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第10話 シュトラウスの王女たち



 プルノツ森林の大型魔獣の暴走スタンピードを阻止し、なんとか王宮に戻ってきたのは日がすっかり落ちた時間帯だった。


 最後の力を振り絞り、塔の階段を登る。

 数時間で体内の魔素をほとんど使い切ってしまったからか、疲労が凄まじい。


 頭はふわふわと馬車酔いを起こしているように感じるし、足元もおぼつかない。部屋の扉の前にやってくるまで何度も転んでしまった。


 でも、この拭えない倦怠感が、ここは現実なのだと教えてくれている。



「――あら、無能の愚妹。一体どこを出歩いていたのかしら」


 扉を開け、暗闇の中にぽつりと佇む姿を見つけた瞬間、冷や汗が背筋を伝った。

 その人は、私の帰りを待ち望んでいたと言いたげな笑みを浮かべている。


「……カッサンドラ、様」


 そう、ここは……良くも悪くも、現実だった。



 ***



『申し訳ございません、申し訳ございません……!』

『あら、なにを謝る必要があるの。無能な愚妹でも役に立てることがあるのだと、教えてあげたばかりだというのに』


 第一王女カッサンドラ。二つ歳の離れた異母姉である彼女は、私にとって畏怖そのものだった。


『どうかお許しください、カッサンドラ様っ……』

『ええ、許してあげるわ。おまえが無能なままこの王宮でのうのうと暮らしていることを、許してあげると言っているの。そのための、最適な奉仕でしょう?』


 カッサンドラは、無能な亡霊王女である私を同じ人間だと思っていなかった。

 だからこそ、下にいる小さな妹王女たちの魔法を上達させるための『動く的』として、私を使っていた。


『無能なおまえは、地を這いずって逃げ回るのが似合いよ』



 ***



 ドサッ、という音と、強い衝撃を感じて目が覚める。


「うっ……!」


 うめき声を口からこぼしながら、私はハッとした。


「いつまで寝ているのかしら、この無能。わたくしはおまえにゆっくり休息を取らせるために牢に入れたのではなくてよ」

「……カ、カッサンドラ……さま」


 冷たい床に両手を付き、気だるい体を起こしてなんとか声を出した。私は自分の状況について考える。


(私はあのあと、捕まったんだわ)


 旧管理塔の部屋を開けると、中には眠らせたエラの姿はなく、姉王女カッサンドラが待ち構えていた。

 そして、背後からの気配を感じた瞬間、首のあたりに痛みが走ってそのまま私は気を失った。


(それで、一度どこかの牢に入れられて……)


 弁明の余地もなく、何度も背中を鞭打ちされたところまでは覚えている。でも、魔法を使ったことによる疲労とあまりの痛みで気絶してしまったんだ。


「立ちなさいよ無能。カッサンドラお姉様の前で、なにを呑気に考え事をしているの」


 パシンッ、と乾いた音が響き、床についた手に激痛が走った。

 手を押さえながら顔をあげると、私を見下ろす視線とかち合う。そこには、鞭を手に持った第二王女エリザベートの姿があった。

 そして私は、この見覚えのある作りの場所が王子と王女の共有宮殿であり、その談話室のひとつに連れてこられたのだとようやく理解した。


「ねえお姉様、本当にこの無能が使用人のロッドを奪ったの〜? だとしたら無意味すぎて笑える〜」


 第一王女カッサンドラ、第二王女エリザベート。ふたりに向かってそう言ったのは、第四王女のフランソワ。異母姉妹の中でも同い年の彼女は、無能なのに生まれた順というだけで第三王女の肩書きをもつ私に強い敵意を抱いていた。


「無能のくせにね」

「本当なら大罪だわ」

「むのー?」


 第五王女、第六王女、第七王女……ここには総勢十二人の王女がいる。

 まだ舌足らずの最年少の王女シャーロットは状況を理解しておらず、床に這いつくばっている私をただ不思議そうに見つめていた。


「それはこれから本人にじっくり聞くつもりよ。ねえ、カッサンドラお姉様?」


 エリザベートに話を振られ、悠然と微笑むカッサンドラは一歩前に出た。

 そして、顔に笑みを張り付けたまま、私の足首をぎゅうと強く踏みつける。


「少し違うわ、エリザベート。この無能が使用人を無理やり気絶させ、ロッドを奪取したことはわざわざ聞くまでもなくすべて事実。ここに連れてきたのは、その仕置きをするためよ」


 優しそうに笑っていながらも、私を映すその瞳はひどく冷ややかで。

 仕置きという言葉に、体の芯がじわじわと凍っていく感覚に襲われた。


 残酷な記憶が、ひとつ、またひとつと蘇ってくる。

 忘れていたわけじゃない。

 でも、ソルディアに嫁いでからの日々があまりにも優しくて、温かくて、もう忘れてしまいたいとはどこかで思っていた。


 ここは、私の記憶に新しい世界から、約十年前のシュトラウス王国。この王宮で私には一切の人権がない。

 ほかの王女たちがなにをしても許される。だからこそカッサンドラは見せしめとして、よく私に『奉仕』と称して仕置きをおこなっていた。


「さあ、シャーロット。こちらにいらっしゃい」

「? はあい」


 呼ばれたシャーロットが、小さな足取りでカッサンドラのそばにやって来る。手には自分専用と思わしきロッドが握られている。


「聞いたわよ、シャーロット。つい先日、二つ目の魔法式を展開できるようになったのでしょう? もう何度か発動にも成功していると報告を受けていたから、より実践に近い練習をさせてはどうかと考えていたの」


 カッサンドラはシャーロットの肩に優しく手を置き、それから私を一瞥した。


「わたくしの言いたいこと、いくら無能でも理解できるわよね」

「…………」


 談話室は中庭と併設して作られており、目と鼻の先に手入れが行き届いた庭園を眺めることができる。

 いつも私は、この広い庭園を走り回り、小さな王女たちの魔法練習の的にされていた。



(……いや、いやいや。改めて思うけど本当にとんでもないわ、この人!)


 カッサンドラから視線を固定させたまま、私は内心大きく声をあげた。


 身に受けてきた数々の恐怖が消えたわけではない。

 彼女の残虐性はこうして時が戻ったとしても変わらないのだろう。

 でも、ただ恐ろしくて逃げ惑うことしかできなかったあの頃よりも、私は頭で冷静に物事を見られている。


 それは私が十年後の、大人を経験した影響なのかもしれない。

 王女たちの先頭に立ち、どんなに私を虐げようとも、こうして目の前にいるカッサンドラは、十六歳の子ども。


 そう、まだこの人は、成人にも満たない少女だ。



「……なぜ私は、ここまでの仕打ちを受けなければならないのでしょうか」


 ぎゅっと拳を作り、私は意を決して唇を動かす。

 瞬間、談話室の空気が一変した。



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