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第14話


 今日から学期末のテストが始るせいか、朝のホームルーム中だというのに、生徒たちは誰しもが落ち着きをなくしていた。

 参考書を見たり、小声で友人と確かめ合ったり、最終確認を怠らない。


 そんな光景が当たり前の中で、窓際に座る奈央だけは、机の上にペンケースだけを置き静かに外を眺めていた。どうやらジタバタする気はないらしい。


 でも本当に大丈夫なんだろうか。週末、ほとんど勉強も出来ずにいたんだ。流石の奈央でも、今回ばかりはトップを取るのは難しいんじゃないだろうか。


 だが、それよりも何よりも、奈央の体調が気がかりだ。

 昨夜、一緒に摂った食事を済ませるなり、もう勉強はしないで寝ろよ! と何度も注意する俺に、心底嫌そうに顔をしかめめた奈央。『敬介がこんな口煩いとは思わなかった』と、思いきり煙たがられた。


 俺だってそう思う。本来、他人に興味が持てない人間なんだから。

 その俺が、だ。こうも口煩くなるなんて、俺自身驚く。


 奈央の色んな面を見たからだろうか。人は、いくつもの顔を持っているのだろうか。俺もそうだし、奈央もそうであるように、ここにいる他の生徒たちも、何かを抱え違う一面を隠し持っているのかもしれない。ふと、教師になって初めて、そんな思いが頭を過り、視界の端に奈央の姿を置きながら、ざっと教室内を見渡した。


 見渡した教室内はやはり同じで、どいつもこいつも直前に迫るテストで頭がいっぱいの様子だ。


 そう思っていた矢先。一人の女子生徒の様子に、俺の視線は一時停止した。

 その生徒は俺が数学を教えている奴で、名前を柏木かしわぎ比菜乃ひなのと言う。


 見た目は、奈央を綺麗なタイプとするならば、柏木は丸顔の可愛らしいタイプの女子だ。ほんわかとした雰囲気を纏い、いつも男女数人でつるんでいて、他の奴等が入りこめないほど、そのグループは仲が良い。

 かと言って柏木自身は、取っ付き難い奴ではない。寧ろ逆で、一人の時なんかは素直で人懐っこい印象がある。


 どっかの誰かさんとはまるで違う柏木に、そんな印象を持ったのは、今年の夏季特別講習の時だった。


 俺の夏期講習に参加していた柏木は、授業後、資料室にいる俺の元へとやって来た。

 大抵こういう場合、勝手に俺を巻き込んで告白などしてくる厄介な女子生徒が多いせいか俺としても警戒したのだが、その必要は全くなかった。純粋に分からない箇所を訊ねに来ただけだった。


 ただ、最後に投げかけられた質問だけが、俺にとっては解くことが出来ない難問で、内心タジタジだったのを覚えている。


 それは数学の問題でも他の教科についてでもなく、真顔で『人を好きになるのって、どんな感じ?』との問いだった。


 照れも恥ずかしげもなく真剣な顔つきで、聞く相手を間違えているとも気付きもせずに。


 女子高生が、その思考の半分以上を恋愛に支配されていたとしても可笑しくはない。もしかしたら、それ以上の割合で、恋愛感情に翻弄されているのも普通なのかもしれない。


「柏木さん。柏木比菜乃⋯⋯柏木っ!」


 きっと、柏木もそうなのだろう。担任の福島先生が出欠を取っているというのに、心ここにあらず。気持ちは別世界にワープでもしているのか、福島先生の大きな声すら届いちゃいない。


 仕方なく柏木の元へと近づき、手にしていたペンで、頭を軽く小突いた。


「なにボケーッとしてんだ? さっきから名前呼ばれてるぞ」

「あっ、は、はい!」


 やっと我に返った柏木は、慌てて返事をしてペコリと頭を下げた。

 でも、その顔には覇気がなく、いつもの明さは影を潜めてる。今、注意を受けたばかりというのもあるだろうが、それだけが理由じゃないような気がした。


 柏木が気になり、もう一度声を掛けようとしたその時。ガラッ、と音を立て教室の引き戸が勢い良く開かれた。


「遅れました~」


 うちのクラスの遅刻常習犯、朝倉春樹あさくらはるきだ。


 全く、試験の時まで遅刻とは⋯⋯。


 反省の色を微塵も浮かべず、緊張感の欠片もない朝倉は、柏木の隣にある自分の席へと腰を下ろした。


「昨夜は遅くまで勉強していたせいで、寝坊でもしたのか?」

「まぁ、そんなとこ。人生勉強ってやつ?」


 俺の嫌味を嫌味とも取らない朝倉は、適当に俺をあしらうと、隣の柏木に声を掛ける。


「ヒナ、おはよ」

「⋯⋯おはよう」

「なんか元気なくね?」

「別に⋯⋯普通だよ」


 二人の会話を聞きながら『やっぱり元気ないよなぁ』と、心の中で朝倉に同意する。


 朝倉は、柏木が仲良くしている仲間の一人だ。そいつが元気がないと思うんだから、よっぽどなんだろう。

 だが、まだ気付いてくれる奴がいるだけマシか。


 奈央には? 奈央には、そんな友達がいるだろうか。


 ――いねぇだろうな。


 奈央は、クラスメイトに心を開かない。奈央の周りにやって来る奴はいるのに、そいつらにも優等生の顔を崩さない。そして、そのことに誰も気付いていない。


 他の生徒たちを気に掛けるフリをしながら、教室内をゆっくり歩き、程よい距離から奈央を探り見る。


 アイツはまだ外を見ていた。何が見えるのか、奈央の視線の矛先を追ってみても、これと言って目を奪われるものは何一つない。なのに、瞬きもあまりせずにジーッと見ている。


 何かを目に入れてるわけではないのなら、 一体何を考えている?

 奈央、その瞳の奥に何を映してるんだ?

 柏木と同じように上の空なのか?


「水野さん」

「はい」


 どうやら上の空ではなかったらしい。

 福島先生の声がかかる前に外に向けられてた視線を戻した奈央は、優等生モードの顔で返事をする。

 柏木とはまるで違う。器用にもちゃんと教師の声は耳に入れ、素早く自分を作り隙がない。


 ――そんなんで疲れないのかよ。


 一通り歩き回り教室前の片隅に戻ると、また無意識に奈央を見てしまった俺とアイツの視線が交差する。


 口元を穏やかに緩める奈央。

 この場所ではそうやって、俺にも作られた顔で柔らかく微笑む。

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