悲しみを帯びた顔を垣間見て、だから、
「だけど、お前は女だから⋯⋯」
ついそんな言葉が滑り落ちた。
「だから何?」
「あまり無茶はすんな。男と女じゃ根本的に違う。男は感情と肉体を切り離すことは出来ても、女はそれだけで済まされないこともあるだろ。体の造りも違うから、傷を負う場合だってあるんだし」
「うわ、教師っぽいこと言ってる」
そうおどけて見せる水野だけど、そんなんじゃない。教師として言ったつもりは微塵もない。
「別に教師として言ったんじゃねぇよ」
「じゃ、何よ?」
何って言われても俺にだって分からない。ただ、つい数分前に見た悲しげな表情と、昨夜涙を流していた水野の姿がリンクして、気付いた時には、自然に言葉が漏れ出ていた。
強いのか弱いのか見定めが付かない女を前にし、俺の中に自分でも理解し難い何かが生まれた気がした。それを俺自身受け入れたくなくて、水野に悟られたくなくて、里美という存在で全てを濁す。
「あのな、俺にも良く分からないが、自分の居場所ってのがあるらしい。本気で好きになると見つかるらしいから、水野はまだ若いんだし、そういう奴が現れた時に後悔しないように、自分を大事にしてやった方がいいんだと思う⋯⋯多分」
目の前の女は、大きな瞳を最大限に見開いたと思ったら、今度は声を立てて笑い出した。
「何なの、その曖昧な言い方。それって誰の受け売り?」
「あ? 割り切って長いこと付き合ってた女。好きな奴が出来た途端、俺に説教してきやがった」
更に笑いは大きくなり、涙まで滲ませている。
「想像すると笑えるんだけど。敬介の虚しい姿が目に浮ぶ」
「てめ、俺の言いたいのはそこじゃねーだろ! 女は男で変わりもするってことだ!」
勝手に想像して、人を哀れんでんじゃねぇよ!
どう言う絵図らを想像しているのかは知らないが、相当水野のツボに嵌ったらしい。
あまりの笑いすぎに、自分でもらしくないと思ったのか、必死になって笑いを噛み殺している。その様子を見ていた俺もまた、つられるように笑った。悲しげな表情をされるより、よっぽどいい。
「そんなに笑えるくらい元気なら、もっと喰え」
コクリと頷いた水野はスプーンを手に持つと、落ち着かせるように一息吐いてからスープ掬って口へと運んだ。
他のものは口にしなかったものの、野菜スープは残さず全部食べてくれた。
「食後の飲み物は何がいい? 女子高生って何が好きなんだ? オレンジジュースとか、ココアとか、そんなんがいいか? ホットミルクもあるぞ?」
「コーヒーがいい」
「何だ、コーヒーでいいのかよ。砂糖は3杯くらいか?」
「ブラックで」
「女子高生って、甘いのが好きなんじゃねぇの?」
「あのさ、女子高生ってひと
やけに強調しているようにも感じたが、さして気にも留めなかった。
ましてや苗字ではなく、フルネームでもなく、自分の名前だけを強調した意味など考えもせずに、ただ俺はそれに従った。
「ほら、奈央。コーヒー入ったぞ」
とことん拘った豆選びやロースト。それを淹れてやれば、美味しいと何度も言って飲んでくれた奈央に、俺のコーヒーは大絶賛を受けた。
✦✥✦
「もう大丈夫」
「ダメだっ!」
「しつこいよ」
「可愛くねぇな」
「一人で帰れるって言ってるでしょ」
「まだ熱あるのに何言ってんだ! 送ってく」
食事が終わって数十分後。食器を洗うと言い張る奈央を、具合が悪い時はそんなことしないでいいとキッチンから追い出し、何とか説き伏せたのも束の間。今度は玄関先で、帰ると言い出した奈央と俺との押し問答が繰り広げられている。
送っていくと言う俺に、それを拒絶する奈央。
「ここから近いんだってば!」
「だからって一人で帰せるはずないだろうが。まだ体力だってないんだし」
「ホントに大丈夫!」
「誰かに見られても面倒だから、車に乗ってけ」
「もう、人の話聞いてよ! 私は断ってるの!」
俺の住んでる部屋は最上階。このフロアには俺を含めて2世帯しか入っていない。
専用のエレベーターがあるから、直通で地下の駐車場まで下りて車に乗り込めば、他人の目も気にならないだろう。
誰が見てるか分からないし、見られたら誤解を受けかねない。
「行くぞ」
ドアを開け、奈央の背中を押し外に出す。
車のキーを玄関に置いてある籠から取り出し、俺もドアの外に出て鍵を掛け歩き出した。
「部屋でお茶でも飲んでく?」
「いや、いい」
散々一人で帰ると喚いていたくせに、お茶に誘うだなんて、どういう心変わりだ?
「そう言わずに飲んでけば?」
エレベータに向かって歩く俺の背中に向かって、またも奈央からの誘いが追いかけてくる。
「いいから。家に着いたら直ぐに寝ろ」
振り返った俺に「遠慮せずにどうぞ」と、言葉が続く。
しかも、無愛想にも盛大な溜息をひとつ吐き出して、立ち止まって俺を見ている。
水野が立ち止まった場所は、このフロアにある、もう一つの部屋の前。
そのドアを開け、気だるげに寄りかかりながら手をスライドさせて「どうぞ」と、唖然と立ち尽くす俺を促した。