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第5話 伯父、養父。そして、おとうさま。①



 鏡に布をかけ直したあと、私とシルヴァンは元の場所まで戻ってきた。

 床にはページの分厚い本が散乱している。


 シルヴァンによると、物音がしたほうを確認してみたら、ちょうど私が棚から本を取ろうとしているところだったらしい。無理に取ろうとしてしまったせいで、近くに置かれた本を巻き込む形で床に落としたようだ。


(たしかナタリーが戻ってくるまで暇だったから、適当に本を読もうとしていたんだっけ。で、そのときも散らかしていた気がする)


 遠い昔の記憶ではあるけれど、幼心に「やらかした」と焦っていたのは覚えている。どれもこれも貴重そうな本だったし、ナタリーから大人しくしているように言われたのにそれも破っていたからだ。


(ナタリー……)


 彼女のことを思い出すと、苦い心地に包まれる。

 私は随分とナタリーにから。


 でも、今さらそれを考えたところで仕方がない。教団の地下牢で何度も巡らせた後悔を、この妙に現実的な夢にまで持ち込むのも癪だ。


「あの、ところでシルヴァンはどうしてここに?」

「……まあ、読書をするためだけど」

「…………。図書室にいるんだから当たり前だろって思ったでしょ」

「まさか」


 謎の少年シルヴァンは、にこりと笑みを浮かべた。

 たしかにここは図書室だし、読書や調べ物目的で来ていると考えるのが普通なんだけど。ただ場所が場所だったので気になったのだ。


 ここは伯父ルドガーや祖父の執務室が上階にある本邸。

 ヴェルセルグの敷地にはいくつもの棟や建物が存在するけれど、本邸の図書室を利用できる者は限られてくる。

 それこそヴェルセルグに近い血縁でないと鍵すら与えられないはずだ。

 一応私は伯父の養女として迎え入れられたので、鍵は世話係のナタリーが管理していた。


 ヴェルセルグの子供ならほかにもいたけれど。シルヴァンという少年はいなかったはずだ。

 彼の髪は白銀で、瞳は淡い薄青紫。ヴェルセルグの子供ではないと一目でわかる。


(誰かの付き人とかの可能性もあるけど、こんな人いたっけ……って、そもそも夢の中に出てくる人のことを難しく考えても無意味よね)


 夢は自分の持つ記憶や強い思い、願望から形成されることもあるという。それ以外にも全く知らない人が出てきたり、夢というのはすべてが曖昧であやふや。こうして悩むのはよそう。


(それよりも、これだけ自分の意思で動ける夢なんてなかなかないもの。どうせなら……)


 今私が思い描いた人のもとに行きたい。

 これは私の都合のいい夢なんだから、きっと会える。


(あ、その前にこれを片付けないと)


 私は足元に散らばっていた本を取り、元の棚の位置に置こうと手を伸ばす。

 だが、本は分厚くて重い上に自分の体は小さいので、なかなか思うように持ち上がらなかった。


「……っ、夢ならこういうところはもっと融通が効いてもいいのに」

「まったく、何やっているんだか。隣に君より適任がいるんだから一言声をかければいいのに」


 一人で苦戦していると、隣に立つシルヴァンがさっと本を取り上げる。

 同じ子供とはいえ私より背の高い彼は、難なく本を棚に戻してくれた。

 ただ突っ立っているだけでは気が引けるので、私も落ちた本を拾ってシルヴァンに手渡すという作業を黙々とおこなった。


「これで終わりだよ」

「はいはい」

「手伝ってくれて、ありがとう……」


 シルヴァンに最後の一冊を渡そうとしたとき、本のタイトルが目に入った。


(……! やっぱりこんなところでのんびりしていちゃ、ダメだわ)


 "ゾフの贈り言葉"という文字を見た瞬間、私はその本を手にしたまま慌てて図書室を飛び出した。




 突き動かされるように図書室を出て、朧気な記憶を頼りに廊下を走る。

 人の気配を感じないのは、夢だからか、それとも元々そういうものだったのかはわからない。


「ククルーシャ、急に走ってどうしたの。なにをそんなに慌てているんだ」

「え、シルヴァンっ、ついてきてたの!?」

「そりゃあ、さすがに気になって」


 ぜえぜえと息を切らす私とは正反対にシルヴァンは余裕そうな面持ちで後ろをついてきている。

 本当におかしな夢だ。視界に広がる廊下の作りは細部まできっちりと認識できるし、疾走する体はちょっとずつ疲れてきて息が切れそうになる。夢なのに。


 そうして私がたどり着いたのは、ひとつの扉の前だった。


「ここは……」

「私の伯父の執務室よ」

「うん。そう、みたいだ」


 シルヴァンは訳知り顔で頷く。

 この場所が伯父ルドガーの、ひいてはヴェルセルグ魔公爵家現当主の執務室だと知っているような反応である。


(中にいるかな。夢だから、わからないけど。いてほしい……あれ、扉が少し開いてる)


 大きく荘厳な扉にわずかな隙間を見つけ、手を伸ばす。


「大変心苦しいことではありますが申し上げます。ククルーシャお嬢様は、旦那様とお会いしたくないと……その旨を伝えてほしいとわたくしに申されました」


 中から聞こえてきた女性の声に、ぴたりと動きが止まった。今のは、私の世話係ナタリーの声である。そして、声はもう一つ。


「……やはりあの子には、強い恐怖を抱かせてしまったんだな。この先も許されることはないんだろう」


 ……ああ、この声。

 間違いない。伯父のものだ。


「世話係ということでよくわたくしには本音を伝えてくださいますが、ヴェルセルグの血がご自分にも流れているということが恐ろしくてたまらないご様子です」

「……そうか。ほかに、なにか言っていたか」

「それは……」

「気を使う必要はない。今後のあの子に対する扱いを間違うわけにはいかないんだ。あの子が心をゆるしている君の発言を咎めることはしないと誓おう」


 それから少しの沈黙のあと、再びナタリーの声が聞こえてきた。


「ククルーシャお嬢様は、今日に限らずこの先も叶うなら旦那様を含めヴェルセルグには関わりたくないと、そうおっしゃっていました」

「――ちがう!」

「あ、ちょっと」


 ナタリーの言葉に我慢できず、私は勢いよく扉を開け放った。


「なっ、お嬢様っ」


 扉を開けた先には、二人の大人が対面するように佇んでいた。

 一人は、使用人服に身を包んだナタリー。

 そして、もう一人は。


「……ククルーシャ」


 私と同じ黒曜の髪と、柘榴の瞳。

 こちらに向けられた顔には驚愕の色が浮かんでおり、その人は小さくまばたきを繰り返していた。


 夢でもいい、なんでもいい。

 私はずっとあなたに。


「おとうさま」


 そう呼びかけたかった。



 ――6歳の誕生日。

 ナタリーは伯父に会わせるため私を本邸に連れていった。

 けれど執務室に入る許可を貰うと言って私を図書室に残し、まずはナタリーだけが伯父に会いに行った。

 そして図書室に戻ってきたナタリーは、私にこう言った。


『お嬢様とお会いする気はないと、旦那様はそうおっしゃっておりました』


 私は思った。やっぱりナタリーの言葉は間違っていなかった。嫌われているんだ、憎まれているんだ、恨まれているんだ、と。


 でも、違う。

 私はずっと、勘違いをしていた。


『申し訳ございません、ククルーシャ様。じつは今までずっとナタリーさんに止められていたのです。当主様は……前当主様は、いつもあなた様の身を案じておりました。いつも気にかけておりました。こちらにあるものは、ククルーシャ様が受け取るはずだった手紙です』


 それを知ったのは、伯父と祖父の訃報を知り、葬儀に出席するためヴェルセルグに戻ったときのこと。

 ヴェルセルグに仕えていたメイドの一人が私に教えてくれた。




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