まだ敵の気配はないため、グレースはノアルに雑談を向ける。
「私は早くに両親を病で亡くしました。私を引き取ってくれたのは遠縁のおじさまとおばさまの夫婦でした。おじさまは魔法の心得があり、私に手解きをしてくださいました」
落ち着いた口調に悲しみの色は見えない。ノアルを育てた夫婦が彼女に十分な愛情を注いだことが皆にも伝わる。
「決して裕福ではないなか、二人は私を本当の娘のように育ててくれました。私が成人した時、家にいてくれればよいと言われましたが、ご恩を返すために冒険者となり家計を支えることを選びました」
「立派ですね! なんとなく人の役に立ちたいなんて軽い動機の私とは違うなぁ」
「そんな、ファインさんの動機もとても立派ですよ。実際にセクレタリアトを救ったわけですし」
「グレースがいるからだけどね、へへ」
ファインがぴょこんと跳ねると、ミルキーブロンドの巻き髪が肩で揺れる。
「グレースはどうして冒険者を?」
幼子を優しく眺めるようにファインに微笑んでから、ノアルはグレースに問いかける。
「そういえば私も聞いたことなかったな、なんだか当たり前に思ってた」
「ファインが言ったので間違っていない。俺の両親は冒険者で、子どものころから自分も冒険者になる以外の道を考えたことはなかった。エルザ、幼馴染とやっていくうちにギルドはどんどん大きくなって……今や古巣はトップギルドというわけだ」
そこまで時が経っているわけでもないのに、グレースにはエルザたちとの冒険の日々が遠くに感じられた。
「ただこいつのせいで、色々台無しになったがな」
「俺様、悪くない。これは、
「なんで片言なんだよ、たく」
悪態をつくグレースだが、その表情は本人が思う以上に晴々としている。
「でもアロンのおかげでファインとプルに出会えて、今はノアルとモンドもいる。災い転じて、ってやつだな」
「もうみんな災いだなんて思ってないでしょ。大切な仲間よ。グレースも素直になりなよ」
「そうですね、私もモンドともっと仲良くなりたいです、ね?」
「我もやぶさかではない」
「固い〜、その口調、なんとかならないの?」
ファインがノアルの胸元のダイヤモンドを見ると、同時に彼女の胸の膨らみが目に飛び込んでくる。これは確かに男性には目の毒かもしれない……。
グレースがそういうことに頓着がないのは良いのだが、比べると自分の胸がひどく貧相に思えてきてしまう。
「君からも羞恥心を感じる」
ファインの気恥ずかしさを貪欲に察知したモンドが呟く。声のトーン自体は渋く、いやらしさを含まないが、それが逆に変態紳士という印象を強くする。
「そんなことありません! もうっ」
「ごめんなさいね、ファイン。彼、根は良い人なのよ」
「だといいんだけど」
ファインは自分を鼓舞するように胸を張り、襟を正して歩を進める。
だいぶ傾斜がきつくなってきた山道の先、そこだけ霧がかかり見づらいが、遠くに魔王の居城と思しき城の姿がぼんやりと見えてくる。
「敵が出てくるわっ!」
索敵魔法を用いたファインがいち早く敵の動きを察知する。グレースたちは討伐隊のほぼ最後尾にいるため、前線でもすでに敵の動きはキャッチしていることだろう。
隊列を整えるようヴァイスの指示が飛び、辺りの空気が一気にぴりつく。
「ヴァイス、どうか無事で……」
ノアルの呟きは彼女の一番近くにいるモンドにだけ届いていた。
ほどなくして前方から怒号と剣撃、魔法による炸裂音などが響いてくる。
「始まったみたいだな。打ち合わせ通り、俺たちは後ろからついていく。すまないが俺は可能な限り戦闘には参加しない。ファイン、逃げられない状態になったら教えてくれ。ノアルは前線を抜けてきた敵がいたら対処、できるだけ魔力の消耗は抑えてくれ」
「オッケー! 先頭は任せて!」
「フォローします!」
「よし、行くぞっ!」
ヴァイス率いる前線を担うギルドの奮闘のおかげで、後方のグレースたちまで抜けてくる敵は数えるほどだった。
蜂を巨大化させたようなモンスターに襲われたが、ファインとプルによるガードで勢いを削ぎ、ノアルの攻撃魔法で一網打尽にする連携はすぐに板についた。
ノアルは今日もこれまでと同じ白の長袖ブラウスにメッシュのニットを着ており、暑さで汗が吹き出ているものの、まだ服は脱いでおらず、つまりはモンドの力を借りてはいない。
ノアルの素の戦闘力の高さはグレースたちも舌を巻くものだった。しかもモンドによるパワーアップも残している。
できることなら彼女に恥ずかしい思いはさせたくはないが、いざとなれば大きな戦力になる。
「アロン、俺たちはここで楽した分、魔王との戦いでは本気で行くぞ!」
「分かってるグレース。皆が必死に戦っているのは俺様にだって分かる。腹をくくるさ……」
山腹には討伐しが倒したモンスターの死骸が大量に転がっている。カマキリ、アリ、ミミズなど虫型のモンスターばかりで、死骸は灰になって散っていく。
「これより敵地に突入する! 陣形を組めっ!」
グレースたちが城の前に差し掛かった時には、ヴァイスたち討伐隊は多くの戦力を残したまま、城の前に集結していた。
強い日差しとゆだるような暑さは一変し、城の周囲だけは薄暗く、薄着では肌寒いくらいに冷えている。
城門は無防備に開けられ、ぽっかりと開いた穴のように暗い城内へと誘う。
「ヴァイスさんのギルド、強いね! このまま魔王も倒しちゃうんじゃない?」
「それならそれでいい。俺たちも続くぞ」
何班かに分かれて城内へと入っていく討伐隊。グレースも後に続くと、数百人は収容できそうな大広間があり、不気味な静寂に包まれている。
「ぐっ……!」
「ぶほっ!」
先行したメンバーから苦しそうな声が漏れる。
「どうしたっ!? 敵か!?」
剣と盾を構えたヴァイスが叫ぶ。
「い、いえ、敵の姿は見えません。いきなり苦しみだして……んぐっ!?」
ガシャンガシャンと鎧を着た冒険者が倒れる音が広間に響く。何が起きている!?
薄暗いのは確かだが、敵の姿が全く見えないほどの暗闇ではない。ここまでの戦いを見るに、討伐隊は個々のレベルも高く、そうやすやすと倒されるものでもなさそうだが……。
「カカカ、獲物がかかりおったな」
どこから声がする!? グレースは辺りを見回すが、敵の気配はない。
「下よっ! 床の下に何かが……巨大な何かがいるわっ……!」
ファインの声にグレースだけでなく討伐隊全体の目線が前方の床に注がれる。
ベキベキベキッ。石で出来た床に亀裂が入り、大きな穴が開く。そこから姿を現したのは、まさに異形と言えるモンスターだった。
「なんだ、あいつは……!?」