『最後、ぐらい……誰かの役に、立ちたい』
それが叶うというなら、私は。
――ドサッ。
「痛った!!」
脳天に広がった衝撃に体が跳ね上がった。
「うう……頭が、いたたた」
いまだ鈍痛が続く後頭部を押さえる。それから目尻に滲んだ涙を拭い、目を開けた瞬間、空気の抜けるような声が出た。
「へ?」
……ここ、どこ?
目の前には、背の高い本棚がいくつも並ぶ空間が広がっていた。
本特有の紙の匂いが鼻につく。
見たままのとおり、図書室と思わしきこの場所に私はさらに困惑した。
そもそも私は教団の地下牢に閉じ込められていたはずで……あれ、でもこの景色なんだか見覚えがあるような。
「君さ、ちゃんと生きてる?」
「ぎゃあっ!」
突然、耳の近くで聞こえた声にぞわりとする。
横を向くと、白銀の髪の少年がしゃがんだ格好でこちらをじっと見つめていた。
透き通るように淡い薄青紫の瞳が、静かな感情のまま私を観察している。
「あ、あなた、誰?」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀だとかよく言わない?」
「……そっか、そう、ですね。名前、私の、名前」
「まあ、こんなところで礼儀とかどうでもいいけど。俺はシルヴァン」
状況がまったく飲み込めず口をモゴモゴさせていれば、心底どうでもよさそうに少年は名乗った。
「シルヴァン……?」
なんだろう、初めて聞いた感じがしない。
見たところ年齢は7歳から10歳の間ぐらいだけど、そんな子供と知り合いになった覚えはないし。
ふと目を落とし、手足の自由を奪っていたものがないことに気づく。
「……! 枷が、はずれてる」
一体誰がはずしてくれたのだろうと考えながら、視界に映る両手の小ささに違和感を覚えた。
「どうしてこんなに手がちっちゃくなってるの!?」
驚きのあまり立ち上がれば、目線の低さにさらに驚愕した。
手だけじゃない。足も小さいし、体全体だってこじんまりとしているし、胸だってこれじゃ絶壁。
「ぺったんこじゃん……」
「やっぱり打ちどころが悪かったんじゃない」
「え?」
「ないものを念入りに確認しているから驚いた。色気づくにはだいぶ早いと思うよ」
ぺたぺたと自分の体を確認していた私に、謎の少年シルヴァンが平然とした口調で言った。
「あ、あの。か、鏡とか持っていませんか」
「……鏡? どうして」
唐突な頼みにシルヴァンは訝しげにこちらを見やる。
「顔を確認したくて。いや、顔というより全身を見たくて」
「君が今見ないといけないのは、本の角が直撃していた後頭部のような気もするけど」
「……お、お願いします! 今すぐに確認しないといけなくてっ」
どこの誰ともわからない子供に向かって必死に頭を下げる。
しばらくシルヴァンは怪訝な顔をしていた。しかし私の様子にただ事じゃないと思ったのか、短く「こっち」と呟くと、私の手を引いて歩き出した。
「はい。ただの飾りとして置かれている物だけど、布を被っているから綺麗なはずだ」
シルヴァンに連れてこられたのは、古びた骨董品などが保管されている場所だった。またしても大きくなっていく既視感。
胸の奥がどくどくと脈打つのを感じながら、私は目の前の布を思いっきり引っ張った。
「……うそ」
布がはずれ、出てきたのは大きな鏡。
埃や汚れはどこにもなく、綺麗に管理されたそれを前にして、私はまばたいた。
すると、鏡の中にいる少女も同じように瞼を上下させる。
黒曜の髪と、柘榴の瞳。
そこにいたのは、小さくともまぎれもなく私だった。
「どうして、子供になっているの……?」
本当にわけがわからない。なにか特殊な薬でも飲まされたのだろうか。
まず最初にその可能性が頭をよぎったけれど、それだけでは説明できないことが起こっている。
(私、知ってる。この鏡)
鏡を縁取る飴色の木材によって彫られた細工。まるで芸術品のように美しいこの品を、私は前にも一度だけ見たことがある。
ヴェルセルグ魔公爵家の本邸で、まったく同じ作りのものを。
それは6歳の誕生日。伯父に会うためにヴェルセルグの本邸に連れていかれた私は、しばらくこの図書室で待機していた。
当時、私の侍女としていた傍付きのナタリーが、執務室にいる伯父のもとへ向かい"私を通していいか"という伺いを立てに行ったからだ。
私の伯父ルドガーは、執務室といった自分のテリトリーを荒らされるのを極度に嫌う人だということを、事前にナタリーから聞かされていた。
分別のつかない子供も伯父の好まない類いであり、だからこそナタリーは私と伯父を気遣って仲介役に回ってくれていたのである。
(誕生日とはいえ、いきなり私が伯父の執務室にお邪魔すれば機嫌を悪くさせてしまう可能性があるかもしれないって。ナタリーにそう言われてしばらく図書室で待っていた。そのときたまたま見つけたのが、この大きな鏡……)
ヴェルセルグの本邸にあったものが、今目の前にある。
そして鏡に映っているのは、幼い子供の姿をした自分。
(もしかして、ここは……過去?)
ということは、私は夢を見ているということなのだろうか。そうじゃなければ説明がつかない。
後悔のあまりに脳が見せている都合のいい夢というのが、納得のいく見解ではあるけれど。
でも、それにしてはあまりにも生々しい夢だ。
「君さ」
「へっ?」
「そろそろ俺にも名前を教えてくれないかな」
悶々と思案に暮れる私の横で、ずっと様子を見守っていたシルヴァンがしびれを切らしたように口を開いた。
いけない。すっかり彼がいることを忘れていた。
「…………ククルーシャ」
ぽつりと小さく伝えると、シルヴァンは「そう」とじつに淡白な反応を返した。
けれど、こちらを見据える淡い色の瞳には、少しの関心があるような気がした。