――――帰りてぇ。
見飽きている職場仲間の顔を眺めながら、もう何度目か分からない嘆きを繰り返す。
帰れるものならば、今すぐにでもこの場所から逃げ去りたい。こんな忘年会、下っ端にとっちゃ単なる苦行だ。
学校は冬休みに入ったが、俺たち教師は講習を開いたりと今日も仕事があり、且つ、忘年会と続くのだから、いつも以上に一日が長く感じる。
クリスマスイブの今日は、よっぽど成績が悪く強制的に受講するよう指導を受けた生徒以外、好んで学校へ足を運んで来る者はなく、忘年会さえなければ早く帰れたというのに⋯⋯。
『生徒達も帰ったことですしイヴですから、早く帰りたい先生方もいると思いますので、早速、お店に場所を移しましょう!』
張り切って声高に叫んだのは幹事である山岡先生だ。
そう思うなら、今日わざわざ忘年会開くこともねぇだろうよ!
当然、そんな文句は許されず、社会人になればこれも仕事の一環と言い聞かせ、忘年会会場である居酒屋に場所を移して、現在に至っている。
飲み始めて、かれこれ1時間半。俺の隣には、うちのクラスの担任である福島先生が座っている。
普段から気さくな福島先生が隣りなのはいい。だが問題は逆隣りだ。教師にしては、やや化粧が濃過ぎる英語教師の中村先生が、やたらと距離を詰めてくるから思わず引き気味になってしまう。
⋯⋯香水、つけてねぇよな?
と、警戒心だって強くなる。
でも一番厄介なのは、目の前に座る体格の良い男性体育教師、田村先生だ。
「ほらほら沢谷先生、若いんだからドンドン飲んで!」
若いってだけで飲まされていたら身が持たない。だが実際は、それだけの理由で十分飲まされるターゲットになってしまう。
酒は嫌いじゃないし強い方だと思うが、明らかに体のつくりが違う田村先生に合わせて飲んでいたら、流石の俺でも潰れるんじゃないだろうか。
酔っている場合じゃない。少しでも早く俺は帰りたいんだ。会えなくてもいいから、少しでもアイツの近くへ、奈央が一人で過ごしてるかもしれない、あのマンションへ。
「沢谷先生~、私のお酒も飲んで下さいよぉ」
甘ったるい声で、横からもビールを注がれそうになる。
「すみません。もう、飲めませんので」
グラスの口を手で塞ぎながら断るが、諦めてはくれない前と横に座る今宵の天敵。
それらの攻撃をかわす術はなく、奈央の顔を頭の片隅に置きながら、喉に刺激を与える液体をひたすら飲むしかなかった。
――ヤバイ。頭も体もフワフワしてきた。
それもこれも目の前に座る、冬なのにタンクトップのナルシストマッチョ親父と、隣りの厚塗り女のせいだ。
こうなりゃ、敬称なんてクソ喰らえ。無論、口に出すほど理性を飛ばしちゃいないが、これ以上拘束されて飲み続けていたら、面と向かって暴言を吐いてしまう自信がある。
それでなくとも昨夜は、奈央と気まずい別れをしたんだ。気持ちを引き摺っている俺を刺激すれば、感情を昂らせかねない。だから早く自由にして欲しい。そう切に願うのに、
「よ~し、場所でも変えて二次会へ流れるか~?」
世の中ままならないことばかりだ。
常々、その頭に乗っかってるものを剥ぎ取ってやりたいと思っている相手――教頭の言葉に更にうんざりして、当たり散らすように心の内側で毒舌をばら撒く。
普段はお堅いことばっか言ってるくせに、先頭切ってはしゃぐんじゃねぇよ、おっさん!
こんな日に家に帰りたがらないとは、よっぽど家庭で肩身の狭い思いをしているのか、もしくは既に奥さんに逃げられたんじゃねぇの?
行きたきゃ、一人で勝手に行けっつーの! 侘しい時間に俺たちを、いや、せめて俺だけでも巻き込むな!
でも次の瞬間。聞こえてきた言葉に意識は奪われ、すかさず脳内の暴言を止めた。
「水野奈央のトップを担任としては喜ぶべきなんでしょうけどね」
憂いを含んだ物言いで、特別コース担当の数学教師相手に話をしているのは、福島先生だ。
「水野がどうかしましたか?」
俺が訊ねるより先に割って入ってきたマッチョ親父が訊く。
「水野の1位は、いつまで続くのか話してたんですよ。今回も断トツでしたからね」
特別コースの数学教師が説明する。
「水野に勝つ奴なんていないでしょ~。頭良し、顔良し、それに加えて教師の言うことも聞いてくれますからね~。どれを取っても完璧じゃないですか。正に理想ですよ。高校生じゃなきゃ嫁に貰いたいタイプですな!」
そう語ったタンクトップ親父は、口を大開きにし豪快に笑った。ハッキリ言って鬱陶しい。
嫁にしたいだと? ふざけんなよ。たとえ、奈央が高校生じゃなかったとしても、お前みたいな奴のところになんか、間違っても嫁になんて行かねぇよ。冗談は顔だけにしてくれ。
「私は、完璧にこなすだけが必ずしも良いことだとは思いません。無理していなきゃいいんですけどね」
タンクトップの笑いを諌める様に、落ち着いた口調で言う福島先生に対して、
「何か、気に掛かることでも?」
特別コースの教師が問い尋ねた。
「今しか楽しめないことがいっぱいあるんです。遊びも恋も。勿論、勉強も必要だと思いますけど、何て言うのかな⋯⋯もっと器用にやればいいのにって、彼女見てると思うんですよね。根が真面目すぎるのかしら」
そして最後に、恐らく他の先生の耳には届かなかっただろう小さな声で、
「お人形さんじゃないんだから、もっと楽しいこともあるって教えてあげたい」
独り言のように、福島先生がポツリと呟いた。