帝国は魔神を従えている。
それは帝国民が、そして周囲の国々が周知している当たり前の認識だった。
はるか昔、魔神と契約したヴェルセルグ家。
魔神は特別な血の能力を授けると共に、三体の魔獣を与え、それらは相応しい人の器に入ることによって力を振るった。
赤、青、緑の魔獣の器である、侯爵位の三獣家。
その三つの家門と固い血の盟約で結ばれ、主として君臨するヴェルセルグは、特別称号である"魔公爵"の地位にあり、皇室に匹敵する力を持っていた。
魔神の血が流れるヴェルセルグの者は、代々狂気的な思想と暴力性を持ち合わせ、これまで数多くの敵を葬ってきた。
権力と財力を誇るヴェルセルグは、長い時の流れとともに"悪家"と恐れられ、国内はおろか諸外国すらむやみに手出しのできない家門として名を馳せている。
そんな無敵のヴェルセルグ魔公爵家だが、いつの時代においてもファーラス皇室とは当たり障りのない関係を続けていた。
帝国下にいるため、帝国民として皇帝を敬っているのかといえば、そういうわけでもない。
しかし、お互い絶対に敵に回したくはない相手だと思っているのだろう。
だからこそ、私――ククルーシャ・フィリアメーラ・ヴェルセルグは、両者の関係維持のために皇太子の婚約者になることが7歳の誕生日から決まっていた。
自分の体に悪家ヴェルセルグの血が流れているのだと知ったのは、年端もいかない4歳の頃だった。
「ここを出て、一緒に暮らそう」
母を病で亡くし、いつの間にか父の存在すら消えたボロ小屋で、一人になった私に手を差し伸べたのは父の双子の兄を名乗る男の人。
立場的には伯父にあたるその人は、私を養女として迎えるために現れたのである。
幼かった私には選択の意思などほぼ無いに等しく、ただ差し出された手をぎゅっと握ったことだけは覚えていた。
「あなたはお
世話係のナタリーは、ことある事にそう言っていた。
ナタリーはいつも私を心底気に入らないと言いたげな目で見ていた。
しかし世話係は彼女であるため、私はヴェルセルグに引き取られてからというもの、私という存在を嫌悪していたナタリーの言葉を自然と耳にして育った。
お養父さま……いや、伯父が私を引き取ったのは、かりにもヴェルセルグの血縁である者を野放しにするわけにはいかなかったから。
そこには愛情の欠片すらなく、たんなる義務であり、保護したにすぎない。
だから、勘違いしてはいけない。
私の存在は歓迎できるものではなく、本当は生まれたことすら罪なのだと。
その考えが当たり前のように頭を支配した。
単純だと思われるかもしれないけれど、私にとってはそばにいる大人の言葉がすべてだった。
ヴェルセルグは魔公爵という爵位を賜る家門。黒い噂や評判はたくさんあるが、高貴な貴族であることに変わりはない。
ゆえに普段の生活をサポートするのは、傍付きの侍女であり、私が自分から伯父を遠ざけようとするのに時間はかからなかった。
そうして与えられた別邸に引きこもる生活を続け、ナタリーの言うことに従って十年近くが経った頃である。
長いこと会話すらまともにない伯父から告げられたのは、私を皇都のアカデミーに入学させるという半ば強制的な命令だった。
帝国の未来と英智を集結させるべく創設されたアカデミーは、身分に関係なく13歳から18歳の男女が通い、5年制の大陸最大の教育機関である。
しかし、ヴェルセルグの血筋は半成人の14歳までは公に姿を見せることを禁じられているため、私は転入生として2学年からアカデミーに在籍した。
「ほら見て、あの子が悪家の……」
「そうそう、しかもはみ出しものの"徒花"って言われているらしいわよ」
もともと畏怖の対象とされる悪家ヴェルセルグの名に加え、同じく在籍していた従兄弟たちの好き勝手な嘲笑により、アカデミーでの私の居場所はないも同然だった。
私だって、好きでヴェルセルグなわけじゃない。
血筋を色濃く証明する陰鬱とした黒曜の髪も、おどろおどろしい柘榴の瞳も、大嫌い。
しかしその色は他者を圧倒する。
存在しても仕方のない存在。咲いても無意味なもの。だから皮肉を込めてヴェルセルグの徒花と揶揄されるようになった。
もちろん楽しいアカデミー生活を送れるはずもなく、私はさらに自分の血を呪った。
ただ、そんな私にも二人だけ心を許せる人がいた。
婚約者であり皇太子のイヴァノフと、大聖女候補と呼び声高い教団出身のアシュリーだ。
幼少からの知り合いで親しい友達関係だという二人は、私がヴェルセルグを憂いでいることも理解してくれた。いつしか二人は私の心の拠り所になっていった。
それから数年、私はヴェルセルグには一度も帰らずに皇都で過ごした。
そして、アカデミーの卒業を控えたある日のこと。
「ククルーシャ。お前との婚約は今日をもって解消する」
突然、イヴァノフからそう告げられた。
隣に立つアシュリーの肩に手を置く様子から、二人の関係性がはっきりと伝わってきて、内心動揺していた。
皇室とヴェルセルグによって決められた婚約だったとはいえ、私がイヴァノフに相応しいだなんて思ったことなどない。
もっと言えば、自分が皇太子妃になれるとも考えていないし、むしろ辞退できるならしたいと心から願っていた。
だから、二人から感じる友人として親しい以上の関係を目の前で突きつけられても、それについての動揺は小さかった。
ただ、このとき私がショックだったのは――。
「ようやくヴェルセルグから解放される」
「ええ、本当に」
私を見つめる二人の瞳が、悪家ヴェルセルグを嫌悪する民のそれとまったく同じだったから。
二人はずっと、私を疎んでいた。嫌悪の対象として接していた。
悲しくて悲しくて、仕方がなかった。
伯父と祖父の訃報を知らせる手紙が届いたのは、イヴァノフから婚約解消を告げられた数時間後のことだった。
ずっと同じ病に侵されていたらしい二人は、揃って息を引き取ったという。
私は、伯父と祖父が病に苦しんでいたことすら、なにも知らなかった。