ダンジョンの奥地。全身を黒の甲冑で固めた男の戦士が、煌びやかな装飾が施された宝箱に手をかける。ギルドの仲間たちが期待に胸を膨らませて見守る。
「どんなお宝が出てくるかな?」
「これだけ豪華な外装の宝箱だから激レアだろ」
「ここまで来るの、大変だったもんな」
「グレース、早く開けてよ!」
グレースと呼ばれた戦士は軽く頷き、宝箱を開ける。そこには彼の掌と同じくらいの刃渡りしかない小刀が一つ、鎮座していた。
「ナイフ、かぁ」
「グレースには似合わないな」
仲間からため息が漏れる。ギルドの切り込み隊長を務めるグレースは、180cmを超える自身の身の丈に近い、巨大な剣を装備している。
「でもこれはグレースのものよ。みんなで話し合って決めたでしょ」
胸元と太ももが露わになった深紅のビキニアーマーと、赤毛のロングヘアーが調和するギルドマスターが、みなを静めるように言う。
「そうだな、今回の遠征でも一番の功績を上げたのはグレースだしな」
「もしかしたらとんでもない特殊効果とか付いてるかもしれないよ」
仲間に促され、グレースはナイフを手に取る。掌に吸いつくような感触。まるで自分の体と一体化したような感覚に襲われる。
「ふわぁぁぁあ。やっと俺様の出番が来たか」
誰だ!? 仲間の声ではない男の声を聞き、グレースは身構える。
「どうしたの、グレース?」
「今、何か聞こえなかったか?」
「いいえ何も……大丈夫?」
ギルドマスターを始め他の人間には聞こえなかったようだ。しかし、確かに男の声がしたはずだ……。
「いや、なんでもない。みんな、ありがとう。これは護身用にでも使うとするか」
「お前の場合、その
彼の岩のような拳を見て仲間たちが笑う。
「そんなことは……なくもないか」
ナイフを持った左手と逆の右手を閉じたり開いたりしながら、グレースも笑みを見せる。
「さあさあ、浮かれるのはここまでよ。あの奥の扉、間違いなくこのダンジョンのボス部屋に繋がってるわ」
ギルドマスターの切れ長の目は、奥にあるドラゴンの模様が模られた巨大な扉に注がれる。それまで冗談を言い合っていたメンバーの目にも鋭さが宿る。
グレースは宝箱に残っていた鞘にナイフを収め、腰に付ける。そして、目と口の部分だけが開いた鋼鉄の兜を被り、扉の近くに立つ。
「アレクス! 敵の数と力は未知数よ、一時耐えられるわね?」
両手にそれぞれ巨大な盾を持ち、グレース以上の重装備をまとった戦士が一番前に出てくる。
「おうよ、任せなっ!」
アレクスと呼ばれた戦士は、盾をガンガンと鳴らし、脚にぐっと力を込める。
「ニーナ! アレクスとグレースの補助を中心にお願い!」
「いつも通りね、了解~」
フリルの付いた黒いローブを着た女魔導士が後ろに控える。
「グレース! すぐに貴方の出番が来るわ。遅れないでね」
「タイミングは君に合わせる、エルザ」
赤い戦姫の異名を持つギルドマスター、エルザと
二人は一瞬、アイコンタクトを取る。互いの目には信頼の色が浮かぶ。エルザの視線には、それ以上のものが宿っているようにも見える。
「いくよっ! 最後の仕事よっ、気合を入れなっ!」
エルザの合図で扉が開かれる。一斉になだれ込む十数名の仲間たち。グレースは背中に背負った大剣に手を添え、いつでも抜刀できる体勢を取る。
「ゴギャウウウウウゥゥゥゥ!!」
10メートル以上はあろう巨大な漆黒のドラゴンが咆哮を響かせる。ビリビリと震える空気が波のように押し寄せる。
「ダークドラゴン……! アレクス! 炎に気を付けて!」
「うっしゃあぁぁ!」
ガシャンガシャンと重々しい足音を響かせ、アレクスはパーティの前方に歩み出る。
ドランゴンの口が大きく開き、無数の鋭利な歯の奥、喉の部分が真っ赤に染まっていく。
「
ニーナが魔法を唱えると、アレクスを中心にピンク色のオーラが広がっていく。
「バアアアァァァァ!!」
ドラゴンの口から青い炎が激しく噴射される。
「ぐうううぅぅ……!」
炎対策に特化した防御魔法を使っていなければ、重装甲のアレクスとて消し飛んでいただろう。なんとか一撃目は防げたが、アレクスの盾は表面が溶け、熱風で彼自身も火傷を負っている。
長期戦になればどうなるかは一目瞭然だ。エルザはニーナに目線を向ける。
「はいよ~。
エルザとグレースの体を、水色のオーラが包む。エルザは剣を構え、鍛え抜かれた足の筋肉を収縮させる。
グレースは彼女の動きに合わせるように、背中の大剣を引き抜くべく力を込める。
が、大剣が抜けない。何か引っかかっているのか? そんなわけがない、これまでこんなことは一度たりともなかった。グレースは冷静に、再度力を込める。
やはり剣は抜けない。何故だ……!?
ドラゴンはブルブルと首を振り、再び口を開ける動作に入ろうとしている。エルザは今にも飛び出しそうだ。
「俺を使いな」
先ほどナイフを手に取った時に聞こえた声がする。今度はもっと明確に、グレースの腰あたりから聞こえてくる。
一体この状況はなんなんだ!? 一層混乱するグレース。しかし時間がもうない。
「だから、俺を使えって」
「ええい!!」
グレースは意を決して、抜けない大剣から手を放し、腰のナイフを抜く。こちらは全くの抵抗もなく、手に収まる。
その時、エルザがドラゴンに向けて猛然と駆けだす。グレースはなんとも心もとないナイフを手にすぐ後を追う。
「はああぁぁぁ!!」
ドラゴンの口が開ききる寸前、高々と跳躍したエルザの一撃が敵の片翼を切り落とす。
「グギャアアァァ!!」
痛みにもだえるドラゴン。その首めがけてグレースが迫る。
ザシュ、肉が断たれる音がする。普段の大剣であれば確実に首を
しかしグレースが手にしたナイフはあまりにも刃が短く、ドラゴンに致命傷を負わせるには至らない。
くそっ!! 心の中で大きく悪態を付きながらグレースは追撃の構えを取る。こうなったら何度でも切りかかる他ない。
「ダメだぁ! もう無理だぁ!」
ナイフから情けない声が聞こえた瞬間、グレースの体が後方に引っ張られる。何だ!? 敵の攻撃か!?
グレースは必死にその場に留まろうとするが、体が勝手に後ろを向き、ついには敵に背を向けて走り出してしまう。
「グレース!? どうしたのっ!?」
エルザが悲鳴に近い声を上げるが、グレースの足は止まらない。
「うおおおぉぉぉぉ……!」
勇ましい雄たけびとは裏腹に、グレースはすさまじい逃げ足でボス部屋から消えていった。
呆然とする仲間たち。ドラゴンまでが動きを止め、戸惑っているように見える。
一瞬の静寂の後、破壊衝動に目覚めたドラゴンが、眼下で動きを止めているエルザを足蹴にして吹き飛ばす。
そして再び、全てを呑み込むような大きな口を開き、炎を吐く体勢に入った。