目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第13話


 IHヒーターに乗っかっている鍋の蓋を取る。見た目には、ごくごく普通のカレーに見える。


 ⋯⋯が。責任の意味だけは分かった気がした。


 他人の家の慣れないキッチンで戸惑いながらも何とか用意を済ませ、カレーを運ぶ。


「どこ置けばいい? カウンターか?」

「ううん、こっちがいい」


 言われた通りに大理石のテーブルに並べると、ソファーから下りた奈央は、ラグの上にペタンと座った。

 二人向かい合わせに座り「いただきます」と手を合わせて食事を摂る。


「おっ、旨い」


「当たり前でしょ。誰が作ったと思ってんのよ」


「ま、カレーで失敗する奴は、そうはいないだろうけどな」


「悪いけど、料理は得意なの」


 学校内の奈央だけしか知らなかったら、料理が得意と言われても不思議には思わないが、本性が小悪魔だと分かった上にお嬢様だろうと予測すると、料理が得意だということに驚きを隠せない。


「何よ、その意外そうな顔は」


「いや、別に⋯⋯。それより、奈央はいつからここに住んでんだよ」


「言っとくけど私の方が先だから。うちの学校に転入してからずっとここに住んでる」


 俺は、今年の春からだ。


「俺、何回か挨拶に来たんだぞ? いつもお前いなかったじゃん」


「そんなの居留守に決まってんでしょ」


「はぁ?」


 人が菓子折り持って、わざわざ挨拶しに来たっていうのに。


「失礼な奴だな。何で居留守なんて使うんだよ」


「だってイヤじゃない。教師と隣同士なんて遣りづらい」


「自分の素行がばれるのが嫌だったってわけか?」


 図星か?


 奈央は、何も答えずキッチンへと向かってしまった。

 戻って来た奈央の手には、ペットボトルのウーロン茶と缶ビール。そのビールを俺に差し出し、奈央はウーロン茶を一口飲むと、図星の訂正をしてきた。


「素行が悪いのは敬介でしょ。マンションの前で女性とキスしてたり、バーでは見る度に相手が違う女性を相手にして。あそこのバーね、私も行きつけなの」


 ──バレてたのは俺の方だったか。


 そう言えば、部屋に上がりたいと言って聞かない女を黙らせるために、マンション前で口を塞いだことがあったような⋯⋯。


 よりによって生徒である奈央に見られてたのかよ。しかも、バーでも何度も見掛けられていたとは。


「ガキのくせに、あんな店に出入りすんなっ! つーか、何で未成年の家にビールが置いてあんだ!」


「見られてたからって動揺して怒んないでくれる? バレるようなヘマした敬介が悪い。実際、私は今まで敬介にバレなかったわけだし」


 何で俺は気付かなかったんだ。マンションでもバーでも、コイツの気配すら感じたことはない。

 まさか隣に住んでるなんて想定外もいいとこだし。それに隣とは言っても、防音もしっかりしてるこのマンションでは、物音一つ届かない。静かなこのマンションに、奈央が住んでたなんて分かるはずがねぇよ。


 でもそんなことより⋯⋯、と僅かに生まれた心配が頭を掠め、思わず訊かずにはいられなくて口を開く。


「こんな広い部屋に一人なんて、お前寂しくねぇの?」


「別に。そう言う敬介だって一人じゃない」


「俺は男だから寂しくなん───」


「ねぇ、敬介。お替りは? お替りしてよ、ね?」


 俺の言葉に被せて話す奈央は、空になった皿を見て、あっさりと話題をすり替えた。




「⋯⋯それにしてもよぉ」


 空になった俺の皿を取って立ち上がろうとした奈央を手で制し、自分でよそりに来たキッチンに入り鍋の蓋を開けるや否や、思わず溜息混じりの独り言が漏れる。


 2杯目のカレーをよそり奈央の元へ戻ると、


「沢山食べてね」


 こういう時だけ可愛らしい顔で笑いかけてくる奈央に最大の疑問を投げつけた。


「奈央、訊いてもいいか?」


「何?」


「今夜、俺以外に客でも呼んでんのか?」


「誰も来ないけど? 私、人呼ぶの嫌いだし」


「そうか。じゃあ、何でだろうな。あの量は。カレー、10人前はありそうだよな?」


「うん。何でだろうね」


「どうすんだ、アレ」


「えへ」


 えへ、じゃねぇ! お前、そんなキャラじゃないだろうが!


 昨夜、しっかりメイクアップした大人びた綺麗な顔を見たせいか、スッピンの今日は学校で見る姿より、ほんの少しだけ幼く見えて⋯⋯。


 頼むから、それ以上そんな顔すんな! 迂闊にも、可愛いと思っちまったじゃねぇか!


 そんな思いを誤魔化すように、目の前の小悪魔を睨み見る。


「可愛く言っても、俺はあんなに喰えねーぞ」

「ちっ」


 おいこら、舌打ちか? やっぱりな。お前はそう言う奴だよ。一瞬でも可愛いと思った俺がバカだった!


「作りすぎなんだよっ!」


「いっぱい作った方が美味しく出来るの!」


「限度があんだろうが!」


「作っちゃったんだからしょうがないでしょ。責任とって食べてよね」


 俺は家畜じゃない。だいたい、俺が責任取らされる意味が分からない。そう思うのに、抗えなかった。



 当然、一晩で食べきれるわけもなく、それから俺たちふたりは、3日3晩かけて何とかこの量を食い切った。


 これを機に、お互いの部屋を行き来するようになった俺たち。

 学校では教師と生徒。家に戻れば普通の隣人関係とは微妙に違う、ふたりの奇妙な関係が始った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?