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第20話


 期末休みと言っても、俺たち教師には仕事がある。そして、仕事が終わり夜になれば、奈央と共に一緒に過ごす。そんな生活が当たり前のようになっていた。


 奈央が言うように、一緒にいても疲れないし楽だし、その時間は俺にとっても楽しいものなのだと気付かされる。


 言うことは可愛くないし、本気でムカツクことだって多々ある。なのに、奈央がふとした拍子に見せる、色を無くしたような表情がどうしようもなく気になったり、アイツが旨そうにコーヒーを飲む姿を見ては堪らなく嬉しくて、気付くと自然と笑っている自分がいる。


 奈央といると俺が俺らしくなくなる。


 女なんて欲求のままに時間を重ねる以外は面倒でしかなかったこの俺が、どうして奈央相手だと苦痛を感じないのか。


 アイツがガキだから女と見ていないせいか。それとも、お互いの表も裏も知っているから、男だとか女だとか年齢とか、そんなもの全部関係なしにダチみたいな感じだからか。


 いくら考えてみても自分を納得させるだけの答えが見つからない。何だかそれが凄く怖かった。


 奈央のペースに嵌っていくようで。自分が振り回され呑み込まれていくようで。奈央が傍にいるのが自然になりつつある日々を、あっさり受け入れてしまっている自分が怖い。


 一体、俺はどうしちまったんだ?


 言いようのない不安が付き纏い、もやもやと心の底が疼いていた。




✦✥✦




「奈央、公言通りトップ、流石だな」

「まあね」


 二学期が終わり、俺たちは今日もまた、奈央の部屋で一緒に過ごしている。


 奈央は宣言通り、学期末の試験をほぼ完璧な成績で収めトップを守り抜いた。当の本人は、さも当たり前のような顔をしているが簡単なことじゃない。


 以前に自分を『天才? だから』なんて言ったことがあったが、こいつの場合それとは違う。奈央は典型的な努力型だ。


 自分でカリキュラムを組む奈央は、それに合った家庭教師の指導を受けている。決まった曜日に指導を受けるわけではなく、徹底的に自己能力を管理し、必要とあらばいつでも来て貰える体勢を特別に作って貰っているらしい。


 俺が奈央の部屋に行くと、大抵は机に向かっていた形跡があるし、もしかしたら何も予定がない時は、ずっと勉強をしているんじゃないのかと疑いたくなる。


 しかし、勉強も良いが時には息抜きも必要だ。というか、出来れば、そうして欲しいと願う自分がいる。俺の気を楽にしたいがために。


「なぁ、明後日って、お前何してんの?」


 爪を磨いていた奈央が反応し顔を上げる。


「明後日?」


 明後日、と口にしただけで奈央は眉を顰めた。


「あぁ。普通は誰かと過ごしたりするもんだろ。俺は忘年会なんだけど、普通、こんな日に忘年会なんてやんねぇよな。幹事を引き受けた恋人がいない山岡先生の陰謀だな」


「⋯⋯普通?」


 奈央の中では、俺の忘年会なんてどうでもいいらしい。二回も繰り返し強調してしまった『普通』だけが引っ掛かったようだ。


 シラーっと俺を見る目。それだけじゃない。オウム返しの声にも冷めた感情が透けて見える。


「明後日って、一緒に過ごしただけで恋人面されてしまう、厄介な日のこと?」


「⋯⋯あぁ、まぁ」


「1ヶ月以上も前から何処もかしこもイルミネーションで彩られてるっていうのに、何故かその日になるとまやかしの世界にでも落ちたのか、はたまた集団催眠でもかけられたのか、恋人に寄り添ってうっとりしちゃう人が多くなる、あの日のことよね?」


「そ、そう、だな」


「一人の人はやけに自分を悲観するけど、それは昨日も一昨日も同じで今更でしょ? って突っ込みたくなるほど、人を落ち込ませる力を持っている、あの摩訶不思議なクリスマスイブのことを言ってるの?」


「そのイヴで間違いない。つーか冗舌に語るのは、もうその辺でいいか?」


「まだ言おうと思えば言えるけど?」


「いや、もう十分だ。冷静かつ歪んだお前の考えは良く分かった。俺も否定はしない。しないが、あまりにも多くの人を敵に回すようなその発言、他ではすんなよ?」


「あっそ」と、興味なさげに奈央は呟くと、また爪を弄り始めた。


「で? 奈央は出掛けないのか?」


「ここまで言ってるのに、私がどこかに行くとでも?」


 ⋯⋯だよな。


「別に24日に限らず、明日とかも出掛けないのか?」


「あのさ」


 奈央は一度言葉を区切ると、爪を磨いていた手を休め俺を正面から見据えた。


「敬介は何が言いたいわけ?」


「いや⋯⋯、たまには、お前も勉強ばっかじゃなくて外にでも出たら良いんじゃないかと思ってよ⋯⋯。俺は明日も予定があるし世間は騒がしいって言うのに、一人じゃ寂しくないかって心配しただけだ」


「余計なお世話」


 間髪入れずにピシャリと言い放たれる。


「敬介は敬介。私は私。予定があるなら私に遠慮することなんてない。心配されなくても遊びたくなったら勝手に外出するし、今までもそうだったし、お互い気を遣う必要なんてないでしょ」


「⋯⋯そうだな」


「それに私が一人なんて、今に始まったことじゃない。寂しいなんて感じるはずないじゃない」


「⋯⋯そっか」


 奈央の言う通りだ。気を遣う必要なんて何もない。今までだって、そうしてお互い生きてきたんだ。


 このまま、奈央との時間を当たり前にしたくなくて、自分が変わるのが怖くて、それを振り払うかのように、今までの自分のスタイルを守ったほうが良いと決めたのは俺自身だ。


 そう、今まで通り自分の時間を取り戻すだけ。それだけのこと。訳も分からず、胸に去来する得体の知れない不安を取り除くためにも、その方が良い。


 ただ、そこに少しの躊躇いがあって、いっそ奈央も自分の時間を持ってくれればこの戸惑いも払拭され、気が楽になれるかもと思ったのも事実。


 でも、やっぱり俺はおかしい。

 外出を促しておきながら、遊びたくなったら勝手に行くと言う奈央の言葉に、消化しきれないモヤモヤとしたものが湧き上がって来てしまう。

 それって男と会うって意味なのか、って。


 訊く権利もない俺がとやかくは言えないが、でも奈央は女だから簡単に男なんかと⋯⋯。と言い訳じみた考えが浮かび上がったところで、やっぱり俺が言えた義理じゃないと思考を改める。


 お互い何しようと関係ないんだ。俺に明日予定があるのだって、わざわざ奈央に言う必要だってない。

 だけどもし、奈央にどこに行くのかと訊ねられでもしたら、きっと俺は誤魔化していたかもしれない。本当のことを言えなかったかもしれない。

 今更だし、自分で作った予定なのに、知られたくなくて言いたくないと思う、自分でも理解し難いもう一人の自分がいる。


 複雑な感情が渦巻き、耳の奥では「私が一人なんて、今に始まったことじゃない」と言った奈央の言葉が染み付いて離れないが、明日になれば奈央との時間を知る前の自分に戻れると信じている。

 きっと、訳も分からない不安に苛まされることもなくなるはずだ。



 だから明日――――俺は割り切った女と会う。

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