翌日、夕暮れの光が差す教室に、再び一人の女子生徒と男子生徒……そしてスマホから覗く部外者の目があった。
「よかった、本当に野亥さんの記憶消えてた……」
『どんな馬鹿でも使えるアプリだと言っただろう。これくらいは想定の範囲内だ』
神小も学校に来る際、野亥が昨日のことを覚えていて通報していたのではないか、もしくは直接何か言われるのではないかとずっと挙動不審であった。
たまに不審な目を向けられたことで驚き戸惑ってはいたものの、それは挙動不審のせいであり、クラスメイトのほとんどはいつものことだとスルーしていた。
「……で、これからどうするんスか」
『可哀相だから抜けないと言っていたな? ならば簡単だ、可哀相だと思う原因を消せばいい』
「消す……まさか、≪催眠アプリ≫で俺の中からその感情を消すって……こと!?」
『アホウ、それをするなら最初からお前にあの女を襲えと催眠させればいいだろう。あくまで使用者が、対象を催眠して結果を出さねばならん』
この開発者は≪催眠アプリ≫に絶対的な自信を持っている。
だからこそ、結果を誤魔化すことや成果をうやむやにすることを良しとはしていなかった。
『いいか、答えはこうだ。女! "この男を好きになれ"!』
「――――はい」
開発者の言葉通り、野亥は神小を好きであるという情報が間違いなくインプットされた。
しかし――――
「んん~? これ本当に好きになってくれてる? なんか凄く微妙そうな顔してるんですけど、野亥さん大丈夫?」
「……≪催眠アプリ≫をかけておいてそんなこと尋ねるの、頭おかしいんじゃないですか」
「ちょっとー! これ絶対に催眠かかってないですってー!」
そうして騒ぐ神小だったが、それを開発者がなだめる。
『≪催眠アプリ≫が効いていなければ通報されている。これがこの女の素というだけだ』
「あぁ、うん……トゲトゲしいところありそうって思ってたけど、合ってたんだ……」
今まで彼女に告白する男子は何十人もいた。
だが罵倒や愛想笑い、嘘や誤魔化しなどを使わずに真正面からその全員を撃沈させてきた女子である。
素が強すぎるだけなのだ。
「ということは~……ねぇねぇ野亥さん! 俺のこと好きってほんと!?」
「ええ、好きですよ。死にたくなるくらい」
「やったぁー! 俺モテモテだぁー!!」
相変わらずとても微妙な顔をしているというのに、神小は彼女の好きという言葉に飛び跳ねて喜んでいた。
もしもここが自分の部屋であったなら、全裸でベットの上でケツを叩くくらいに狂喜していたことだろう。
無論、そんな姿を彼女が見たら百年の恋も冷めただろうが。
「じゃあ、じゃあ! 俺のことイケメンに見えてるってこと!?」
「………は?」
あまりの威圧に、思わず涙ぐむ。
「なんで……ど、どうして……」
『お前を好きにさせただけで、美醜観を変えたわけではないからな』
その通りである。
あくまで"好き"という命令をインプットしただけで、何もかもが変わるわけではなかった。
「じゃあアレだ。恋人として、俺の良いところ教えて!」
「………………」
「あれ、止まった? ヘイ、野亥! 俺の良いところ教えて!」
しかし、彼女は何も答えられなかった。
当然である。
何も積み重ねず、アピールをしたこともなく、好かれるような行動もしていない男の良い所など、彼女の頭の中になかった。
存在しない答えは"Null"。
嘘がつけないのであれば、沈黙しか出力されないのは当然の帰結だ。
「ねぇねぇ、本当に俺のこと好きなの? 好きな人の良いところを言えないってそんなことある? ないよね? ねぇ?」
『めんどくさい女のムーブをするな、気色悪い』
「だって、だって! なんかいまいち好きって感じしないもん! 野亥さん、本当に俺のこと好きなの!? 俺のことどう思ってるか、本心で答えて!」
しばらくの沈黙、そして――――
「……………好き」
「よっしゃああああぁぁぁ!」
≪催眠アプリ≫にかかっている以上、嘘はつけない。
彼女が本心から好きであるということを聞き、神小は天を仰ぐようにガッツポーズをした。
「いやー! よかった、よかった! ちゃんと好きなら――――」
「――――――それ以上に、憎い」
その言葉は大口径の銃弾のように放たれ―――――神小の心臓を木っ端微塵に砕いた。
「ぁ……ぅ……ぉ…………ぇ……」
ゆっくりと膝から崩れ、神に救いを求めるかのように天へと伸ばされた手は、力を失い地へと落ちていった。
『うおおおおおぉぉ! しっかりしろ小僧!』
「は……ぁぁ………ぅっ……………ぇぅ…………っ」
神小の身体はまるで急病人のように痙攣し、他人が見たならば即座に救急車を呼ぶような状態であった。
『立て! 立つんだ小僧! いや立たなくてもいい! こっちを見ろ! 頼む、見てくれ!』
開発者の男は取り乱しながら神小に奮いの声をかける。
その思いが通じたのか、震えながらも神小はその声のもとへと顔を向けた。
『よぉし、こっちを見たな! ≪催眠アプリ≫遠隔操作!』
神小の意識は、そこで途切れてしまった。
――――そうして数時間後、彼はベッドから跳ね上がるように起き上がった。
「うわあああああ!………はぁ、はぁ………ゆ、夢……かぁ………」
『残念だな、現実だ。催眠した女に憎いとまで言われた現実だ』
「ほわぁぁぁああいっ!? おれ……俺はただ、好かれたかっただけなのに……どうしてこんなことになるんだよ"お"お"お"お"お"!!!!!」
まるでこの世の全ての理不尽を糾弾するかのような慟哭が響き渡る。
『お前、本当に≪催眠アプリ≫を使うのに向いてないな。さっさと手を出せば終わりだというのに』
「ぐすっ……知ってるもん……そんなの、自分が一番よく知ってるんだもん……」
そんな涙ぐむ神小を見て、開発者の男はやれやれといった態度で語り掛ける。
『憎いとまで言われた現実、もう挽回など不可能だろう。……≪催眠アプリ≫がなければな』
「ずびっ……へ?」
『≪催眠アプリ≫がある限り、いくらでもやり直せる。つまり、お前はまだ終わっていないということだ』
「……終わっていないって言ったって、俺じゃあもう―――――」
『違う、お前だから意味がある。お前がこの≪催眠アプリ≫を使いこなせた時こそ、このアプリが傑作だと証明されるのだからな』
自分で言っておきながら、なんと慰め下手なのかと開発者の男は思った。
それでも、必要とされることの嬉しさから神小は再び立ち上がる。
「はぁ~…………失敗なんてこれまで何度もあったし、いまさらかぁ」
『よーし、調子が出てきたな。それでは明日こそ、あの女をモノにするぞ!』
「おぉー!」