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第7話:≪催眠アプリ≫の悪用

 さて、放課後は定例の≪催眠アプリ≫の会……とはならなかった。


 野亥が父親の遺品を整理しに行ったという理由もあるが、もっと大きな問題があったからだ。

 休憩時間の後から、神小はどうにも監視されてるような感覚があったからだ。


「えぇー……これ、絶対に気のせいじゃないよなぁ……」


 無論、自意識の過剰という線も十分にあった。

 新しい髪型やファッションを試す時に"皆に見られている気がする"と相談した際、"お前が思う以上に他人はお前を気にしてない"と言われて心にささくれが出来たことは、彼の記憶に新しい。

 しかし、負の方面に関する察知能力だけは日々研がれており、今回はそれが正しく機能した。


 ゆかりは友達と会話をしている時も、授業を受けている時も神小の様子を観察していた。

 本人はさりげなくといった感じだったが、どうしてもちょっとした視線や距離がいつもと違う。

 毎日モテたいと思い、女子の一挙手一投足を敏感に感じ取る神小に、そこを察知されたわけである。


「俺、なんかしたかなぁ………したか……思い当たるフシしかなかったわ」


 野亥を≪催眠アプリ≫で操ったり、未遂とはいえエロいこともしようとしたのだ。

 無罪を主張するのは憚られた。


 さて、疑われているのであれば≪催眠アプリ≫で一発解決!

 ……と思うのが普通だが、神小は一番最初にその方法を除外した。

 何故なら"使えば必ず失敗してバレる"と確信していたからだ。


 そもそも失敗する人間は"はい、私は失敗します!"と思って失敗するわけではない。

 "自分は大丈夫!"と無根拠に思い込むことこそが失敗への舗装路である。


 そもそも一番最初に≪催眠アプリ≫という安易な手段を行使しておいて失敗し続けているのだ。

 "今度こそは大丈夫!"とは思えなかった。


「……いや、待てよ? ここでイケメンムーブをしたら、監視してるゆかりさんはそれを見て噂を広めてくれるのでは……?」


 そう考え、神小はあえてゆかりを放置することにした。

 ちなみに疑われているが故に色眼鏡で見られ、逆に悪評が流れるかもしれないという考えには至らなかった。


 至るのであれば、ここまで手遅れな男にはならなかった。


 そうして下校時間になり解放されるかと思いきや、ゆかりはまだ神小を追跡していた。

 最初こそはモテる女子に見られてウッキウキだった神小も、逆に時間を無駄にさせてしまって申し訳ないという気持ちが勝ってきた。


 そんな神小の意味の分からない気づかいなど、ゆかりは知る由もない。

 さて、そもそも彼女はどうしてここまで神小を追うのか?


 ゆかりにとって、野亥は小さな頃からの大切な友人である。

 だからこそ気になっていた……彼女の手にあった傷が。


 正論で人を刺してしまうことはあれど、人や物にあたることは一度もなかった。

 そんな野亥の手に、不自然な怪我があった……それは、手がかりとなる神小を疑うのに十分な理由だった。


 ゆかりは神小を追い続け、知らない道から路地へと通り抜けたところで、神小を見失ってしまう。


「えっ……えぇっ!? どこに消えたんすか!?」


 地元民しか知らない通り道を使われたことで、彼女の追跡劇はここで終わり。

 右を見ても左を見ても知らない道……取り残されたゆかりは、途方に暮れるしかなかった。


「はぁ~………しょうがない、帰るしかなさそうっすね」


 そうして彼女は来た道を戻る……いや、戻っているつもりだったが、徐々におかしな方向へと進んでしまう。

 尾行することに専念しすぎたせいで元の道が分からず、とにかくあちこちに移動してしまい……地元民でも避けるような場所へとたどり着いてしまった。


 そこはとにかく素行が悪い人物が集まる場所であり、何か事件があれば必ず警察が調べるような場所。

 まだ日は高くほとんど人もいないが、その独特な空気感は、ゆかりがすぐに逃げようと思えるくらいには濃いものだった。


「あれぇ? キミ、もしかしてお客さん? こんなに早く来ちゃうだなんて、せっかちチャンだ」


 引き返そうとしたところ、角から出てきた筋肉質の男に遭遇してしまう。

 ゆかりは悲鳴をあげるのをなんとかこらえ、必死に穏便にこの場をおさめる方法を考える。


「あ~……実は人探しをしてて……」

「そうなんだぁ。教えてくれたら、おにーさんも一緒に探してあげるよ」

「いやいや~……どうもいないっぽいんで、失礼させてもらうっす……」

「……探してる子って、もしかしてキミくらいの女の子だったりしない?」


 一瞬、脳裏に野亥の顔が浮かび動揺する。

 その隙に、ゆかりは男に手を掴まれた。

 こんな場所にいるはずがないと思いながらも、野亥に起きた謎の事態に関係しているのではないかと意識をとられたのが失敗であった。


「実はオレ、知ってるんだよ。ほらほら、案内してあげるからさぁ」

「……別に、探してないっす……離してくれないと大声あげますよ……!」

「えぇー! 一人じゃなくて、皆で楽しみたいって子なの? ウーワ、積極的じゃん」

「……っ!?」


 この場で助けを求めたところで、やってくるのはこの男と同類の人間だけである。

 つまり、この場に来た時点で終わりだったのだ。


「大丈夫だって、優しくするから。ほんとマジで泣かせないって、約束するから」

「……ゃ………ぃ、ゃ………っ」


 必死に抵抗するゆかりだったが、男に力で勝てるはずもなく、むしろその男の機嫌を損ねるだけであった。


「だ………だれか………た、たすけてぇ………!」

「はああぁ………面倒な女だ。こんなとこまで来る馬鹿がいるわけねぇだろ」


 確かに、そんな馬鹿はいない。

 来るのは大馬鹿者だ。


「いるさっ! ここに馬鹿がっ!!」


 神小はスマホを投げ、男の足元へと滑らせる。

 いったい何が……と、男が目を向けたその視線の先には、起動済みだった≪催眠アプリ≫の画面が表示されていた。


 催眠状態となったせいで男は無防備な状態となり、神小はその隙に一気に近づき――――。


「気絶してろぉっ!」


 神小の拳と命令が、鈍い音と共に男へ叩きつけられた。 

 フラリと男はバランスを崩して倒れ、神小は茫然としているゆかりの手を掴みその場から走り去った。


 走って、走って、走り続け…………頬を染め上げて息が上がっている彼女を見て、足を止めた。

 普段の彼であれば"エロい!"と思うところだろうが、ギリギリの間一髪の状態でそれを考えるだけの余裕はなかった。


 「ごめん、ごめん。疲れるよね。ところで大丈夫そう? 怪我とかない?」


 心配して尋ねるも、ゆかりはぽーっとした表情を向けるだけで、返事はなかった。


「ちょっとー! ほんとに大丈夫ー!? 病院とか行っとくー!?」


 彼女を正気に戻そうと必死に肩をゆするが、何の反応もない。

 神小が本気で救急車を呼ぶべきか迷っていた時、後ろに誰かの気配がした。


「…………ねぇ、なにしてるの」


 そこには、怒気をはらんだ野亥が立っていた。

 レンタル倉庫からの帰り道、聞きなれた声が聞こえたので近寄っただけなのだが……それは両者にとって最悪のタイミングだった。


「ちっ、ちがうんです! ちょっと路地裏で手を取ってあんなことやこんなことがあったけど違うんです!」

「何がどう違うのかわからないんだけど」


 野亥の怒気が強くなる。

 様子のおかしい友人と、関わりがほとんどない男子生徒が、息を切らせて一緒にいるのだ。

 不穏な考えが頭をよぎっても仕方がない。


 神小は必死に頭を働かせ、この場を切り抜ける策を巡らせる。

 結論は…………"不可能"という慈悲もクソもないものだった。


「あー! 俺ちょっと警察いかないとなー! 野亥さんって、ゆかりさんと友達だよね!? じゃあちょっと頼んでいいかな、いいよね! それじゃあ、また明日!」


 結果、一方的に早口でまくしたて、丸投げした。

 彼がモテない理由が、また一つ積みあがった瞬間だった。


「あっ、ちょっと――――」


 野亥が呼び止めようとするも、既にその背中は遠く追うことはできない距離だった。


「はぁ…………ほんとに何があったの?」


 若干の安堵をこぼしながら、野亥は未だ頬を赤らめている友人に呟いた。


 そして逃げた馬鹿は、走りながら後悔していた。


「あー! あー! 使っちゃったぁ! 使わないって決めてたのにさぁ!!」


 使えば使うほどバレる確率が高まると、そう理解していながらも≪催眠アプリ≫を使ったことを死ぬほど後悔していた。

 どうして使ってしまったのか……答えは簡単だ。


 誰かを助けて良い人間になろうとしているわけではない。

 自分のような価値のない人間であろうとも誰かを救うことができるという、声なき主張であり、証明する生きざまであった


 もちろん本人はそんなこと気づいていない。

 恐らくこれからも気づかないまま、不器用に独りで生きていくことだろう。


『≪催眠アプリ≫の起動があったから確認してみたが、男に使うとは……もしや女は諦めて男にするつもりか?』

「ちっがぁーう! 俺はノーマルだよこんちくしょー!」


 もしも彼の運命を変えるとするならば……。

 それは≪催眠アプリ≫ほどの、強引な起爆剤が必要だろう。

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