「⋯⋯意外」
テーブルに並べられた食事を見て、失礼極まりない小悪魔が呟く。
「何が?」
「敬介、料理作れるんだって感心してるの。私の中のイメージじゃ、女性を食い散らかすイメージはあっても、料理が出来る男性には見えなかったから」
最低なイメージが、お前の頭ん中には植え付けられてるんだな。
あんな場面を見られたんだ。何を言っても言い訳にしかならないし、本当なだけに返す言葉も見つからないのが辛いところだ。
「くだらないこと言ってないで、さっさと食えよ」
「うん。頂きます。ん⋯⋯美味しい」
「そっか。一杯食って、もう少し太れ」
「出た、セクハラ発言」
顔色一つ変えずに淡々と言う水野。
ふざけて言うならともかく、そんな真顔で言われたら、本気で俺がセクハラしてるみたいじゃねぇかよ。
「あのな、俺は心配して言ってやってんの。お前、軽過ぎだろ。ちゃんとメシ食ってんのか? 一人暮らしだからって、適当に済ましてるんじゃねぇの?」
「食べてるし。でもあまり太る体質じゃないみたい。出てるとこは出てるんだけどね」
「そりゃ分かるけど⋯⋯あ」
今、俺は墓穴を掘らなかっただろうか。
「ふーん。分かるけど?」
ねっとりとした口調で語尾を上げた水野は、ニヤリと笑った。
「やっぱり敬介見たんだ。私の出てるとこ」
「バカ、ちげーよ! んなのは服の上からでも分かんだろ」
「沢谷先生って、そんな所まで良く見てるんだね」
ああ言えばこう言う奴だ。しかも、先生と名前とを使い分けやがって。
食欲喪失しかかりながら、無理矢理食べ物を口に運び誤魔化す自分が情けない。
「それより、明日からテストなんだぞ。具合悪いのにあんなとこで男と会ってる場合じゃないだろ。体調管理ぐらいきちんとしろ」
「ふふっ。都合悪くなって、話すり替えたね」
⋯⋯俺の心理は読まないでいただきたいんだが。
容赦のない水野はスプーンを置くと、きっぱりと断言した。
「今度のテストもトップは譲らない」
そんなにトップを守りたいなら、大事なこの時に何であんな場所にいた?
昨夜は街に繰り出していた上に、熱で勉強なんて出来る状態ではなかった。具合悪い以前に男と会っている場合じゃないだろ。
そもそもこいつは、何で好きでもない男と付き合ってたんだ?
理解しきれない水野に、次々と湧く疑問を投げつけた。
「そんなにトップになるのが大事かよ」
「大事よ。周りもそう望んでるでしょ?」
周りか⋯⋯。
コイツの親が望んでるのだろうか。いや、それだけじゃない。間違いなく学校側も望んでいる。水野なら有名な大学に進学してくれるんじゃないかと、絶対にそうなって欲しいと願っている。学校の名声のために。
「じゃ、何であんな所にいた?」
「しつこく付き纏われた男を切るため。モタモタしてられないもんね」
悪意ある付け足しだ。ご丁寧に『モタモタ』を強調すんな。
「モタモタしようが、試験前に会う必要はないだろ。そんなんでトップ保守出来んのかよ」
「大丈夫でしょ。私、天才? だから」
矢継ぎ早の質問にも笑顔でサラリと答えていたはずの水野は、だがしかし、次の質問で笑みを消した。
「おまえさ、いつもあんな風に男と付き合ってるわけ?」
口を閉ざした水野は、代わりに大きな瞳をパチパチと動かし、不思議そうに首を傾げた。
⋯⋯何だよ。首傾げたまま黙りこくって。
流れるこの静かな時間が居心地悪いだろ。何とか言えよ。
「ふ~ん」
やっと沈黙を破ってくれたと思ったら、出て来たのは意味深な声。
「何か言いたげだな」
「そうじゃないけど、敬介がそんなこと聞いてくるとは思わなかったから。あんな風な付き合いが普通だと思ってる人に不思議がられる方が不思議。だって、敬介も私と同じ考えの人でしょ? 違う?」
逆に切り返されはしたが、その答えに何を求められているのかは理解出来る。
これが他の女に出す答えなら容易い。体の関係だけで充分だ、と答えることも出来ただろう。だが、相手は生徒。教師として認めて貰えない相手であっても、俺がどんな奴かばれていようとも、たったそれだけの事実は意外と大きく、口にすることに躊躇いが生じる。
そんな俺を代弁するかのように、水野は口を開いた。
「つまらない時間をやり過ごす為だけのこと。そこに感情は必要ないし、それを悪いだなんて思わない。違う?」
日頃自分が思っていることを、仮にも教師である俺に、いとも簡単に言い放った。
こんな女は、割り切った関係の中ではいくらでもいた。でも、水野は俺の生徒だ。生徒である水野が言っているという現実に、俺は歯痒さを感じていた。
この歯痒さが何なのかは分からない。一つ分かるとすれば、それはどんな綺麗事を並べ立てても、水野には通用しないということ。コイツが教師と生徒と言う壁を持つつもりがないのなら、俺も取っ払うか。
普段は本音もホントの姿も隠してるはずのお前が、何の躊躇いもなく、人に否定されてもおかしくないことを口にしたんだから。きっと、自分と同じ匂いのする俺だから言えたんだろう。
「お前、屈折してんな。俺も同じだ。それだけに不気味」
「“普通” とされている恋愛だって、充分屈折してるじゃない」
どこを見るともなく視線を宙に彷徨わせた水野は、更に言葉を重ねる。
「好きだ何だ言ったって、自分の思い通りにならない出来事にぶち当たれば、簡単に怒りに変わるし憎しみにも変わる。愛情も憎しみも紙一重でしょ」
「そんなもの求めて感情揺さぶられた挙句、時間を奪われるのはバカらしいってことか?」
「そう」
よく分かってんだな、全く同感だが。
「それって、そう言う恋愛経験があったってことだよな? 経験があったからこそ知り得たもんだろ」
無表情のまま彷徨っていた瞳は俺の視線の前で止まり、答える代わりに悲しげにフッと微笑むと、水野は再び視線を外した。
無言での肯定か。
その過去が今もまだコイツを苦しめ、傷口が塞がらずにいたなんて、この時の俺は、まだ何も知らずにいた。