「アシュリー、本当に彼女は大丈夫なのか」
「もちろんよ、イヴァノフ。魔神の血を引くヴェルセルグの人間が、この程度でどうにかなるわけないもの」
人の声がして、薄暗い地下牢で私は目を覚ます。
「…………」
気だるい体を動かそうとすれば、ガシャンと音がした。
視線を動かすと、鎖に繋がれた自分の手足が目に飛び込んでくる。
「起きたのね、ククルーシャ」
「……は」
「なあに、聞こえないわ」
「…………そ、とは……どうなって」
やっとの思いで言葉を発する。
目覚めてすぐ、私が聞きたかったのは外の状況だった。
アシュリーは答える。
私の想像よりも最悪の状況をこともなげに。
「あなたの気配に触発されて、三獣は各国境を暴れ回っているわ。おかげで今も軍の侵攻を防げている」
「……おね、がい…………やめて、もう」
無意味な願いだとしても言わずにはいられない。
二年前、伯父と祖父が亡くなって、ヴェルセルグを継いだのは、伯父の兄・祖父の一番目の息子ヤーコブだった。
しかし彼がヴェルセルグの主になることを三獣家の誰も認めなかった。
それはヤーコブが、ヴェルセルグの継承者になるために必要な条件を満たしていなかったからだ。
こうして絶対的な主を失った三つの家門は、徐々に均衡を保てなくなった。
血の盟約の効果が薄れた影響で、人という器を取り込んだ各魔獣が暴走する事態に発展してしまったのだ。
「どう、して……私が…………」
ヴェルセルグの継承者になるために必要な絶対条件を、なぜか私は満たしていた。
継承の絶対条件。それは魔神から授かったとされるヴェルセルグの秘宝に触れられること。
そして教団の人間によって秘宝を身体に取り込まされたことで、私は新たな盟約を結ばず中途半端に三獣と"繋がって"しまった。
だからこそ、三獣は暴れているのだ。
それがアシュリーの、ひいては教団の狙いだったのだと今になって気づいたが、何もかもがもう遅い。
盟約を結び直さない限り、従う対象をもたない魔獣たちは暴れ回る。
私がここで囚われている限り新たな盟約は交わせない。そのほかの方法で三獣の暴走を止めるには、ヴェルセルグの血筋たる継承者の息の根を断つこと。
つまり、私が死ななければこの悪夢は終わらない。
そして、私の命を握っているのは、今や皇室の後ろで傀儡のごとく帝国を操っている教団。
「……あの頃のヴェルセルグが、いまも帝国にあったのなら」
こんなときになって考えるのは、悪家ヴェルセルグの必要性だった。
多くの場所で混乱に巻き込まれる帝国の民も、似たような思いを抱えているに違いない。
このファーラス帝国は、偉大なる悪によって守られていた。
帝国の地脈に流れる魔素から生み出される魔鉱資源。悪家ヴェルセルグが帝国に君臨するよりも以前、どの国も喉から手が出るほど欲するその資源を巡って、何度も領土戦争が繰り返されたという。
国外からは帝国を囲む三つの国に狙われ、国内からは教団という圧力が常にあった。
平穏を維持するためには、抑止力が必要だった。
例えば、蛇に睨まれた蛙のように。
敵わない相手を前にして身動きが取れなくなる心理と同様に、わかりやすい悪を立てて多くを牽制しなければならなかった。
その役目をヴェルセルグは、長きに渡り担っていたのだ。
(もう、今さら遅いけれど)
もし、怖がらず養父に歩み寄っていたら。
もし、ヴェルセルグの一員になれていたら。
もし、もっと強い自分でいられたら。
もし、私が必要悪になれたら。
未来はもっと、明るいものになっていたのだろうか。
まるで取り憑かれたかのように、後悔して、後悔して、後悔し続けて。
最後の瞬間までそればかりを考えていた。