ナタリーにさよならと告げた日から、早くも一週間が経とうとしていた。そのあいだに私の生活環境は驚くほど変化した。
一番はやっぱり住む場所だ。これまでは本邸から離れた位置にある別邸の一つで暮らしていた。けれどお父様との仲が改善されたことにより、本邸居住棟の部屋で生活できるようになったのである。
それに伴い、専属従者とはべつに部屋付き侍女がつくことになった。仕事内容は世話係であったナタリーとほとんど変わらないけれど、年齢は15歳でかなり若い。
名前はカレンといって、元はナタリーの下で働いていた人である。
シルヴァンが言っていた通り、ナタリーはあれからすぐに解雇された。
同じようにナタリーのおこないを知っていながら見て見ぬふりをしていた別邸のメイドたちも一斉解雇となったが、最低限の退職金は与えたそうである。
本当ならカレンも解雇されるはずだったのだけれど、お父様に頼み込んで侍女に取り立ててもらった。
その理由は、一度目の私情が大きく関係している。
「ククルーシャお嬢様、ご起床のお時間です」
朝、カレンは決まった時間に起こしに来てくれる。もそもそと鈍い動きをしながら布団から顔を出すと、ちょうどベッド横のカーテンを開けたカレンの姿が目に入る。
「……おはよう、カレン」
「おはようございます」
寝ぼけ眼で挨拶をすれば、カレンはこちらを振り返り口端を小さく上げて笑った。肩上で切り揃えられた栗色の髪が動きに合わせて軽やかに揺れている。
いつもカレンが持ってきてくれた湯入りの盥で顔を洗ったあたりから、徐々に意識が冴えてくる。
身支度を済ませ、化粧台の椅子に座って髪を梳かされる。瞳の色を隠していた前髪は少し前にシルヴァンに整えてもらった。
「ねえ、カレン。ここでの仕事には慣れた?」
可愛らしいリボンを結ってくれているカレンを鏡越しに見つめながら尋ねてみる。
カレンは一瞬だけ指先をぴくりとさせ、それから再び手を動かした。
「ええ、まだそれほどお役には立てていませんが。皆さん親切にしてくださいますので、本当に感謝しています」
「そう、よかった」
ほっと安堵しながら笑いかけると、カレンはゆっくり手を下ろした。
「あの、お嬢様は……なぜわたしを、侍女に召し抱えてくださったのでしょうか。別邸に勤めていた頃、わたしはお嬢様に酷い言葉を浴びせるナタリーさんを止めもせず、見て見ぬふりをしていたのに」
別邸のメイドたちが一斉解雇されたにもかかわらず、カレンだけが私の侍女としてヴェルセルグ家に残ることを許された。
カレンは別邸で暮らしていたとき、特別私に親切にしてくれたというわけではなかった。むしろ周囲と波風立てずに息をひっそり潜めて、与えられた仕事を全うしていた。
「それは」
私は椅子に座ったまま振り返る。罪悪感に揺れるカレンの瞳をじっと見つめた。
「ナタリーのことを見て見ぬふりをしていても、カレンだけはちゃんと自分のお仕事をしてくれていたから。だから誰かを侍女にするなら、知らない人よりカレンがいいなって思ったの」
「え……?」
カレンは目を見開いて何度も瞬きをする。
別邸にいた頃、世話係はナタリーだったが、実際に手を動かしていたのはその下についていたメイドたちである。
着替えの手伝いどころか、用意した衣服を投げつけてくるのは当たり前。髪も乱暴に梳かされるので毎回頭皮が痛くて仕方がなかった。
そんな中で、カレンのときだけはいつも"普通"だった。
ナタリーの目があるので会話は一切なかったけれど、季節やその日の気温に合った服を用意してくれて、髪も強く引っ張ったりせずに加減を考えてくれていた。
鏡越しに見ていたカレンの表情が、毎回どこか申し訳なさそうにしているのが印象的だった。
あ、一度目の頃はメイドたちの様子を気にしている余裕がなかったので、今になって思い返してみたら、の話だけれど。
そして、カレンには話せないが、私が何よりも彼女に感謝しているのは――。
『申し訳ございません、ククルーシャ様。じつは今までずっとナタリーさんに止められていたのです。当主様は……前当主様は、いつもあなた様の身を案じておりました。いつも気にかけておりました。こちらにあるものは、ククルーシャ様が受け取るはずだった手紙です』
『どうか、どうか……こちらをお受け取りください。前当主様がククルーシャ様に宛てた手紙です』
一度目のとき、お父様の手紙と遺品を手渡してくれたのが、カレンだった。
毎年、私に届くはずだったお父様の手紙と贈り物は、ナタリーによって処分されていた。
そして手紙の処理を言いつけられていたのがカレンである。彼女が良心を痛めてお父様の手紙を秘密裏に保管していなければ、一度目の私はお父様の想いを受け取ることすら叶わなかっただろう。
(カレンがナタリーに従うしかなかった
どちらにせよ今のカレンに伝えたところで意味がわからないだろうし、それ以上のことを話すつもりはなかった。