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第9話 パパ



「ククルーシャ、突然なにを言い出すんだ……?」


 私の両肩にそっと手を置いたお父様は、どうしてそうなったと無言の圧をこちらに向けている。


 あっ、まずい。感極まって口が滑ってしまった。

 これまでヴェルセルグ家自体を怖がっていた子供が急に「必要悪になる!」と言い出すのだから、お父様からしたら理由わけがわからないだろう。


「それにお前はアレを見てしまったと聞いている。子供に見せていいものではなかったというのに。恐れて当然だ、無理をしないでくれ」


 あまりにも申し訳なさそうにするお父様を見て、なんだか胸が痛くなってくる。

 お父様の言っているとは、おそらく一年くらい前の、私が5歳の頃にあった出来事のことだ。


 ――当時、すっかり別邸に閉じこもる生活に慣れていた私は、深夜に聞こえた物音で目を覚ました。

 何事かと気になって、バルコニーから外の様子を確認すると、中庭で黒衣を纏う数人に拘束される男の姿を見つけたのだ。


『は、離せぇ!』

『……あっ、おい!』


 捕まっていた男は明らかに雰囲気が危なかった。

 数人の制止を振り切ったと思ったら、なんと私のいるバルコニーのほうまで逃げてきたのだ。

 しかし男は手すりを越えようとしたところで動きをぴたりと止め、傷だらけの体はそのまま中庭へと落下した。


 そのときの私はすっかり意識も冴えていて、瞬時にこう思った。


 ころされた。


 見覚えのない不審者が、見覚えのない怪しい格好をした人々に追われ、挙句殺された光景を目の当たりにした私はその場で気を失ってしまった。

 まあ、実際には殺されていなかったわけだけれど。目覚めたあとにナタリーから詳細を聞いて、やっぱりこの家は恐ろしいところなんだという認識が深く刻まれてしまい、結果お父様も避けていたのである。


(奇妙な格好をした人たちって、ヴェルセルグの特別諜報暗部隊の『影』だったのよね。あのときはたまたまターゲットを逃がしてしまって、間が悪く私に目撃されたけど)


 時が戻る前の私はヴェルセルグに関わるものすべてから遠ざかりたくて、家門について何も知ろうとしなかった。

 けれどお父様と祖父の葬儀後、追い出された私は今さらと後悔をしながらも改めてヴェルセルグのことを調べたのだ。


 そして少しずつヴェルセルグの役割を理解していった。大陸が四つの国に分かれて以来、必要悪として君臨し続けることで、国境沿いで小さな諍いは起こっても、大きな戦争にまでは発展していなかったこと。

 年数にすると五百年だ。驚くべき年月だが、それはまぎれもなく"悪家ヴェルセルグ"が侵略の抑止力になっていたから続いていた安寧だった。


(もちろん綺麗事ばかりの家門じゃないことはわかっているけど。それでも私は、知れば知るほどもしも時間が戻るならヴェルセルグ家の一員になりたいと願っていたわ)


 あんな悲惨な未来が起こってしまうくらいなら、自分の手を汚す覚悟はある。


 ……人を殺めたりとかはちょっと無理があるけど。それ以外にも手の汚し方はたくさんあると知っているし、正直一度目で少しは経験したのでという感じだ。


「お父様、大丈夫です。私はもう怖くありません。それに今日で6歳になったんです。いつまでも子供みたいに泣いてばかりではいけないと思うのです」

「いや、6歳はまだ子供でいいんだよ……」


 お父様は真剣な眼をこちらに向け、ちょっと砕けた口調で言う。

 あまり困らせるのも良くないので、ここはひとまずお父様の言葉に同意する形で頷いておいた。


 それにしても、一度目は"悪家ヴェルセルグ"の若当主として冷酷無慈悲と恐れられていたお父様が、こんなに顔色をコロコロ変えているのはすごく新鮮だ。


 焦ったり、困ったり、お父様もちゃんと血の通った人なんだとわかる。当たり前なんだけどそれも本当の意味では理解していなかった。


「…………お父様と、こうしてお話できて嬉しいです」


 子供の体だからか自然と涙が滲んでしまう。

 さすがに泣きすぎだし鬱陶しく思われたら嫌なので、こぼすかこぼれないかのうるうるした瞳で耐える。


「ああ、僕もだ。だが、ククルーシャ」

「? はい」


 ふっと表情を和らげたと思ったら、お父様は緊張した面持ちで居住まいを正した。

 重大なことを発表すると言わんばかりの雰囲気に、こちらにも緊張が走る。


 お父様は静かに口を開いた。


「6歳ならば、まだお父様は早すぎないか」

「……?」

「…………」


 思わず首を傾げると、お父様は唇を引き結んでしまう。

 私は思考を巡らせて必死に考える。今の短い言葉の中に込められた意味を紐解いて、そしてひらめいた。


(えっ、まさか)


「…………パパ?」


 言ったそばからどんどん恥ずかしくなった。

 いくら子供の姿とはいっても、中身は大人を経験したこともあるし。なにより間違っていたら最悪。


 だけど。


「うん、うん。しばらくはまだそれがいい。お前も呼びやすいだろう」

(ま、まぶしいぃーーーーっ!)


 まるで花開くような優しい笑みに、直射日光を目に当てられた気分になる。

 お父様は口数が少ないほうみたいだけど、表情や仕草で感情がもろわかりだった。


「もう一つ、大切なことを言っていなかった。誕生日おめでとう、ククルーシャ」

「……ありがとう、パパ」


 正直、パパと呼ぶのはお父様以上に慣れないし、しばらく羞恥心がつきまとうだろうけど。


(まあ、いっか)


 こんなお父様の姿を見てしまったら、私の些細な恥じらいなんて二の次である。


「当主様、新しい氷嚢をお持ちしました」


 少し遠くからノック音がした。

 それからゆっくりと扉が開かれ、現れたのはシルヴァンである。


(英雄シルヴァン……!)


 目覚める前に見ていた一度目の実体験が思い出される。

 図書室で自己紹介をしたとき、シルヴァンという名前をどこかで聞いたことがあると感じていた。


 当然である。私は一度目で、彼と会っていたのだ。

 おそらくだけど……の瞬間も。


「シルヴァンか。ちょうどいい、こちらに」

「はい、失礼します」


 お父様に呼ばれ、シルヴァンはすました顔で私たちのもとにやって来る。

 いつの間にかお父様の膝の上で抱っこされていた私は、それを彼に見られるのがなんだか少し恥ずかしかった。いや、こっちは6歳なんだからむしろ堂々としているべき?


「ククルーシャ、彼はシルヴァンという。お前の専属従者にと考えている子だ」

「え……」


 驚いている間に、お父様に視線で促されたシルヴァンが口を開いた。


「改めて挨拶申し上げます。シルヴァンです。どうぞよろしくお願いいたします、ククルーシャ様」


 図書室での態度とは打って代わり、大人顔負けの惚れ惚れするような動作で礼をとるシルヴァンに、私は釘付けになった。


 信じられない。だって、一度目で救国の英雄として大きな功績を挙げたシルヴァンが、どうして私の専属従者!?




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