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第10話


 悲しみを帯びた顔を垣間見て、だから、


「だけど、お前は女だから⋯⋯」


 ついそんな言葉が滑り落ちた。


「だから何?」


「あまり無茶はすんな。男と女じゃ根本的に違う。男は感情と肉体を切り離すことは出来ても、女はそれだけで済まされないこともあるだろ。体の造りも違うから、傷を負う場合だってあるんだし」


「うわ、教師っぽいこと言ってる」


 そうおどけて見せる水野だけど、そんなんじゃない。教師として言ったつもりは微塵もない。


「別に教師として言ったんじゃねぇよ」


「じゃ、何よ?」


 何って言われても俺にだって分からない。ただ、つい数分前に見た悲しげな表情と、昨夜涙を流していた水野の姿がリンクして、気付いた時には、自然に言葉が漏れ出ていた。


 強いのか弱いのか見定めが付かない女を前にし、俺の中に自分でも理解し難い何かが生まれた気がした。それを俺自身受け入れたくなくて、水野に悟られたくなくて、里美という存在で全てを濁す。


「あのな、俺にも良く分からないが、自分の居場所ってのがあるらしい。本気で好きになると見つかるらしいから、水野はまだ若いんだし、そういう奴が現れた時に後悔しないように、自分を大事にしてやった方がいいんだと思う⋯⋯多分」


 目の前の女は、大きな瞳を最大限に見開いたと思ったら、今度は声を立てて笑い出した。


「何なの、その曖昧な言い方。それって誰の受け売り?」


「あ? 割り切って長いこと付き合ってた女。好きな奴が出来た途端、俺に説教してきやがった」


 更に笑いは大きくなり、涙まで滲ませている。


「想像すると笑えるんだけど。敬介の虚しい姿が目に浮ぶ」


「てめ、俺の言いたいのはそこじゃねーだろ! 女は男で変わりもするってことだ!」


 勝手に想像して、人を哀れんでんじゃねぇよ!


 どう言う絵図らを想像しているのかは知らないが、相当水野のツボに嵌ったらしい。


 あまりの笑いすぎに、自分でもらしくないと思ったのか、必死になって笑いを噛み殺している。その様子を見ていた俺もまた、つられるように笑った。悲しげな表情をされるより、よっぽどいい。


「そんなに笑えるくらい元気なら、もっと喰え」


 コクリと頷いた水野はスプーンを手に持つと、落ち着かせるように一息吐いてからスープ掬って口へと運んだ。


 他のものは口にしなかったものの、野菜スープは残さず全部食べてくれた。


「食後の飲み物は何がいい? 女子高生って何が好きなんだ? オレンジジュースとか、ココアとか、そんなんがいいか? ホットミルクもあるぞ?」


「コーヒーがいい」


「何だ、コーヒーでいいのかよ。砂糖は3杯くらいか?」


「ブラックで」


「女子高生って、甘いのが好きなんじゃねぇの?」


「あのさ、女子高生ってひとくくりで見るの止めてくれない? 私は奈央って言う一人の人間なの。私は私、奈央なの」


 やけに強調しているようにも感じたが、さして気にも留めなかった。

 ましてや苗字ではなく、フルネームでもなく、自分の名前だけを強調した意味など考えもせずに、ただ俺はそれに従った。


「ほら、奈央。コーヒー入ったぞ」


 とことん拘った豆選びやロースト。それを淹れてやれば、美味しいと何度も言って飲んでくれた奈央に、俺のコーヒーは大絶賛を受けた。




✦✥✦




「もう大丈夫」

「ダメだっ!」

「しつこいよ」

「可愛くねぇな」

「一人で帰れるって言ってるでしょ」

「まだ熱あるのに何言ってんだ! 送ってく」


 食事が終わって数十分後。食器を洗うと言い張る奈央を、具合が悪い時はそんなことしないでいいとキッチンから追い出し、何とか説き伏せたのも束の間。今度は玄関先で、帰ると言い出した奈央と俺との押し問答が繰り広げられている。

 送っていくと言う俺に、それを拒絶する奈央。


「ここから近いんだってば!」


「だからって一人で帰せるはずないだろうが。まだ体力だってないんだし」


「ホントに大丈夫!」


「誰かに見られても面倒だから、車に乗ってけ」


「もう、人の話聞いてよ! 私は断ってるの!」


 俺の住んでる部屋は最上階。このフロアには俺を含めて2世帯しか入っていない。

 専用のエレベーターがあるから、直通で地下の駐車場まで下りて車に乗り込めば、他人の目も気にならないだろう。

 誰が見てるか分からないし、見られたら誤解を受けかねない。


「行くぞ」


 ドアを開け、奈央の背中を押し外に出す。

 車のキーを玄関に置いてある籠から取り出し、俺もドアの外に出て鍵を掛け歩き出した。


「部屋でお茶でも飲んでく?」

「いや、いい」


 散々一人で帰ると喚いていたくせに、お茶に誘うだなんて、どういう心変わりだ?


「そう言わずに飲んでけば?」


 エレベータに向かって歩く俺の背中に向かって、またも奈央からの誘いが追いかけてくる。


「いいから。家に着いたら直ぐに寝ろ」


 振り返った俺に「遠慮せずにどうぞ」と、言葉が続く。


 しかも、無愛想にも盛大な溜息をひとつ吐き出して、立ち止まって俺を見ている。


 水野が立ち止まった場所は、このフロアにある、もう一つの部屋の前。


 そのドアを開け、気だるげに寄りかかりながら手をスライドさせて「どうぞ」と、唖然と立ち尽くす俺を促した。

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