「敬介。顔、しまりなさすぎ」
キッチンから戻ってくるなりの第一声がこれ。
失礼極まりない奈央は、持ってきたグラスを二つテーブルに置いた。
「お前は、もう少し笑え」
ツン、と顔を横に向ける奈央は、どこまでも反抗的な態度だ。
「ったく、可愛くねぇなぁ!」
手にしたシャンパンの栓を向けて脅してみても、
「やれるもんなら、やってみたら?」
動じるどころか挑戦的な奈央にあっさりと負け、天井に向けてコルクを抜けば、“ポンッ” と、軽快な音が響く。
「はい、可愛くない奈央にはこんだけ~」
「少ない」
「お子ちゃまの癖に生意気言うな」
奈央のグラスには、3分の1にも満たないほどの量だけだ。いくらクリスマスだからって、まだ未成年。俺たち以外、誰も見ていないとはいえ、堂々とアルコールを飲ませるわけにはいかない。
「テイスティングにもならないじゃない」
小さな赤い唇を尖らせ不満を漏らす奈央は、
「じゃあ、あとちょっとだけだぞ」
本気で不貞腐れているのだろうが、何だか可愛く見えてしまう俺は、頭がおかしいのかもしれない。
散々、可愛げがないと言ってたくせして、ついつい甘やかしまう。
「さぞかし美味しいでしょうね」
シャンパンを一気に飲み干してはまた注ぐ俺を見て、奈央は空になった自分のグラスを指でカチンと弾きながら不服そうに言う。
「まあな」
忘年会で飲んでいた時とは大違いだ。既にここに来るまでに相当の量を飲んでいるというのに、奈央を前にして飲む酒は、喉越し良くドンドンと入ってしまう。
「奈央はこれでも食べてろよ」
もっと飲みたそうな顔をしている奈央だけれど、たとえどんな可愛い顔されても、流石にこれ以上酒は飲ませられない。代わりに、テーブルに二つ並んだ箱の一つを開け、差し出した。
「何これ、大きすぎない?」
「一番でかいの買ってきた」
箱から取り出したターキーの姿を見て、奈央は「見ただけでお腹いっぱい」と呟いている。
「いいから遠慮せずに食えって」
「私、夕飯だって食べたのに」
「何食ったんだよ」
「サラダ」
夕飯にサラダ?
前も昼飯サラダだけだったよな? きちんとメシくらい摂れよ。
「お前はベジタリアンか? それとも青虫か? 葉っぱばっか食ってんじゃねぇよ。ほら、これ全部食え」
「全部なんて食べられるはずないでしょ」
「無理なら、3日かけて食ってもいいぞ?」
「何それ。カレーの仕返し? ガキ」
言い合いをしながら進む奈央との会話。
いつしか奈央も、時折笑みを見せるようになり、弾む会話をつまみにしながら、俺の飲むペースは一段と速くなっていった。
そのせいか、段々と頭から思考能力は奪われ――――。
「奈央ちゃーーん!!」
「気持ち悪い。甘えないで!」
いつしか、奈央の冷たい言葉も耳に入らなくなっていった。
どうやらこの辺りから酒に敗北した俺の脳は、記憶すると言う機能を、完全に放棄していったらしい。
✦✥✦
──っん、痛ってぇ。
腕の心地良い痺れは良いとして、少ししか動かしていないのに、頭には強烈な痛みが走った。
なんだ、この痛みは。
襲い来る激痛に俺の頭は悲鳴をあげる。まるで脳みそを直に捕まれ、ぐらぐらと揺さぶられているようだ。
激しい痛みと覚醒しきれない頭に逆らって目を開ければ「寝顔は可愛いな」と、こんな状態でも思ってしまう自分に笑みが零れる。
⋯⋯ん? 待て。落ち着け、俺。
可愛いってなんだ。誰がだ?
状況を把握するのに要した時間、数十秒。
「うおーーっ!」
な、何でだ? 俺は何をした?
あり得ない状態にあった両手を慌てて離し上半身を起こすと、理解し難いこの状況と自分の大きな声で、更なる痛みを与えてしまった頭を両手で抱えこんだ。
ない。ないないない。
頭の中のどこを突ついてみても、記憶という記憶がどこにもない!
どこに行った、俺の記憶!
「おはよ、敬介」
同じベッドで寝ていた奈央。しかも、あろうことか、目が覚めたときの状況から察すると、数分前までこの腕で抱きしめていたらしい。そんなことをされていた奈央は、寝起きとは思えない大きな目をパチリと開ける。
「っ!⋯⋯お、おは、おはよ」
つまりながらの挨拶が精一杯の俺は、激痛に耐えながら使い物にならない頭を必死で働かせた。
上半身裸の俺。奈央はバスローブ姿のままだ。少し肌蹴ている胸元から急いで視線を外し、暫し考える。
辛うじて俺の下半身は薄い布で守られているが、それでも『もしかして?』という、恐ろしい疑惑が俺の頭を占領する。
まさか俺は、教え子に手を出したんじゃ⋯⋯。
いやいやいや。記憶がないほどなんだ。相当なアルコールを体内吸収していたはず。それほどまでに飲んでいれば、いくらこの状態とはいえ『お前、無理だったよな?』と、答えるはずのない|下半身に問い掛けたくなる。
「敬介、覚えてないの?」
「⋯⋯っ!」
上体を起こした奈央が俯く。サラサラの髪の毛で覆わてしまったために、その表情は覗えない。
バカ息子、本当に何もしなかったよな! 頼む、役に立たなかったと言ってくれっ!
動揺を隠せないでいる俺の隣では、俯いてしまった奈央の肩が小刻みに震えている。
「ごめん、奈央⋯⋯俺⋯⋯」
覚えてないと言ったら、奈央を傷つけてしまうだろうか。
多分、何かしたんだよな、俺は。――最低だ。
泣いてる様子の奈央に、俺の胸は鷲掴みされたように激しく痛んだ。