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第30話


「おめでとうございます。はい⋯⋯お父さんもお元気そうですね⋯⋯えぇ、明日のお昼までには着くと思います⋯⋯はい、ではまた明日」


 そのまま俺の部屋に泊まっていった奈央の話し声で目が覚める。どうやら電話をしていたようだ。


「奈央、おはよ」


 通話が終わってもスマホを握りしめたまま動かずにいた奈央は、俺の声に反応してこちらを見た。


「ごめん、起こしちゃった?」

「いや、もう十分寝たから。電話、実家か?」

「うん」


 聞こえた内容からして相手は父親だと分かったが、親子の会話にしては、どこかよそよそしさを感じた。


「実家帰んのか?」

「明日ね。良い娘を演じてこなきゃ」


 フッ、と笑った奈央は、ベッドから抜け出しそのまま寝室を出て行ってしまう。


 奈央に確認したことはないが、恐らくアイツはいいところのお嬢様なのだろう。

 そんな環境だと、我慢を強いられることも多い。それは、本人の意思を無視した期待へと繋がる。

 奈央も、そんな窮屈な世界に閉じ込められているのだろうか。かつての俺がそうであったように。




✦✥✦




「それにしても豪華なおせちだな」


 テーブルには三段重ねの大きな重箱と、宣言通り蕎麦つゆをアレンジして作った雑煮が並ぶ。

 そして約束通り、俺はもう雑煮を三杯も食わされている。


「今年は敬介もいるから助かった。去年は、私一人でこの量だったから。敬介、沢山食べてね」


「一応、言っとくが、俺って特別大食いな男じゃねぇからな? お前はこの冬休みに、どんだけ俺に喰わせる気でいんだよ。――もう無理!」


 雑煮だけでも胸焼けをおこしそうなのに、おせちまで押し込んだんだせいで既に胃袋はパンパンだ。


 豪華なおせちは、加減の知らない奈央が作ったものではなく奈央の実家から届けられたものだが、食べても食べても減らないそれは、どう考えてもファミリー向け。


「遠慮しなくてもいいのに」


「遠慮じゃねぇし。あっちもこっちも量が多すぎて、涙出るほど腹いっぱいだ。奈央こそもっと食べろよ。雑煮だって一杯しか喰ってねぇだろ?」


「私はもう無理。お餅ってあまり食べられないんだよね」


 ほぅ。自分は無理をするつもりはないって言うのか。


「人に死ぬほど喰わせておいてそれはねぇだろ」


「私は、明日窮屈な振袖を着せられるの。今から苦しい思いはしたくない」


「振袖って、実家でか?」


「そう。新年のパーティで、お飾りに徹しないと」


「なぁ、奈央?⋯⋯実家は窮屈か?」


 奈央はもがき苦しんでいるのではないか。朝の電話を耳にした時から抱いた疑問だ。

 だが、それは全く予想を外れていた。


「窮屈なはずないじゃない。黙っていれば何でも買い与えてくれて、数年後には結婚相手まで探して来てくれるんだから。どっちかと言えば楽なんじゃない?」


「それ⋯⋯、本気か?」


「もちろん」


 好きでもない相手と、どうせ見合いでもさせられるっていう話だろ。自分を取り繕って過ごさなきゃならないそんな結婚生活、どこが窮屈じゃないって言うんだ? 

 何が楽だ。そんな馬鹿な話あるかよ。自由なんかひとつもないじゃねぇか。


「怖い顔」


 俺を見て、奈央がボソッと呟いた。

 険しい顔をしている自覚はある。好きでもない男と結婚するということに、何ら迷いも見せない奈央に俺の中で沸々と湧き上がるのは、紛れもない苛立ち。


「奈央は、それで本当にいいのか? 親に結婚相手まで探してもらって、自分の意思も無視されて自由なんてないんだぞ?」

「それは違う。これは私の意志でもあるの」


 笑うでもなく、怒るでもなく、奈央は俺から目を逸らさず生真面目な声で語る。

 その声が、その目が、奈央が本気なのだと窺わせ、余計に俺の苛立ちは増していった。


「馬鹿馬鹿しい。自分の将来くらい自分で何とかしろ」


「親に選んでもらう結婚の何が悪いのよ」


「お前、この前言ったよな? 恋人作るって。だったら、その先のことも自分で何とか出来んだろ」


「恋人作るって言っただけじゃない。そこに未来なんて求めてない」


「恋愛と結婚は別ってわけか」


「恋愛結婚したって、そんなの一時の気の迷いでしょ。壊れる時は、あけっないほど簡単に壊れる。そんなものに期待も希望も私は持たない。でも、そんなこと敬介が言うなんておかしい」


「あ?」


「人を好きにならない敬介が、そんなこと言うなんて可笑しいよ?」


「⋯⋯⋯⋯」


 言葉を失う。

 今の俺に、反論など出来ようはずがなかった。


 奈央の主張も、奈央を知る前なら同意出来たかもしれないが、今は違う。俺の中で何かが変わったなんて、奈央は知らないし気付いていない。だからこそ、それを伝えることは出来なかった。冷めた意見しか持ち合わせていない奈央を前にして、信じさせるだけの自信もない。


 静かな沈黙が落ちる。それを気まずいと思っていたのは俺だけだろうか。


 奈央は食べ終えた食器を手にし席を一旦離れ、戻って来た時には、何食わぬ顔して俺の前に紅茶を置いた。


「はいどうぞ、敬介」

「⋯⋯ありがと」


 俺が会話の糸口を掴めないでいると知ってか知らずか、ティーカップに一口口を付けた奈央は、それをソーサーに戻すと話し始めた。


「良くあるじゃない? 会社の利益に繋がる太いパイプを持つために、結婚が絡んでくることなんて」


「⋯⋯」


「私が嫌がってるならともかく、私はそういう自分の運命を受け入れているし、自分のあるべき立場も分かってる」


「そんなもの、何で受け入れる必要がある? 親の人生じゃないだろ」


「でも、切っても切り離せない」


「そんなのお前次第だ」


「違う。どんなに願っても叶わないこともある。だから最初から期待しない。それだけ。以上」


 もう何も言わせないとばかりに、最後は強調するような声音だった。


 話を終わらせようとしたのは奈央だ。もう何も話す気はないだろうと思えたが、


「私からしてみたら、何で敬介が教師になったのかが分からない。どうして受け入れなかったのか、本気で分からない」


 そう付け加えられた予想だにしなかった主張に驚愕し、息を呑んだ。


 ――奈央は、一体どういうつもりで、こんな話を?


「敬介、紅茶冷めちゃうよ?」


 驚きを隠せないでいるのにお構いなしの奈央は、俺を見ようともしないで優雅に紅茶を飲んでいる。


「奈央? お前は俺の何を知ってる?」


 訊ねてみても慌てる風でもない。

 紅茶を半分ほど飲んだところでやっと、俺の視線を真正面から受け止めた奈央は、漸くその口を開いた。



「跡継ぎを放棄して教職の道へ入った、沢谷ホールディングスの一人息子」



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