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第6話 7月25日。土曜日。午後。絵画のような田園のバス停と、ママの部屋の絵画

 セミも鳴けない晴天の猛暑。バス停に着いても、ママはいなかった。

 稲畑が一面に広がるバス停で、こんなところに何もないよと運転手さんに心配されながら、ひとりでスーツケースを下ろす。

 ポツンと佇むバス停の日よけの下。蒸し暑い木製のベンチにハンカチを敷いて座る。ポケットからスマホを取りだし、あくびをしながらホーム画面を開く。

 ”大変申し訳ないけれど、急に仕事が入ってしまったの。本当にごめんなさいね”

 そんな簡素なメッセージが、ママから5分前に届いていた。私はため息をつき、そのままスマホを操作して最寄りのタクシーを呼ぶ。

 しばらくして到着したタクシーに乗り込み、滝のように吹き出す汗を拭う。ママのマンションの住所を伝えると、タクシーは静かに緑の合間を進み出す。

 到着したママの新しい住まいは、よくある新興住宅の一角に建つ、無難なデザインの5階建てのマンションだった。玄関の郵便受けに入っていた鍵を引っ張り出し、ママの部屋へと入る。

 2LDKの部屋は、ママひとりではもて余すほど広かった。私のこの夏の滞在のために、ママは使っていない6畳間を1部屋空けてくれた。クーラー、布団、空気清浄機、クローゼットだけの簡素な部屋。それから、夏休み前に送ったいくつかの段ボールと、抱えてきたスーツケース。私はそれらから必需品を取りだし、最低限の生活空間を形成した。

 うだる暑さの昼は終わりを告げ、日が暮れ始めた。ようやくセミの声が大きく響き出す。

 することもなく、私はふらりとリビングに赴く。大型のテレビ、L字型のソファ、テーブル、ラグマットだけのシンプルな空間で、私はひとりであることを痛感する。

 手持ちぶさたの私は、リビングの中央に鎮座する大きなテレビをつけた。ローカル番組のリポーターが、農家の人が千切ったトマトを丸かじりして、心底幸せそうに感想を伝える。私もお腹が減って、ママの冷蔵庫を勝手に開く。予想以上に生活感のない、ほとんど空っぽの冷蔵庫だった。豚肉もケチャップも卵も牛乳もない冷蔵庫には、ビールと日本酒と干物のつまみと、それから贈答用の桃のゼリーが入っていた。

 ふと、テレビの奥の壁に目が留まる。真っ白の壁に、水彩画が掛けられてた。緑の田園の広がる、のどかで静かな景色。とりとめのない日常のワンシーンのような風景画は、荘厳な額に入れられ、宝物のように大事に飾られていた。

 テレビのチャンネルを適当に変えているうちに、ゼリーを食べ終わった。それでも時間を潰すことができず、私はママの寝室兼書斎へと足を踏み入れる。

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