「ねえ、ハナちゃん。ハナちゃんの干支って何年?」
ママとふたりの世界に浸っていたあおいおじさんは、思い出したように急に私に向き直る。背の高い彼は、成長途中の私にあわせて中腰になり、にこりと微笑んで首をかしげた。
「えーっと、うし年」
じっと見つめていた悟られたくなくて、私は咄嗟に視線を下方に逸らし、そっけなく答えた。床の木目の模様に興味があるフリをしながら、ちらりとおじさんを盗み見る。色素の薄い丸い瞳は、どの角度からでも輝いて見えた。
「僕と一緒だ。じゃあ12歳違いだね。先生は?」
私の答えをもとに、あおいおじさんは再度、ママの方に向き直った。
「ねずみ年よ」とママが胸を張る。
「じゃあ、僕と13歳違いだ。ほらね、先生と僕より、僕とハナちゃんの方が、年が近いじゃない。まだまだ僕も若いんだから、おじさんじゃなくてお兄さんと呼ぶべきだよ」
あおいおじさんは上機嫌のまま、一息で言い切る。
「大人の女性の年齢を暴いて楽しむのは素敵ではないわ。昔はそんな子ではなかったのに」
ママはまつげをこすりながら、小さく鼻で笑う。年相応の穏やかで落ち着きを払った言葉には、若者に向けての僅かな媚の響きが含まれていた。
「『わたしにとって、年齢なんて心底どうだっていいの。そんなもので煽てられても嘲られても、微塵も心を揺さぶられない。だって年齢なんて、これまでに経験した夜の数の多寡でし かない。単なる数値的なデータに不本意に縛られ続けるなんて、あまりに愚かなことに思うの』なんて、変に格好つけて豪語していたのは、先生でしょ?」
おじさんはママの口癖や仕草を模倣して、古い友人のように気安くからかう。鼻唄をうたいながらイヤリングの位置を直したり、小さくため息をつきながら髪をかきあげたり、物憂げに斜め下を見つめながらわずかに微笑んだり、そんなママの何気ない演技じみた癖を、おじさんは慣れた様子であげつらった。
「あら。そんな気障で台詞じみたこと、私が言うかしら」
「いつもそうだよ。田舎には似合わない、オーバーな表現ばっかりしてさ。先生は昔、女優志望だったでしょ?」
「情報が足りていないわ。女優志望で、歌手志望で、画家志望で、科学者志望で、社長志望だったわ。何者でもいいから、何かを成し遂げたかったの」
「あはは。そうだった。高校生のときは、県知事になりたいも言ってたよね。本当に先生は、昔から大きな夢を持つ人だったな」
ママとおじさんは笑顔で笑いあう。双方が自然に視線を向けて、自然な流れで口角を上げる。彼らのその狭い視野には、きっと私の姿は入っていなかった。
夕暮れどきの生ぬるい田舎道には、ママと私のふたりだけだった。それは紛れもない事実だった。けれど、ママの目的地はこの男の人だった。冷房の効いた明るいカフェで、3人で立ち話をしていると、自分がこの空間で一番不要な立ち位置にいることを悟った。重要度で言えば3人目、つまりはのけ者にされてしまった。それは被害妄想的な主観ではなくて、おそらく客観的な事実だった。
「あら。私ったら、メロドラマに生きる悲しいキャラクターみたい」
「そういう表現が、また気障なんだよね」
「だけど、そういうところも悪くはないでしょう?」
野心と自信と向上心に満ちたママは、優先順位をころころ変える。楽しそうに髪をかきあげる今のママにとって、静かで内気な一人娘の私の価値は、明るく楽しい相づちを打つ若い男の人にひどく劣っている。
「そういう生意気で相手を試すような態度は、自信家の若い女の人がするものだと思ってた。先生はもう随分な大人だし、もっと年相応に生きてもいいんじゃない?」
「男女問わず、自信家はいつまでも自信家のままに生きていくの。私は昔、端から見れば根拠のない自尊心に溢れた若い女性だった。数十年が経ち、称賛されるべき社会的地位を獲得することで、その自尊心の根拠を証明した。だから今は、自尊心に溢れた尊大な中年女性として認識されているはずよ」
「可愛げのない表現だなあ。『私の成功は、みなさんの手助けのおかげです』くらい、アイドルの人みたいに言えばいいのに。どんなに時代が変わっても、男性はそんなあざとさ好きなんだよ」
「私だって仕事相手には、それくらいの社交辞令を伝えられるわ。今はプライベートの時間なんだから、ここでくらい本音を話してもいいじゃない」
羨むべき社会的地位と一定の収入を持つママが、合理主義者かつ自立心が強くて尊大な自尊心を持つママが、あどけない少女に戻って笑っている。若く快活な男の人の前で。知る必要のなかったママの一面に触れ、表現しがたい感傷と失望が私の胸を埋め尽くす。