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第31話:アメノウズメ作戦

 皆が学園祭の準備をしている頃、ゆかりは玄関の扉越しに野亥へと話しかけていた。


「―――って感じで、動物ふれあいスペースの準備も順調に進んでるっすよ。野亥ちゃんはどこか行ってみたいとこ、あります?」

「………………」

「あたしは創作料理の出店があるみたいなんで、それ行ってみたいっすね。あ、食べてばっかりじゃ太るんで、身体を動かせるところも行かないとっすねぇ~」


 野亥からの返事はない。

 ただ一方的にゆかりが話しかけているだけだが、扉の向こうにいる彼女に向けて喋り続ける。


「そうそう! 教室を休憩室にするんで、飾り物を作ってるんすよ。ワンちゃんとかネコちゃんじゃフツーすぎるんすけど、なんか面白い動物ってないっすかね?」

「………………」

「あっ! マーモットとかどうっすか? もっこもこで触り心地いいっすよ! うん、マーモットにしよう! じゃあもう帰るっす。明日もまた話しましょうね~!」


 マシンガンのように一人で喋り続け、台風のように去っていく。

 一言も喋らず、それでいて余計なことを聞いてこないゆかりの話は、野亥の精神を安定させるのに役立っていた。


 それでも、まだ野亥は部屋から出られない。

 彼女の心の中は様々な感情と思惑が渦潮のように荒れまわっているからだ。


 あの事件の翌日から、野亥は自分の記憶と心と向き合おうとしていた。

 確かに最初は"憎さ"しかなかった。

 そのあと"好き"という魔法が解かれてからの毎日を思い出す。


 父親の問題について話したことには、苛立ちがありながらも少しだけ見直した。

 ゆかりを助けたことには、少なからず感謝していた。

 母親が死んでいると聞いた時、わずかに同情した。

 愛を感じられない家庭生活を聞いた時、心がざわついていた。


 人殺しと呼ばれようとも、これ以上の犠牲者が出ないならそれが最高の結末だと言い切った彼の顔を見たときの無力感は今でも心の奥底にズッシリと残ってる。

 全部、全部……積み重ねてきた本物の感情だった。


 好きというには憎しみと敵意が強すぎた。

 嫌いというには憐憫と情愛が強すぎた。

 無関心でいるには――――過ごした日々と感情が重すぎた。


 では、彼との関係は一体なんだというのか?

 分からない。

 100万語以上もの日本語の中では定義できないものだから。


 神小のように作業で気晴らしができていないからこそ、野亥はこういった思考のドツボにハマり抜け出せなくなっていた。


 こんなこと、母親には相談できない。

 だから唯一の安らぎは、ゆかりが来た時間だけになっていた。


 そして翌日、同じ時間にチャイムが鳴る。

 またゆかりの怒涛のお喋りが始まるかと思いきや、今日は別だった。


「野亥さ~ん、お見舞いにきたよ~!」

「あはは……なんか、みんな気になってきちゃったみたいっす」


 ゆかりの気まずそうな声とは裏腹に、女子達の朗らかな声が扉越しに叩きつけられる。


「ねぇねぇ、結局保健室で何があったの!?」

「言ってくれたら相談にのるよ!」

「なんでも言ってね。わたし、口堅いから」


 十中八九、口が堅いという言葉は軽い人物が言うセリフである。

 もちろん野亥はそれを理解しているし、そもそも最初から喋るつもりがない。

 だからいつも通り黙っているつもりだった。


「あのぉ、その件については聞かないでほしいっす……」

「あ……ごめんね……ちょっと悪ふざけがすぎちゃった」

「神小くんも交えた三角関係だなんて、言えないよね……?」

「っ!?」


 野亥が思わず声をあげそうになったが、なんとか堪える。

 しかし、そんなことを知らない女子達はさらに燃料をくべていく。


「密室の保健室……野亥さん走って逃げた……こんなの、絶対に何かあったって言ってるようなものだもんね……」

「分かるよ、友達と好きな人と奪い合うのってツライよね……」

「嗚呼、ゆかりちゃんも野亥さんもなんて可哀相なの……これも甲斐性がない神小のせいよね!」


 野亥は"違う!"と声を大にして叫ぼうとする自分をギリギリのところで押しとどめていた。

 だが、それこそが女子達の作戦でもあった。

 人間、間違っている情報を聞けばそれを正したくなるものである。

 しかもそれが自分に関わっていることならば、なおさらだ。


 彼女達はあえて間違っていたり、誤解がありそうな情報を語ることで野亥から扉を開けさせようとしていた。

 天岩戸に隠れたアマテラスを誘い出す、アメノウズメを模した作戦であった。 


 彼女達も日常を歩み、その途中で失恋を味わったことがある。

 だからこそ閉じこもっている状態がよくないということをよく知っていた。

 閉じこもるよりも、ムリにでも外に出て感情を発散させなければならないと。


「あの、みんな!? 何か勘違いしてるというか……」

「で、ゆかりちゃんは告白したの? まだなの!?」

「一度でダメなら二度! 告白は何度したっていいんだからね!」

「もぉ~! なんでこっちに迫ってくるんすか!?」


 周囲で踊り続ける彼女達は、確実に野亥を天岩戸から引き出しそうになっていた。


「待て! 早まってはいけない!」「あいつはダメだ!」「そうだ! そうだ!」


 そんな場所に、酒樽にガソリンを詰めた馬鹿達がやってきた。


「女子は知らないだろ!? あいつ、ド級のムッツリなんだぞ!」「なんならちょっと救われない癖もある!」「というか男は皆そうだ!」「主語はデカいがその通り!」


 突然やってきて騒ぎだす男子達に、女子達が対抗する。


「ちょっと邪魔しないでくれる!?」「空気読め! だからモテないのよ!」「ってか、あとつけてたの!?」「信じられないんだけど!!」


「違う! おれ達は正しいことをしたいだけなんだ!」「善意! 圧倒的、善意!!」「モテないんじゃない、モテられないんだ!」「……それは同じじゃね?」


 喧々ごうごう……お祭り騒ぎどころではない。

 天岩戸の周りにガソリンをまいて着火し、ファイヤーダンスをしているようなものだった。


「あぁ、ああ~…………手がつけられないっす……」


 そんな惨状を前にし、ゆかりはあたふたすることしかできなかった。

 では、これを聞かされている野亥はどうか?


 状況をよく知らない者達が騒ぎ、神小が何をしたのかを知らない者達も騒ぎ……そして何より、自分の家の前で勝手に騒ぎ続けられ……。


 どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか?

 何がいけなくて、こうなってしまったのか?

 そもそも……誰のせいなのか?


 複数にも混ざり合い、形容しがたいモノを抱き続けていた野亥の感情が一色に染まる。

 怒りだ、怒りが彼女を突き動かした。

 野亥は玄関の扉を勢いよく開け放ち、それに驚き乱痴気騒ぎを起こすクラスメイト達は思わずしりもちをついてしまった。


「の、野亥ちゃ~ん!」


 ゆかりが思わず抱き着きそうになるが、ただならぬ気配を察知して一歩距離をとる。


「何も知らない人たちが、訳知り顔で語らないでください。殺しますよ」


 赤子ですら聞けば泣き止みそうな声で威嚇する。

 いや、威嚇ではない……声で人を殺せるなら、本気で殺すつもりの声色であった。


 流石に怯えた女子達がなんとかなだめようとする。


「あ、あはは~……ごめんねぇ~?」「野亥さんのことが心配で……ねっ?」「こんなに騒ぐつもりじゃなかったっていうか……」「何とか力になりたいなぁ~って……」


 苦し紛れの弁明を受け、野亥が一息つく。


「なら、今すぐ帰ってください。……すみません、お願いの形じゃ伝わりませんよね。帰れ、今すぐに。日本語が分からないなら英語で言いましょうか?」


 先ほどまでとは違い、冷徹な言葉でクラスメイトを突き刺す。


「はい! 帰ります!」「学校で待ってるから!」「学園祭、参加しようね!」


 これ以上はマズイと判断し、女子達はそそくさと立ち上がり逃げ去ってしまった。

 助かった……と、男子達は安堵する。

 だが見逃されるはずがなかった。


「女子の家に乗り込んでくるとか、付きまといで捕まることも考えられないんですか? それに人様のことを悪くばかり言うとか、誹謗中傷の罪もつきますね。教室じゃなくて独房で青春を終わらせてみますか?」

「ヒィっ! ご勘弁を!」「もう檻の中は嫌だぁ!」「帰ります! 今すぐ帰らせて頂きます!」「ご健勝をお祈り申し上げますっ!!」


 蜘蛛の子を散らすように男子達が逃げる。

 残されたのは、ゆかりだけであった。


「あ……ひ、久しぶりっす野亥ちゃん。元気でしたか?」

「……今の私を見て、元気に見える?」

「あはは……閉じこもってる時よりは、健康そうっすよ」

「扉越しなんだから、見えてないでしょ……」


 大きなため息と一緒に怒気を吐き出し、野亥が話す。


「もう帰って。それと、明日からもう来なくていいから」

「えっ? で、でも! あたしが来なくなったら――――」

「行くから、学校……学園祭前には、行くって約束するから」


 野亥の真剣な眼差しを見て、ゆかりは彼女の本気を感じ取った。


「うん、分かったっす。約束っすよ! また一緒に、学校で!」

「うん。それじゃあ、また」


 そうして朗らかな雰囲気で二人は別れた。

 もちろん野亥の怒りはまだ収まっていない。

 衝動的に物に当たりたい気持ちを抑え、何とか耐えようとする。


 すると、再び扉が開かれた。


「あっ、もう起き上がって大丈夫なの? なんだか騒がしかったけれど」

「母さん……うん、もう大丈夫。さっきまでクラスの人がお見舞いに来てただけだから」


 母親にあの現場を見られなかったことに、野亥は本気で安堵する。

 ただでさえ父親のことで心労をかけているのに、これ以上の負担は彼女も望んでいなかった。


「ねぇ、パパのことなんだけど……」


 そんな母親の口から、父親のことが出てきて身体に緊張が走った。


「ママ、忘れた方がいいって思ってたの。だからアナタにもパパが倒れたことも隠してた……ごめんね……」

「ううん、謝らないで。私が悪い子だっただけだから」

「悪いわけないわ! だって、別れたって親子だもの……忘れた方がいいだなんて、その方がよくないことよね……」


 ポツポツと、地面に涙が落ちる。

 今までせき止めていた悲しみが、ようやく流れ出たかのように。


「ごめんね……ママが弱くて、ごめんね……! でも、アナタが一緒なら……ママ、ちゃんと向き合うから……だから、もうちょっとだけ待って……お願い……!」

「うん……待つよ。母さんも、父さんも……大好きだから。信じて待ってるから」


 泣き崩れそうになる母親の肩を支えて、野亥が部屋まで連れていく。

 なんとかなだめて落ち着かせ、野亥は自分の部屋へと戻る。


 そして見ないようにしていたスマホを手にして、メッセージを入力する。

 99%の怒りと、1%の別感情を込めたメッセージを送る。

 全てに決着をつけるために、全ての元凶になった男へと。

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