んん⋯⋯っ。
小さく呻きながらそっと片目を開けると、視界は薄暗かった。
何だ、まだ夜か。随分とリアルな夢を見たもんだ。奈央が隣人なんて、あるはずがない。
もう少し寝るか、と体の上に乗っかっているブランケットを手繰り寄せ、再び夢の世界へ落ちようと目を閉じかけた、刹那。いつもと違う違和感に気付き、慌てて両目をパチリと開ける。
見上げる天井にあるのは、花形のペンダントライト。
いつ俺は模様替えしたんだ? うちはシーリングスポットライトのはずだったが⋯⋯。
「あーーっ!」
叫ぶと同時にソファーから起飛び起きた。
「うるさい」
薄暗い部屋の中、机のある所だけが煌々と明かりが灯され、そこにいる人物から放たれたのは、温度のない声と冷ややかな視線。
奈央だ!――ってことは、夢は夢じゃなく、夢のような現実。つまりそれは、お隣さんが奈央だと言うリアル。
「寝ぼけてんの?」
空調がコントロールされているせいか、Tシャツにジーンズと言うラフな格好で奈央がクスリと笑う。
落ち着かないなんて思っていたのに、奈央を待ってる間、いつの間にか寝ちまってたのか。
「悪りぃ、グッスリ寝ちまってたみたいだな」
「別にいいよ」
奈央は座ってた椅子から立ち上がると、テーブルの上にあるリモコンを操作し部屋の照明を点けた。
「起こしてくれりゃあ良かったのに」
「昨夜、あまり寝てないでしょ。私のせいで」
「にしたって――」
「何か飲み物持って来る」
言葉を遮り、奈央はキッチンへと行ってしまった。
今は何時なのかと、壁に掛かっている時計に目をやれば、短い針はとうに6の数字を通過していた。
――どんだけ寝てんだよ、俺は。
折角の休日を無駄に消費してしまった後悔と、よくもまあ、人んちでこれだけ寝れたもんだと呆れてしまう。
その間、奈央はちゃんと休んだのか?
奈央が座っていた机の方を見遣ると、参考書とノートが開いたまま。まさか、ずっと勉強してたわけじゃないだろうな。試験を受けたいのなら、今は勉強より先ずは体調回復が優先だ。
「お待たせ。敬介みたいに美味しいコーヒー淹れられないから紅茶にしたけどいい?」
「あぁ、サンキュ。それより、少しは横になったのか? まさか、ずっと机に向かってたなんて言わねぇよな?」
「ずっとじゃないよ。途中、夕飯作るのにキッチンにいたし。カレー沢山作ったから食べてって?」
夕飯を作ってただと?
「⋯⋯何すんのよ」
奈央の手首を強引に掴み、俺が座ってる隣へと引き寄せる。
「やっぱ、まだ少しあんだろ」
両頬を両手で押さえ重ね合わせた額。奈央の額からは、高い体温が直に伝わってきた。
手っ取り早く熱を測るために距離を縮めた俺の胸を奈央が押しのける。
「動けるんだから大丈夫。そんな原始的な測り方じゃ当てにならないし」
俺から離れたのは、額を重ね合わせたから照れたんじゃない。そんなことで照れるほど、可愛げがある奴じゃない。慌てて離れたのは、熱があるって自覚してるからだろう、きっと。
「じゃあ、体温計で測れよ」
「⋯⋯持ってない」
「うちから持ってきてやろうか? 何せ隣だしな」
黙ったまま立ち上がった奈央が、ホワイトボードーの引き出しから取り出したソレは『ない』と言ってたはずの体温計だ。
「持ってんじゃねぇか」
指摘すれば、何か言いたげなしかめっ面で渋々熱を測っている。
ピピッ、と音が鳴るや否や俺は手を差し出した。
「貸せ」
「熱ない」
見られたくないのか、俺に体温計を渡さず、奈央はスイッチを切ってしまう。
だけど知らないんだな。その体温計は俺んとこのと一緒だ。機能なら把握済み。
手を伸ばし、素早く奈央の手から体温計を奪う。
「知ってるか? これ、直前に測ったの記憶されてんだよ」
奪った体温計の小さなボタンを押せば映し出される数字。
「37.4」
「平熱だね」
奈央がシレッと答える。
「お前は赤ん坊か? どんだけ平熱高いんだよ。いいからもう寝ろ」
「あー、うるさい。小姑みたい。私はお腹が空いたの。折角作ったんだから、敬介も責任とって食べてよね」
食欲があるのなら、そりゃ喰ったほうがいいだろうけど。でも、責任って何だ? 奈央語は理解不能だ。
それよりも、料理なんて奈央に作れるのか、と不安が過る。腹壊したら、それこそ責任とって貰いたいくらいだ。
でもカレーだしな。失敗するほうが難しいか。
「じゃ、お前は座ってろ。俺が用意するから」
「ん、分かった」
キッチンへ入ると、カレーの食欲そそる匂いが広がっていた。匂いを嗅ぐ限りは普通のようだ。
だがしかし――。
『責任とって』と、奈央が言った本当の意味を、この数秒後に思い知らされることになる。