画面の向こう側にいるゆかりは、他の学生と一緒に撮影しつつ、されながら楽しそうに帰っていた。
「任せて、ゆかりさん! 模倣犯が現れたら、マジで本気出すから!」
「あははは! そうなったら暴行事件の目撃者になっちまうっすよ~」
格闘技の部活に所属している男子高校生が三人に、女子二人。
凶悪犯が誰かを襲うとしても、わざわざこの集団を狙う理由はないだろう。
他愛のない話題で笑い合う日常。
その日常は、影より来る手により壊される。
「きゃあっ!?」
物陰から伸びた手が、女子生徒の腕を掴みそのまま引きずり込む。
「お、おい! 追いかけるぞ!」
「警察! 警察にも連絡しろ!」
運が良いか悪いかはさておき、連れ去りの現行が配信中に発生した。
スグに警察も駆けつけるだろうという判断から、男子生徒たちは犯人を逃がさないように走り出す。
そしてゆかりも、それにつられて後を追ってしまった。
「待てっ! 止まれェ!!」
怒号を上げてアドレナリンを分泌させながら、男子生徒たちは走り続ける。
返り討ちにあうという考えには及ばない。
なにせ隣には頼りになる仲間がいるのだ、問題があれば止めてくれるはずだと考えていた。
問題があるとすれば――――隣にいる者達も全く同じ考えであり、全員が自分で考えることを放棄していたことだ。
いくつもの路地を通り、道なき道を走り抜け……彼らはとうとう追いついてしまう。
地面には引きずり回された女子生徒が転がっており、その傍らには影で顔が見えない筋肉質の男が佇んでいた。
「ウッ……!?」
思わず恐怖で息をのむ生徒達。
女子生徒は引きずられたせいで全身のいたるところに痛ましい傷跡がついている。
だが、それすら目に入らなかった。
口からは泡を吹き、眼球は壊れた玩具のようにせわしく動く。
身体は電気ショックが起きているように跳ね、その度に地面にできた水たまりが音を鳴らす。
おおよそ、生きている人間だとは思いたくないような悲痛な惨状であった。
地面で実験動物のような挙動をする彼女から視線を外せず、動けない。
この異常事態を生み出した男以外は。
男はゆっくりと一人の男子生徒に近づいていくが、その生徒は動けなかった。
もしかしたらこの人も目撃者なのかもしれない、ただの通りすがりなのかもしれない……その願いは、顔面に叩きつけられた凶悪な拳によって打ち砕かれた。
「オキラク観光気分かオイィ!!」
「あ……あァっ!? うあアわァ!?」
勢い任せで殴られたことで、男子生徒が身体ごと地面に叩きつけられる。
顔から流血しながらも立とうとするが、男の足がそれを許さなかった。
「女ァばっかり見て挨拶もナシか!? コレだからシツケのなってねぇガキはよォ!!」
男はまるで空き缶を潰すかのように、男子生徒を踏みつける。
何度も何度も何度も何度も―――――。
まだ中身が残っていた缶ジュースのように中身の液体がボコボコと流れ出るが、それでも止まらない。
ヘドロのように吐き出された湖の中に沈んだ頃、ようやく作業が終わった。
わずかな痙攣しかしなくなったことを確かめた男は、次の獲物となる者へと足を向ける。
普通ならばここで皆が我を忘れて逃げるだろう。
だが、誰も動けなかった。
日常という日々にどっぷりと浸かり過ぎてたが故に、目の前で起きていることが現実だと認識・体感できない。
テレビの向こう側を見ているようなフワフワとした感覚が頭を支配し、意識を非日常へとスイッチすることができなかったのだ。
そうして非日常という時間の中で動けなかった彼らへと、男は猛々しく近づいて行った
そこでようやく、ゆかりはその男の正体に気付いてしまった。
「………ぁ…………ぅ、そ………」
「オッ? オレのこと覚えててくれたの? ウレシィーじゃんかよォ!」
ケタケタと笑うその男は、かつて彼女を裏路地へと連れ込もうとした男だった。
≪催眠アプリ≫によって気絶した男は、すぐさまその場を離れたことで警察から逃れた。
だが、その現場を同類たちに見られていた。
無法者の群れの中でこそ、面子というものは大きな意味と価値がある。
どれだけ男が強く、金を持っていようとも、"ガキに一発でノされた腰抜け"というレッテルが付きまとい続けるのだ。
表社会でも、裏の無法地帯でも取り返しのつかない一生の傷をつけられた男。
覚えているのは、催眠時間によってわずかに消され損なった女の顔だけ。
だから男は原因になった奴らに、一生消えない傷をつけてやることにした。
その為にあらゆるものを利用し、関わるもの全てにも同じように消えない傷跡をつけていったのだ。
男が、ゆかりへと手を伸ばそうとする。
だが非日常へと一度だけ足を踏み入れた彼女は、咄嗟に振り向き走って逃げる。
それは正しい選択だった。
「ひぃっ! ギャアアァ!?」
後ろから響き渡る絶叫に、思わず足を止めてしまう。
恐る恐るその悲鳴のもとへ視線を向ける。
大きなナイフで耳を貫かれた友人が、涙があふれる目で助けを求めていた。
「逃げたら殺す。コイツら全員」
ゆかりは足を止めてしまった。
それは間違った選択だった。
「よかったなァお前~! あのカワイコちゃんのおかげですんだぞ、ありがとうって言ったらどうだァ~?…………おい、言えよ」
「~~~~~~ッ!?!?」
男がグリグリとナイフを動かす度に叫ぼうとするが、首を絞められており声になっていなかった。
目の前で起きる凄惨な場面に、最後の一人となる男子がライブ配信を行っていたスマホを落す。
「おいおい、ちゃんと撮れよ。お前らの一生の思い出になるんだぞ? 絶対に忘れられさせない―――――キズモノにしてやる。拾え」
男子生徒は身体を震わせつつ、命令されたロボットのようにスマホを拾おうとする。
だが震えすぎているせいで、何度拾ってもすぐに落としてしまった。
「アァ~~! なぁ~んでスマホを拾うって簡単なこともできねェのかなァ!?」
男は手に持っていたナイフで耳を抉り、もう片方の耳へと突き刺さす。
飛び散る鮮血が、ゆかりの頬へと飛び散った。
「ア? あぁ、カワイソ~! せっかくのキレーな顔が汚れちゃったねェ~?」
男の優しく諭そうとする声色が、異常さを際立たせる。
「ヒッ……ヒュ………ハッ………ヒィッ………!」
底知れぬ恐怖と未知のおぞましさは、ゆかりのキャパシティを超え、喉からは悲鳴にもならない空気の抜けるような音しか鳴らなかった。
「ダイジョーブだって、キミは殺したりしないって。ほんと殺さない、絶対に殺さない殺すことだけはしない約束するよ――――それ以外のことは全部やる」
男の魔の手は、遂にゆかりへと伸びてしまう。
警察はまだ来ない。
大勢の無意味な通報と、誤情報による混乱が足を遅らせていた。
間に合うとするならば――――最初から真っ直ぐに、一切を顧みず走り続けた者だけだった。
「おおおおぉぉあああああぁぁ!!」
わざと注意をひくよう、声帯が千切れんばかりの雄叫びをあげて神小が突撃する。
「アァ~?」
男は面倒くさそうに、目論見通り神小へと顔を向ける。
その瞬間、男の顔が豹変した。
記憶操作の時間からわずかにはみ出たゆかりならばともかく、男は神小のことを覚えていない。
だが、感情までは消えていなかった。
一目見た瞬間、溢れ出す殺意が男を支配する。
「オメェかクソガキャアアアア!!」