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第23話:小さくて大きな一歩

 ≪催眠アプリ≫によって嫌でも断れない頼み事をされた二人。

 いの一番にゆかりが挙手した。


「はい! はいっ! ≪催眠アプリ≫使えば解決すると思うっす!」

「いやぁ、難しい……っていうか皆の態度が一気に変わったら、絶対に怪しまれそう」


 神小の懸念は当たっていた。

 確かに怯える感情を消せば一発で解決する。

 だがクラス外の人物からすれば違和感しかない。


 もしも友人などが"急にどうしたんだ?"と聞かれても、その人物は答えることができない。

 かつて神小が"自分の良い所を教えて"と命令した時、野亥が答えられなかったように、存在しない答えは返せないのだ。


 そうなればその綻びから勘繰られ、その人物を催眠すればまた綻びが生まれ、また別の人間が……と、キリがないのである。 


「う~ん、≪催眠アプリ≫も意外と使いにくいんっすねぇ~」

『女、≪催眠アプリ≫は万能だ。訂正しろ』

「そのせいでこんな事態に陥ってるんすけどねぇ~」


 無意識なゆかりの言葉が流れ弾となって誰かに当たったが、気にせず野亥が話す。


「真面目にコミュニケーションをとって、改善してくのが一番だと思いますが」

「無理だって! だって最初から距離とられてるんだよ!? 話しても怖がられるだけだって!」

「最初から諦めてどうするんです? やりたくない理由だけを探しているように思えるんですが」

「もるすぁっ!?」


 神小の心にダイレクトヒットしたが、意外なことにゆかりがフォローした。


「いや~野亥ちゃんの言いたいことも分かるっすけど、今回ばかりは神小くんが正しいっすよ」

「…………そんなに?」


 不思議そうな顔をする野亥に、ゆかりが黒板で絵を描いて説明する。


「ヘビが撫でられようと思って近づいても、皆逃げるっすよ。もちろん噛まれなくても、皆はどうしたら噛まれないかしか考えないから、歩み寄りなんてムリっす」

「俺、ヘビ扱いなんだ。じゃあコスプレしたらワンチャン……?」

「擬態して近づいてると思われて、余計に距離とられるっすよ。ともかく、相手側から近づこうって思ってもらわないとダメなんすよ」


 黒板に書かれたヘビは予想上に大きく、人を丸呑みするようなモンスターにされてしまった。


 その後、色々な意見は出たものの、どれも実行が難しいものや効果が見込めないものばかりであった。

 そろそろ諦めることも考えるべきかと思い、疲れた声で野亥が尋ねる。


「はぁ…………そんなにクラスの皆と仲良くしたいんですか?」

「そりゃあね!? 嫌われるよりかは好かれたいもん!」

「別に、誰も彼もに好かれなくても私達―――――」

「それに、クラスの皆が俺のせいでずっと怖がって学校生活送るとか嫌じゃん。まだ何年もあるのに皆をずっとビクビクさせちゃったら、可哀相だよ」


 それを聞き、女子達は目を見開いて彼を見た。


「え……もしかして、その為なんすか?」

「いや、俺の為でもあるよ。ただ、俺は我慢できるし納得できるけど、他の人はキツそうじゃん? だから何とかしたいなーって」


 嫌われているから、怖がられているから好かれたい。

 それは当然の感情である。


 だが目の前の男子は、それよりもクラスの皆のことを考えていた。

 まだ付き合いが短い間柄であるにも関わらず、自分よりも他人のことを優先した。

 自分が独りでも平気だからといって、他人もそうだとは限らないから。


「もう転校しかないかな? あー、でも金かかるしとーちゃん反対しそうだなー」

「ほんとうに――――――救えない人ですね、あなたも」

「なんでいきなり罵倒されたんですか!? ご褒美とかそういうのですか!?」


 野亥の脳裏に、かつての父の姿がよぎる。

 何とかしたいという気持ちが湧き上がるが、気持ちだけでは良い案は浮かばない。


「う~ん……あたしも何とかしてあげたいっすけど、ちょっとこれ以上はムリっすねぇ。幸いもうすぐで中間試験でみんなスグ帰るし、期間中は案を考えません?」


 ゆかりの提案に、野亥が大きく手を叩いた。


「ゆかり、ナイス。それを利用しよう」

「へ? 中間試験をっすか?」

「うん。中間試験まで教室で勉強会をして、真面目なところを見てもらうの。少なくとも、何もしないでいるよりもずっと良い」


 しかし、神小は不満げな顔をして挙手をした。


「あのぉー……俺が勉強会するって呼び掛けても、誰も集まらないとおもうんスけど……」

「はい、知ってます」

「知ってます!?!?」

「だから最初はこの三人で教室で勉強して皆に関心を持ってもらい、どんどん人を集めていく予定」


 次にその案に疑問を持ったのは、ゆかりだった。


「じゃあ結局、誰が旗振りするんすか? あたしか野亥ちゃん?」

「ううん、神小くん」

「え~? あたし達が誘った方が簡単じゃないっすか?」

「それは無理。だってあなた…………催眠が切れた状態で、誘える?」


 野亥の真剣な問いを受け、ゆかりはしばし考えた後、気まずそうに口をつむいでしまった。


「うん……無理だよね。だって、私達だって怖いって思ってるから」


 神小のことを憎いと思い、好きだと催眠され、その後も様々な感情を抱いてきた。

 そんな野亥であっても、神小への恐怖は根深いものである。

 まだ付き合いが短いゆかりでは、その恐怖を克服するのは困難だろう。


「じ、じゃあ≪催眠アプリ≫で誘うように仕向けるとか……」

「それはダメ。歩み寄りっていうのは、お互いに歩まないといけない。だから最初の一歩だけは、絶対に神小くんじゃないといけない」


 野亥が顔を向けると、神小は仕方がなさそうな顔をする。


「まぁー……≪催眠アプリ≫で誘ったら絶対に受けてくれるようにすればいいかぁ」

「ううん、今回は≪催眠アプリ≫使わないでください」

「ほわあぁぃっ! なんでぇ!?」


 声が裏返るほど驚く神小に、野亥は淡々と説く。


「≪催眠アプリ≫を使ったら悩まない。怖がってるはずなのに受けてしまう。それは絶対、後になって不審に思う。そうなったらまた面倒なことになるかもしれません」

『フン、ならばまた≪催眠アプリ≫で帳尻を合わせればいい。≪催眠アプリ≫は万能だ。その程度のこと、容易いことよ』


 ここで聞くことに専念していた開発者が口をはさむ。


「じゃあ≪催眠アプリ≫が使えない時はどうするんですか? ≪催眠アプリ≫ありきで行動していたら、≪催眠アプリ≫なしじゃ何もできなくなります。そしていつか必ず、破綻するでしょう」


 しかし野亥はそれを一蹴した。

 開発者も≪催眠アプリ≫の有用性を証明したいが、積極的に破滅させたいわけではない。

 結果的に滅ぶならばともかく、勝手に自滅されるのは避けたかったので、溜息をはいてまた沈黙することを選んだ。


「……で、どうですか。あとはあなたが承諾すれば話は終わりなのですが」


 野亥が神小へ話を振るも、本人は床に倒れていた。


「へ、へへっ……二人とも……俺の事、怖かったんだ……そうだよね……うん、わかってたよ」

「分かってたって態度じゃないっすよ……」


 先ほどまで普通に喋っていたことから、もしかしたら二人だけは違うかもしれないと思っていた。

 だからこそ、その反動は大きかった。


 そんなダメージを受けている神小を、野亥が見下しながら語り掛ける。


「あなたが悪いとは思ってません。ただ、それだけのことをしたということは自覚してください」

「うぐぅ……!」


 やれやれといった感じで神小は起き上がり、問いかける。


「でもさ、俺が怖いなら誘っても断られるんじゃない? いや……逆に怖いのに無理して受けられた方が俺キツいんだけど」


 神小の指摘はもっともである。

 怖がっている人物から誘われれば、普通は断る。

 そして断れば何かされると思われて受けられれば更に空気は悪くなり、本末転倒だ。


 そんな神小の指摘に、野亥はどう返答しようか思案する。

 理屈ならばいくらでもつけられるが、それは真実ではない。

 だから彼女は今まで一度も使ったことのなかった方法で説得する。


「確かに、いきなり誘われたら怖いかもしれません。悩むと思います。けれど、絶対に最後は納得して了承します。信じてください」

「いや、信じてって言われても……」

「お願いです、信じてください」


 信頼の強要。

 それは自分の無力さを曝け出すものであった。

 恐らく彼女にとって、家族にも見られたくない恥部だろう。


「これだけしか言えないのが、歯がゆいですが……」


 それでも彼女は懇願した、自分を信じてほしいと。

 ≪催眠アプリ≫がなくとも、自分は絶対に彼を見捨てないと……今までの積み重ねから確信していたから。


 そんな差し出された剥き出しの信頼を前に、神小はとてつもなく悩む。

 そして…………残念そうに首を横に振った。


「本当にごめん……無理」

「……そう、ですか……」


 野亥は俯くが、予想していたものでもあった。

 今まで信頼させる為の行動と積み重ねを行ってこなかった自分が、急に都合よく信じてくれと言ったところで、"どの口が"と思われても仕方がないから。


 だが、神小の答えは全く違うものであった。


「だってさ、信じて駄目だったら野亥さんが嘘つきになっちゃうじゃん?」


 あろうことか、信じて裏切られる事よりも、裏切ってしまった相手の事を考えた答えだった。


「だから、野亥さんのことは信じない。信じないけど……頑張って俺から誘うよ」

「ッ!」

「歩み寄りっていうのは、お互いに歩まないといけない……でしょ?」


 その言葉は、確かに彼女たちの心を震わせるものであった。

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