「今の声って」
「君の
「ナタリーが……?」
シルヴァンは何事もなかったかのようにテーブルの上に置かれたティーポットを手に取った。
「気にしなくていいよ。そのうち追い出されるだろうから。はい、これハーブティー」
「いやいや」
朝食前に胃の調子を整える効果があるという温かい飲み物を差し出される。しかし正直それどころではない。
「お嬢様、いるんでしょうククルーシャお嬢様!」
「ちょっと、困ります! いい加減に――」
「隠れてないで出てきなさいよ!」
6歳の誕生日に時が戻って一日が経過し、私はお父様が取り急ぎ用意してくれた本邸の居住棟にいた。
敷地内に多くの建物が点在するヴェルセルグ家だが、この本邸も枝分かれのように専用棟があり、屋敷というよりもはやお城である。
居住棟もいくつかあって、ここは今までお父様専用の場所だったが、私はその一室を使わせてもらっていた。
「……シルヴァン。ちょっとだけ会いに行ってもいいかな」
きっとナタリーがここまでやって来ることはないだろう。けれどほかの使用人に迷惑をかけている以上、このまま見過ごすわけにはいかなかった。
部屋を出て玄関ホールまで降りると、いまだに口論を続けるナタリーがいた。
「……お嬢様!」
私の姿を見つけると、ナタリーは止めに入っていた使用人たちを押しのけて走り寄ってくる。
隣にいたシルヴァンが前に出ようとしていたけれど、腕にそっと触れて止めた。……そんなに驚いた顔をしなくても。ちょっと話すだけだから。
「ああ、お嬢様! ようやく会えた! ずっと心配していたんですよ、昨日は一体どうしたというんです」
「……ナタリー」
ナタリーは体勢を低くすると、私の肩を強く掴んだ。
「お嬢様、どうか本当のこと旦那様にお話ください。わたくしがお嬢様を軽んじたことなど一度もないと。わたくしはリリアーナ様がご存命であった頃からずっとヴェルセルグに仕えてきたのです。ゆえにご教育の際は厳しく叱らせていただいたこともありましたが、それもすべて尊い血を持って生まれたお嬢様のためでした!」
元々リリアーナ夫人の侍女であったということで、お父様はナタリーに深い信頼を寄せていた。
しかし昨日、主張の食い違いを目のあたりにしたお父様は、すぐさま私とナタリーを切り離した。
「わたくしの言うこと、おわかりですよねお嬢様」
その言葉を耳にすると体が酷く硬直する。何度も聞き続けた台詞がまるで呪いのようだと思った。
きっとそれは一度目の頃から聞かされていたために染みついてしまったものなのだろう。
『あなたは恨まれているんです』
『望まれないヴェルセルグの血筋ほど厄介な存在はありません』
『ですからお嬢様は周囲に人一倍気を使わなければなりません。目立たつ、ほかの方に迷惑をかけず、隠れるように。これはあなたのためでもあるんです』
『そうしなければ、あなたはこのヴェルセルグで生きてはいけないでしょう』
『わたくしの言うこと、おわかりですよね』
とても引っ込み思案で、ヴェルセルグと聞くだけで恐ろしかったあの頃。ナタリーの言葉をすべて受け入れて、そうすることが最善なのだと、信じていた。
そしてナタリーも、意見を主張せず言いなりになっていた私を扱いやすく思っていたのだろう。
(もう、あなたの知っている私ではないの、ナタリー)
いびつに歪んだナタリーの口元。焦りと虚勢で中途半端に緩んだ表情に、さっと頭が冷静になっていく。
「間違いは誰にでもありますから、わたくしは気にしませんよ」
「……」
「……っ、だからっ、早く自分の勘違いだったとお言いなさい!!」
ぎゅっと拳を握りしめる。大丈夫、私はもう言いなりになっていた私とは違う。
心を奮い立たせ、体の内側から血が沸き立つのを感じながら、ナタリーを見据えた。
「ばかにしないで。あなたが心配していたのは、私じゃない。すべて保身のためでしょ」
瞬間、漂う空気が冷たくなったような気がした。
私を横目に見るシルヴァンや、ナタリーを止めるべく動いていた使用人が、目を見開いてこちらを凝視している。
いつの間にか駆けつけてきた衛兵も、私に視線を向けたままその場で立ち止まっている。
6歳の発言とは思えない言葉に驚かせてしまったのかもしれない。
「……ひぃっ!」
でも、目の前にいるナタリーからはそれ以上の驚愕と、なぜか恐怖の感情が顔から滲み出ていた。