シルヴァン・ロディ、9歳。
年齢にそぐわない物腰に余裕綽々とした性格が第一印象にあった少年は、どうやらお父様が決めていた私の専属従者だったらしい。
帝国以上に歴史深いヴェルセルグ魔公爵家には、多くの掟や風習、決まりごとがある。
その中でもヴェルセルグの子供に対する教育方針や待遇はかなり細かく決められており、専属従者もそのひとつだった。
ヴェルセルグにおける専属従者は、当主直轄の特別諜報暗部隊『影』から選ばれるのが通例だ。
『影』は名の通り諜報を含める暗部活動といった任務を遂行する隊であり、ヴェルセルグにとってなくてはならない手足とも言える。
そして構成員の中には幼少時から『影』に属し、多くの知識と経験を積みながら、主となる人に早くから仕える者がいた。
主とは、すなわちヴェルセルグの子供たちのこと。
早くしてヴェルセルグの人間に仕えることは、いわゆるエリートコースであり、たとえ子供でも実力は相当なんだとか。
(そのエリート影さんが、救国の英雄シルヴァン……ということね)
いや、どうして?
そんな人がなぜヴェルセルグにいるんだろう。
もしかして一度目も本当ならシルヴァンが私の専属従者になっていたということ?
自分の殻にこもるあまり最低限の関わり(ナタリー)しか持っていなかったけど、元からお父様は決めていたのだろうか。
「う〜ん、わっかんないなぁ……」
「なにがですか」
「わっ、シルヴァン」
考え事に夢中になっていた私は、いつの間にか背後にいたシルヴァンの気配にまったく気づいていなかった。
また、後頭部にあるひんやりとした冷たい感触にため息を落とす。
「氷嚢くらい自分で持てるから大丈夫だよ」
「これも従者の仕事ですから」
「従者に甘えてばかりの主人は嫌だもの」
シルヴァンの手にある氷嚢をさっと取れば、彼はぱちぱちと瞳をまたたかせた。
「なんだ、認めてくれていたんですか。俺があなたの従者になることを。昨日はあまり乗り気ではなかったのに」
「まだあんまり気持ちが追いついていないだけ……って、その話口調はいつまで続くの?」
「あなたは主で、俺は従者ですから。これが通常です」
よく言うわ。図書室で会ったときから私が誰かを知っていてあの態度だったくせに。
「やめて、なんだか落ち着かないの。あなたにそんなふうに接されるのは」
わかりやすく作った上辺だけの繕いも慣れないし、私の中でシルヴァンは一度目の印象が強く残ってしまっている。
お父様が決めた主従関係とはいえ、英雄(今は違うけれど)に畏まられるのは居心地が悪い。
「お願い、シルヴァン」
「……はいはい、わかったよ。じゃあしっかり氷嚢は当てていてくれよ。君の頭、まだかなり腫れてるから」
「ありがとう、わかった」
私は言われた通りしっかりと氷嚢を後頭部に当てた。これは昨日、図書室で本の角が頭を直撃したときにできた負傷である。
お父様も目を丸くするぐらい巨大たんこぶが出来上がっており、たぶんこの怪我が原因で昨日は意識を失ったのだろう。
「ねえ、シルヴァンはいつから『影』にいたの? まだ9歳なのに、パパから従者に選ばれるなんて凄いね」
「……『影』について、思ったより詳しく知っているんだね。昨日は軽くだけ当主様が説明していた感じだったけど」
鋭い指摘にギクッとする。
確かにお父様が教えてくれたのは、ヴェルセルグには『影』という特別な部隊があって、そこから一人を私の従者に選んだという表面的な説明だけだった。
なので『影』がどういうものなのか自体は、まだ詳しく聞かされていない。
「ちょ、ちょっとだけ知っていたのっ。それで、いつから?」
「正式に所属したのは、今の君と同じ6歳の頃だったかな」
「そ、そんなに子供から……」
「子供の君に子供って言われるのもなんか変だな。まあ、ほかの『影』がヴェルセルグの子供の従者として選ばれるのは早くても10歳以上からだったらしいし、そういう意味では俺が最年少で、一番幼いかもね」
本当に9歳かと突っ込みたくなるくらいシルヴァンの受け答えはしっかりしている。『影』の子供は皆そうなのだろうか。
「…………」
「ほかにも何か聞きたそうだけど。ここは特技とか話すべきかな」
「特技、あるの?」
聞きたいことは山ほどあるけど、一度目に引きずられた内容だから言いにくい。
「んー、大抵のことは一度見聞きしただけでそれなりに覚えられる、とかは特技に入る?」
「覚えられるって、なんでも? それって勉強とか、一度読んだ本は覚えているってこと?」
「うん」
……なにそれ、すごい。羨ましい。
素直な気持ちが顔に出ていたのか、シルヴァンは私を見てくすっと笑う。一度目で会った大人シルヴァンは険しい表情ばかり浮かべていたが、今は随分と柔らかい顔をしている。
(一度目は、三獣を暴走させる原因になった危険人物が相手だったから、気を許せるはずがないよね。今も気を許しているとは限らないけど……あ、そういえば)
一人だけいた気がする。一度目のシルヴァンの態度を柔らかくしていたというか、ある人を前にしてだけ優しい雰囲気になっていたときが。
なんだっけ。一度目の記憶も曖昧な部分で覆われているところが多々あるのが厄介だ。
順序もバラバラというか、まだ私が思い出せていない記憶もたくさんある。
(ええと、シルヴァンのほかにももう一人いたはずなのよね。救世主みたいな人が。教団の地下牢で拘束されていた私を見つけてすごく心配してくれたような。教団……教団……あ、聖――)
もう少しでなにか思い出せそうというところで、部屋の外から言い争う声が聞こえてきた。
「……お嬢様、お嬢様! いるんでしょう!? ククルーシャお嬢様! わたくしです、あなたの侍女ナタリーです!!」
私に向けられた半狂乱の叫びに、頭に浮かびかけていた言葉は簡単に打ち消されてしまった。