それから数日が経過した。
ただ黙々と勉強する時間が経過し、神小も喋らずに誰かと過ごす事に慣れてきた。
今ではイマジナリー全肯定フレンドを作り、脳内で漫才をしていたりする。
ただ、その日は少し違った。
ゆかりが数名の友人を連れてきたのだ。
「野亥ちゃん~! あさちゃん達も一緒に勉強したいんすけど、いいっすか?」
「……うん、普通に勉強するなら構わないけど」
ちなみに聞かれていない神小は、控えめにいますアピールをしてみる。
「神小くんは優しいからOKするに決まってるじゃないっすか~!」
ゆかりに頭を撫でられ、神小が絶頂したかのような顔を浮かべる。
「それ、私が優しくないって言ってます?」
「ひっ!」
野亥の鋭い視線がゆかりと神小に突き刺さる。
一触即発の空気が漂うが、ゆかりはあっけらかんとした態度で答える。
「野亥ちゃんは優しい"だけ"じゃないっすからね~! そういうとこもカワイイっすよ?」
「はぁ……別にいいですけど」
照れ隠しで顔を背けてしまう野亥を、ゆかりがクスクスと笑う。
神小は取りあえず拝んでおいた。
たまたま廊下を歩いていた担任は祈りをささげた。
そしていつも通りの勉強会が始まる。
静寂の中で、黙々と教科書や過去問と向き合う。
もしも神小が沈黙に耐えられなければ、無理に新しく連れてきた女子生徒に話しかけ、逆に避けられていたかもしれない。
最初こそ女子生徒達も神小を見ておっかなびっくりとしていたが、真面目に勉強にと力む姿を見て、自分たちもと意識を勉強へ向けるようになった。
とはいえ、ずっと男子達と馬鹿をしていた神小は人に聞かなければ分からないことばかりである。
「あ、あのぉー……恐縮ですが、英語の例文のこれ……この単語群からこの文章になるの分からないんですけどぉ……」
いつものように恐る恐る野亥へと尋ねる。
しかし、いつの間にか花を摘みに席を立っており、そこにはいなかった。
困ったように今度はゆかりへと目を向けるが……。
「あ~……悪いんすけど、あたし英語苦手なんすよねぇ~……」
と、降参するポーズを取られてしまう。
あと残っているのは……ゆかりが連れてきた女子生徒達であった。
彼女達はまだ来たばかりで、自分には慣れていないと神小は思っている。
その推測は正しく、まだ神小への怖れを捨てきれていない。
けれども神小は、彼女達へ勉強について聞かなければならなかった。
ここで彼女達へ話しかけなければ、それこそ自分から距離を取っていると思われる。
歩み寄りというものは、お互いに歩んで初めて始まるものなのだから。
「ぁ……ぁにょ……あんにょん……」
なんとか話そうとするも、緊張しすぎて英語ではなく韓国語が出てしまう。
「ぇ……英語……ここ……ぉ……おし……おしえて……おしえてく……」
まるで人語をまともに話せない怪物、もしくは新手の妖怪のような片言である。
もしも外で知らない人へ同じように話していたら、通報されるか逃げられていたかもしれない。
だが……確かに彼は一歩を踏み出してみせた。
それに対して彼女達はどうだろうか?
最初は男子と一緒に馬鹿をする馬鹿という印象だった。
その後、ゆかりを助けたことで勇敢な男子だと思われるようになる。
そして例の事件……実際の場面は見ていないものの、人を殴り壊す音は嫌というほど聞こえていた。
もしもあの一件以来、性格が激変していて思い悩むようになっていればまだ同情できた。
逆に乱暴になったとしたら、そういう人間だと納得できた。
自分たちとは違うものなのだと理解できた。
だがアレは依然として変わらず、前と同じように談笑し笑っていた。
その気になれば人を殴り殺せるモノが、ヒトと同じようなことをしていることに強烈なズレを感じ、恐怖によって蓋をした。
ヒトを殺せるようなモノが、日常に紛れていることに耐えられないから。
そんな彼女達だが、もう一度……もう一度だけ目の前にいるモノを見つめなおす。
自分達よりも身体が大きく、力も強い男という生き物。
……だというのに、その表情はあまりにも弱々しい。
断られたらどうしようと目は怯えに染まっており、身体は子犬のように震えている。
「はぁ……はぁ………あぁ……っ……!」
もしも断れば、そのまま死んでしまうのではないかと思うほどに頼りなかった。
「…………ぷっ」
今までとは違いすぎる強烈なギャップに、思わず一人が吹き出してしまう。
「ちょ……ちょっと、わるいよ……ふふっ……!」
「くっ……そっちも笑ってんじゃん……!」
それにつられて他の女子生徒達も吹き出してしまいそうになるが、必死に我慢する。
その中の一人が神小へ近づいた。
「ご、ごめんね……? そこね、私も分からなくて……ちょっとスラングが入ってるみたいなの。ほら、ここね」
彼女はできるかぎり自然に近づき、その場所を指し示してみせた。
こうして一歩……お互いに歩み寄ったことで二歩、近づくことができた。
「ぁ……ぁり、ありがと……ありがとぉ……」
「化物になりかけてる人間みたいになってるっすよ」
もう大丈夫だと思い、ゆかりもその輪に入る。
本人も気付いていなかったが、神小は非日常に半歩ほど踏み込んでいた。
このまま進めば、日常に戻ることもできなかっただろう。
だが半歩だけであった。
まだ半分は日常の中にいて……戻ることはできる。
それを、歩み寄った彼女達が証明してみせた。
それを廊下で見ていた野亥は、誰にも見られずほのかに口元に笑みを浮かべた。
そしてタイミングを見計らって教室に入ると、先ほどまでの空気が一気に霧散して全員が黙ってしまった。
そこでようやく、自分がどんな役割を担っていたのかを思い出した。
「あの、別に少しくらい談笑してても怒りませんよ。普通にしててください」
ちょっと傷つきながらも、なんでもなさそうに言って席に座る。
そんな彼女へ、神小が嬉しそうに喋りかける。
「ほんと!? 喋ってていいの!?」
「あなたはもうちょっと黙っててください」
「ひぃんっ!」
そうしてまた、教室に笑い声が溢れるのであった。