その日の夜、神小は宣言通りにメールで勉強会に誘う。
催眠時の記憶がない野亥は、ひどく動揺していた。
突然の連絡ということもあるが、メールの内容が"一緒に勉強をしよう"というものだけではなく"皆から避けられてるんで助けてください!"という文も馬鹿正直に付けられていたからだ。
催眠によって記憶がしまい込まれるのでしっかり意図を説明したつもりなのだが、言われた本人は混乱するに決まっている。
なんなら、更に何か裏があるのではないかと悩んでいたくらいだ。
それでも初めての……記憶がある状態での、初めてのやり取りである。
どうして自分なんかに連絡したのか、助けるといっても何をすればいいのか、何を期待しているのか、期待されているのか――――。
色々と聞きたいことを我慢しながら悩み抜き……最終的に、催眠された自分が予想した通り、野亥はその勉強会の提案を受けることにした。
なお、返信メールの文章を色々と書いていたが、何度も消して結局はとても短い文で返していることは彼女だけの秘密である。
そして翌日の放課後、さっそく勉強会を始める為に集まったのだが……。
「……あちゃ~」
「はぁ~………」
ゆかりはやっちまったと言わんばかりに額に手を当て、野亥は大きなため息をついた。
それもそうだろう、神小はメールと個別に送った。
つまり、二人とも自分だけが頼りにされたと思っていたのに、実は他の女……友人にも声をかけていたのだから。
例えるならば、"キミが必要なんだ!"と頼まれ浮かれていたら、実は別の女子にも同じことを言っていて、それが仲の良い友人だった時の気分である。
時と場合によっては浮気だと思われ、刺されてもおかしくない事態だが、そもそも付き合ってないので無効である。
「え……えー……俺、なんかやっちゃい……ましたぁ?」
「別に。でも、他の人も誘ってたなら教えてくれてもよかったと思いますけど」
「ま、まぁまぁ。賑やかでいいじゃないっすか!」
一対一なら懇々と詰められるシチュエーションなのだが、そんなことをしたら自分が勝手に浮かれていたと認めるようなものなので、二人はさらっと流すことにした。
なんにせよ、昨日の野亥が言っていた通りに三人は≪催眠アプリ≫なしに歩み寄ることに成功したのであった。
そしてそのまま勉強会が始まったのだが……。
「「「……………」」」
全員が黙々と勉強する。
発せられる音は教科書やノートを捲る音と、シャーペンで書き込む音だけであった。
「あ、あのー……」
沈黙に耐えられず、神小が恐る恐る発言する。
「勉強に関係あることですよね?」
「うっす……ここの数式、分からないんです……」
「どうぞ」
ぶっきらぼうに野亥は数学用のノートを開き、中身を見せる。
中身は相当に書き込まれており、神小の頭では半分も理解できなかった。
「すんません、どこら辺見たらいいか教えてもらえると……」
「……ここです。分かりましたか?」
野亥が近づき、分かりやすく指さす。
いつもの神小ならば心の中で小躍りするどころか顔にも出ている状況だが、この空気の中で素直に喜べるほど鈍感ではなかった。
「っす……あざっす……」
そして再び場を静寂が支配する。
ゆかりに聞けばもう少し柔らかい雰囲気になるのだが、そちらにばかり聞けば絶対にロクなことにはならないと本能で察知していた。
どれだけ鈍感な男でも、これだけ女性関係のトラブルに巻き込まれれば少しは察せるようになるのだ。
問題は察する力が弱すぎたが故に、こんな事態を招いたことなのだが。
結局、その日は勉強が捗っただけで終わってしまった。
良いことではあるのだが、神小は本当にこれでいいのかと思ってしまった。
翌日……三人が一緒に勉強をしていたことがクラスに広まる。
とはいえそれだけで何かが変わることはない。
せいぜい、放課後に茶々を入れる誰かが来る程度だろう。
「「「「神小くん、まーぜてッ♪」」」」
馬鹿が群れでやってきた。
この時点で教室内の知能指数はガクンと下がってしまった。
「お前ら……」
とはいえ、神小にとっては救いの手でもあった。
一言も喋らないで過ごす時間は、むしろ付き合ってくれた二人にも悪いと感じており、これで少しは賑やかしになると思っていたのだ。
だが、ここでゆかりがストップをかけた。
「あの~、本気で勉強する気ってあるんすか?」
「はい! あります!」「溢れるくらいに!」「ちょっと零れました!」「漏らしました!」
いつも通りの馬鹿さ加減に、神小が頭を抱える。
「すんません、ふざけてるように見えるけど本気っす」「こっちの馬鹿、避けられてるっしょ?」「賑やかし役くらいはね」「人が多いほど他の奴も混ざりだろうし」
意外にも、真面目な理由だったせいで、神小の情緒がちょっとおかしくなりかけた。
そんな男子生徒達を、野亥が鋭い目で値踏みする。
思わず一歩後ずさってしまうが、そこでとどまることはできた。
「……分かりました。けど、今は駄目です。諦めてください」
男子達は半ば予想されていた答えに、ガックシと肩を落とす。
そんな男子達に、野亥が理由を説明する。
「この勉強会は中間試験の為ですが、神小くんがまたクラスに馴染めるようにする為でもあります。もしもあなた達が加われば神小くんのグループと見られ、他のクラスメイトは余計に輪に入れません」
そう、この勉強会の一番の目的は神小が……いや、このクラスが再び以前のように過ごせるようになることである。
野亥は催眠時の記憶はないものの、どうすれば神小の為になるのかを必死に考えて、この結論を出した。
神小のグループに、皆が入るのではない。
皆のグループに、神小が受け入れられるようにしなければならないと。
だから彼らの優しさは、逆効果になると考えたのだ。
「もっと人が集まったら、一緒に勉強してもいいです。でも、もう少しだけ待っていてください。お願いします」
「「「「え"っ!?」」」」
そう言って頭を下げる野亥を見て、全員が目を見開いた。
唯我独尊というほどではないにしても、野亥は人を寄せ付けようとしていなかった。
そんな彼女がいつの間にか神小と関わり合うようになり、他のクラスメイトとも話すようになった。
それだけでも驚くべきことだったが、今度は神小の為に頭を下げた。
今まででは考えられないような事態を目の当たりに、全員が言葉を失った。
「どうか、今だけは私達を信じてください。お願いします」
「あ~……あたしからも、お願いするっす」
トドメと言わんばかりに、ゆかりまで頭を下げてしまう。
こうなっては男子は頷く以外にできることはなかった。
「これが……NTR!?」「騙されてもいいって、こういう気持ちなんだなぁ」「まぁここまで言われたらなぁ……」「忘れないでね? 誘ってね? ハブらないでね!?」
いつもの面子は納得して教室を出ていく。
ここでようやく、神小は二人が本気であることを理解できた。
そして≪催眠アプリ≫を使わず、初めて二人の本心と優しさに触れ、なんだか少しだけ嬉しかった。