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第29話


 クリスマスイヴの日以来、俺たちはそれぞれの部屋の鍵を掛けなくなった。


 最上階のフロアに来るまでには厳重なセキュリティーで守られているため、俺たち以外の出入りはない。安全だということもあり、鍵を掛けずに好きな時に互いの部屋を自由に行き来している。


 そして、俺が奈央の部屋に泊まってからというもの、一緒のベッドで寝るのも珍しくなくなった。


 俺にとっては嬉しい反面、罰ゲームとも拷問とも呼べる状態だ。しかし、それくらいの理性は持ち合わせている。


 不思議なもんだ。今までは面倒で、女と朝を迎えるなんてこと、一度たりともしてこなかったのに。


 何もしなくてもいい。隣りに奈央がいるだけでいい。それだけで胸が温かくなるのが心地良かった。


 大晦日である今日も、一緒に年を越そうと俺の部屋にいる。


 昼間には少し遠くまで車を走らせ買い出しにも行った。

 一応、高校の奴等に見られたらマズイと危惧して離れた所まで行って。

 もっとも、きっちりとメイクをした奈央は、知り合いに見つかったところで、直ぐには本人だと気付かれないかもしれないけど⋯⋯。


 こうして今年最後の時間も共にいる俺たち。

 年末年始を他人と過ごすなんて初めてだし、家族ともここ数年なかったことだ。


 夕飯も済ませた俺たちは、のんびりとした時間を過ごしていた。

 普段は観ることのないお笑い番組を観たりなんかして。でも、それを観ても、奈央は決して笑ったりはしない。


「これのどこがおかしいの? どこで笑えばいいのか分からない」


 などと、真顔でブツブツと呟いている。


 どうやら、勉強一筋で凝り固まった頭は、笑いへの柔軟さには欠けているようだ。


 いつまでも小難しい顔でテレビを観る奈央に、今度はチェスでもやるかと誘ってみる。

 ルールを知らないと言う奈央に説明してやると、直ぐに頭に叩き込み、こんなの簡単だとばかりにやる気満々だ。だが、ゲームとはいえ、覚えたての奈央に負けるわけにはいかない。


 と言う訳で、只今、奈央2連敗中。


「今までのは練習よね?」


 いや、練習じゃないけど。簡単、って息巻いてたのはお前だし。


 表情からは機嫌の悪さは覗えないものの、明らかに声はトーンダウン。


 この負けず嫌いめ!


「あぁ、そうだな。今までのは練習な。次からは本番。負けても文句言うなよ?」


 少し手加減してやるか。じゃないと、奈央が勝つまで付き合わされそうだ。


「手を抜いたら許さないから」


 完全に心の中を見透かされている。


 全く、あとで怒んじゃねーぞ。と、心で溜め息を吐きながら、どっちみち機嫌が悪くなるのなら、本気で相手にするしかない。


 それから暫くの時間が経ち――。


「チェックメイト!」

「もう一回!」


 二人の声が同時に重なった。



 The3連敗。

 機嫌は著しく急降下。


「もう一回」

「ダメ」

「いいから、あと一回!」

「ヤダ。敬介しつこい」


 そう。3回連続負け続け機嫌が悪くなっているのは、俺の方だ。

 あれから立て続けに奈央の奴が勝ちやがった。⋯⋯何故だ。


「お前、俺だって付き合ってやっただろ。勝ち逃げする気か?」


「うるさいな。年越しそば作るんだから、もうおしまい」


「そんなのいらねぇから、もう一回付き合え!」


「折角おそば買ってきたのに勿体無いでしょ!」


 拗ねる俺を置き去りにして、サッサと奈央はキッチンへと行ってしまう。


 覚えたての奈央に3連敗するなんて⋯⋯。


「そば大量に作んじゃねーぞ! 加減ってものを少しは考えて作れよ! 計算できねぇんだから!」


 完全な八つ当たりで嫌みったらしく言ってみる。


「そばは二人前しか買ってないのに、どうやって多く作れって言うのよ。バっカじゃないの!」


 負けじとキッチンから反撃が飛んでくる。


 くそっ、そば喰ったら、もう一度勝負だ。


 負けたままでは終われない。年下の女の子に負けるなんて、ちっぽけなプライドが許さない。

 今度こそ『ぎゃふん』って言わせてやる! と死語を心で叫びながら、闘志を燃やした。



✦✥✦



「おっ、旨い!」

「そ? 良かったね」


 年越しそばなんて要らないと言ったのは、どの口か。

 都合の悪いことは一旦脇に置いた俺は、しっかりとそばにありつき堪能している。


 奈央は、意外にも料理が上手い。それに、こうして二人で食べると、何だか余計に食事が旨く感じられる。


「奈央、食べたらもう一回な」

「まだ言ってんの? どうせ結果は見えてるのに」


 何だと? 俺がまた負けると決めつけてんのか?


「その生意気な口、黙らせてやる。ちんたらしてないで、とっとと喰えよ。喰ったらもう一勝負な」


「ガキ」


「うっせぇ⋯⋯ごちそうさん」


「え? もう食べたの?」


「お前が遅いんだろ」


「ねぇ、敬介?」


 立ち上がろうとする俺に、目を合わせないまま奈央が呼び止める。


「ん?」

「お替り、しない?」

「は? お替りって、そばは二人前しか買ってないだろ?」

「うん。だから、つゆだけ」


 ──ま、まさかっ!


 恐ろしい予感に慌ててキッチンへ駆け込む。


 コンロの上にある鍋の蓋を開ければ予感は的中。眉をひそめ肩を落とした俺は、げんなりと重い息を吐いた。


「ごちそうさまでした」


 食べ終わりキッチンへと入って来た奈央は、お替りする様子もなく、どんぶりをサッサと洗い出し悪びれもせずに言う。


「何、バカ面して鍋見てんの? 早くお替りしなよ」


 俺の前には、鍋の中に大量に残ったつゆ。

 こんなに沢山、つゆだけ俺に飲ませようとしてんのか、この小悪魔は。


「つゆだけ、んなにガブガブ飲めるか! 塩分過多も良いとこだろうが。だから言っただろ? 大量に作るなって」


「そばは注意されたけど、おつゆの量まで指定されてないし」


「減らず口!」


「料理は大胆に作った方が美味しいの。ごちゃごちゃ言わないで」


「ごちゃごちゃも言いたくなんだろうが。その度に俺が後始末させられたんじゃ――」


「敬介」


 奈央お得意の、話を待たずして言葉を被せてくる。


「んだよ」


 そして、それに俺は素直に耳を傾けてしまう。


「明けましておめでとう。もう年明けちゃったよ?」


 奈央はニッコリと笑った。


「あ、日付変わってたのか。⋯⋯おめでとう、奈央」


「しょうがないから、今はお替りしなくても許してあげる。その代わり明日の朝、お雑煮にアレンジするから、一杯食べてよね」


「分かった」


 どう考えたって許されなきゃならない立場じゃないのに素直に頷く俺は、こうして今日も、奈央の笑顔とペースに呑み込まれてく。


 くだらない笑いには反応しない凝り固まった頭の持ち主でも。想像通り負けず嫌いの女でも。完璧に何でもこなす癖に、料理だけは加減が分からず抜けていても。


「チェスやるんでしょ? 遊んであげるから早くおいでよ」

「おぅ」


 こうやって奈央に振り回される自分も悪くない、と思ってしまう。


 ───完全に手懐けられてるよな。


 リビングへと戻って行く奈央の華奢な背中を見ながら苦笑する俺の新年は、こうして幕を開けて行った。

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