騒々しかった玄関ホールが、しん、と静寂に包まれる。
この奇妙な空気の原因は、私の発言によるものなんだろう。でも、そこまで驚かせることを言ったかなと、内心焦りながら自分の言葉を密かに振り返った。
(保身って言ったのがまずかった? 6歳児にはまだ早かったとか)
確かに子供が言うには少々難しい言葉ではあるし、私が大人でも驚きはするかもしれないけど。
こちらを向いて口をパクパクと動かしているナタリーの反応は、あきらかにそれだけではない気がした。
「ねえ、今のって」
「え、ええ。一瞬だったけどあれって――"魔眼"じゃなかった? それもなんだか先代様や当主様を彷彿とさせるような……」
「いや、だがお嬢様はまだ6歳だぞ」
「しかし実際に体が動かなくなったじゃないか」
離れた位置からこちらの様子を窺っていたメイドと衛兵たちが口々に言い合っていた。
囁き声も重なれば大きく広がっていく。
それは私がいる場所まではっきりと聞こえていた。
「お、お嬢様……いつの間にそのようなお力に目覚めていらしたのですか。それも、わたくしに隠して」
ナタリーは顔を真っ赤にして拳を震わせていた。
私はというと、訳がわからず首を傾げるほかなかった。
さっきメイドの一人が魔眼って言っていたけど、それって魔神ゾフとの契約で与えられた能力のひとつだよね?
魔眼といっても色々と特性はあるが、ヴェルセルグの血筋の者が強い睨みをきかせた『威圧』によって相手の動きを封じたり萎縮させたりと、普通の人にはない力を操るというのは有名な話だ。
アカデミーにいた頃は、私もよく従兄弟たちにやられていた。
養女としてヴェルセルグを名乗ってはいたけれど、はみだしものと区別されて認められることはなかったし、私には『威圧』が使えなかった。
だから抵抗できないのをいいことに虐められていたのだ。嫌な記憶である。
「えっと、隠していたというか、私も知らなかったというか」
そもそも本当に『威圧』だったのかすら謎だし。無意識すぎてよくわからなかったし。
「っ、嘘おっしゃい! ああ! だから昨日、旦那様に言いよったのですね! これまで散々わたくしの世話を受けておきながら、なんて恩知らずな――」
私の返答が癪に障ったのか、ナタリーは怒りに身を震わせ片手を振り上げた。
そのまま勢いをつけて下ろされる腕の動きが、なんだかゆっくりとして見えて――叩かれる、と反射的に身を固くしたときだった。
「それなりに歳を食っているクセして、さっきから支離滅裂ですね」
体格差があるにもかかわらず、一歩前に出たシルヴァンは軽々とナタリーの手を弾いた。
「な、なによ、子供が口出ししないでちょうだい!」
「尊い血と言っておきながら、それを示す色はこんなにも陰っているのに気づいていないわけがない。髪を伸ばして目元を覆うことで瞳の色を故意に隠している」
そう言ったシルヴァンは横目にこちらを見ると、さらに続けた。
「そもそも6歳にしては体も小さすぎる。十分な食事をとっていなかったのか胃も異常なほどに弱っているんですよ。食事前に苦い薬湯を飲ませないといけないくらいに」
「え」
待ってシルヴァン、それってさっき私に淹れてくれたハーブティーのこと言ってる? あれ薬だったの? というか苦いの?
「あなたの怠慢はすでに当主様もお気づきです。これまではお嬢様のお心を尊重し、世話係のあなたにすべてを任せていたようですが。解雇されるのも時間の問題でしょう」
淡々とした口調で告げたシルヴァンは、言い終えるとにっこり笑みを浮かべた。
年相応の子供らしい笑顔のはずなのに、なんだか黒い。黒い笑顔って感じだ。
「こ、この……!」
ナタリーからしてみれば受け入れ難い状況に違いない。リリアーナ夫人の侍女を務めた実績を買われて私の世話係になったけれど、そもそもナタリーはヴェルセルグ家に忠誠を誓っているというわけでもなかった。
先ほどのシルヴァンの発言を思い返してみても、むしろナタリーはヴェルセルグ家の人間に恐怖を感じていた節もあったように思う。だからこそ私の髪はいつもぼさぼさで、目元も長くした前髪で隠されていたのだ。
(元々ナタリーは、リリアーナ夫人の実家にいた使用人で、リリアーナ夫人がヴェルセルグに嫁ぐときに侍女として来たらしいから……)
本来ならリリアーナ夫人と、生まれてくる子供に仕えるはずだった人生が、私のような子供の世話係になってしまった。
本当に不本意だったのだろう。
そんなナタリーばかりを悪者のようにしてしまうのは、自己中で心無い行いなのかもしれない。
でも、やっぱり今はまだ許せないと思ってしまう。
だからせめて。
「ナタリー。これまで私の世話係をしてくれてありがとう。私ね、結局はあなたに甘えていたんだと思う。あなたの後ろに隠れていればパパと会わないでいられたから。それは私が弱かったから、逃げることしかできなかったから。でも、もう逃げたくないの、自分にも、誰かにもガッカリされたくないの」
「な、にを言って……」
「だから、さようなら」
どんなに酷遇されていたとしても、ヴェルセルグに来てからこれまで、ナタリーが幼い私のお世話をしてくれた事実は変わらない。
心からの感謝とは違うけれど、その恩だけは伝えておくべきだと思った。