
魔法の発動、継続時間は精神状態も大きく影響される。
さすがのカッサンドラも表に出していないだけで多少の動揺があったのだろう。
私はその隙をつき、なんとか起き上がって終始訳が分からない様子でいたシャーロットに近づいた。
「少しあなたのロッドを貸してくれる?」
シャーロットはぽかんとしながらも頷き、私にロッドを手渡した。
「無能、なにをするつもり?」
カッサンドラは訝しげな表情を向ける。私は借りたロッドを握り込み、いまだ手足に巻き付いて離れない影に目を落とす。
「もう私は、無能ではないわ。――光魔法式、展開」
闇と相対するまばゆい閃光は、手足の自由を奪っていた影を跡形もなく打ち消した。