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第8話


 ――ボタッ。


 僅かな物音に脳が敏感に反応する。


 いつの間にか寝ちまってたか。


 顔を上げると、カーテンの隙間からは眩しい光が差し込んでいた。

 どうやら水野の手を握り締めたまま、ベッドの上で突っ伏して寝ていたらしい。


 俺が座っている床には、物音の原因だと思われる氷嚢が落ちていて、冷たくも何ともない氷嚢をベッドサイドのテーブルに置くと、まだ眠っている水野の額に空いてる手を乗せた。


 ⋯⋯良かった。熱は大分下がってるみたいだ。


「⋯⋯んっ」


 小さく唸った水野。その拍子に繋がっている俺の手にも少しの圧がかかる。

 額に置いていたもう片方の手を退かし、


「目覚めたか?」


 問い訊ねれば、ずっと閉じられていた瞼はゆっくりと開き、覚醒しきれていないのか、ボンヤリと俺を眺め見る。


「どうだ気分は?」

「⋯⋯え?⋯⋯私⋯⋯」


 今、自分がどのような状況にあるのか分からないのだろう。


「昨夜、タクシーで寝てから、ずっと起きないから俺んちに運んだんだ」


「⋯⋯そうだったんだ」


 小さく息を吐いた水野は、視線を動かし繋がれている手に目を移す。水野が目を覚ましたというのに、握ったままだったことに慌て、急いで離した。


「⋯⋯ずっと看病してくれてたの?」

「ま、まぁな。それより熱測れよ」


 何となく照れ臭くて、一晩中、水野の手に触れていた右手で体温計を取ると、それを前に差し出した。


「あっ、バスローブ」


 って、今度はそっちかよ!


 体温計を脇に挟もうとした刹那、水野が気付いたもう一つの現状。


 気まずい。疚しいことなど何一つないのに、手を握っていたことよりも、ずっと気まずい。


「おまっ、ご、誤解すんなよ? 汗掻いてたから着替えさせただけだからな! 何も疚しいことはしてねぇぞ!」


 キョトンとした顔で俺を見た後で、クスッとその表情を緩ませる。


「別に私何も言ってないけど?」


 動揺する俺に対して、至って落ち着いた女子高生。調子が狂いまくりである教師の俺に構わず、更に言葉を重ねてくる。


「理性は持ち合わせてるんだもんね? 大人の男だからね、沢谷先生!」


 嫌味っぽく言われ、先日交わした屋上でのやり取りを思い出す。

 しかも、こんな時だけ先生なんて呼びやがって。


「当たり前だ!」


「そう」


「ガキに興味はないんだよ」


「だけど見たでしょ? 私の、ハ・ダ・カ」


 その小悪魔的な笑みは止めろ。

 そりゃ全く見てないと言ったら嘘になる。だが、あれは避けられなかった事故だ、事故!


「み、見てねぇよ。目を逸らしながら着替えさせたからな」


「へぇー、そうなんだ。看病してくれたお礼に、それくらいのサービスは許したのに」


 だったら最初に言ってくれ。グースカ寝てた癖に今頃言うな。


「なら、しっかり見とくんだったな!」


「じゃ、今から見る?」


「はっ? な、な、何言ってんだよ、お前は!」


 こいつは正気か? 熱で頭がやられたんじゃねぇのか。


「敬介面白い。嘘に決まってるじゃない」


 腹立つな、コイツ。俺をからかって楽しんでやがる。


「おまえ、いい加減にしとけよ。さっさと熱を測れ。俺はメシの用意してくるから、それまでもう少し寝てろ! いいな、分かったな!」


 今一ペースが掴みきれず、キッチンへ向かうために水野に背を向ける。


「ねぇ、敬介」


 何だよ今度は。まだ俺で遊ぶつもりか?


 軽くイラつきながら振り返ると、ふざけた表情を消した水野の視線と交差した。


「ありがとう」


 真面目にそう言われるのもまた調子が狂い「おぅ」とだけ素っ気なく返すと、今度こそ足早に部屋を出た。




✦✥✦




「起きてたのか?」


 食事の準備が終わり部屋へ戻ってみると、ベッドに横になったまま、水野は窓の方をジッと見ていた。


「うん、寝すぎたからね」


「熱は?」


「7度4分」


「まだ少しあるな。あっちにメシ用意したから、ちょっとでもいいから腹に入れろ。それともここで食うか?」


「ありがとう。大丈夫、起きれるから向こうに行く」


 水野は上半身を起こし、少し肌蹴た胸元を直すと、ゆっくりとベッドから降りた。

 しかし、その足下はふらついている。


「大丈夫かよ。危なっかしいな」


 見ていられず、ふらふらする水野の身体をヒョイと持ち上げる。


「ちょっと、降ろしてってば」


 肩に担がれ暴れる水野だが、そんな力じゃ痛くも痒くもない。


「倒れてタンスの角にでも頭ぶつけたらどうすんだよ。俺の睡眠奪って、また看病させる気か?」


「このだだっ広い部屋に、タンスなんて見当たらないんだけど? 何だかんだ言って、私に触りたいだけなんじゃないの?」


「アホか。これは人助けって言うんだ。頭いいくせにそんなことも分かんないのかよ」


「変態教師のセクハラに遭ってるのかと思った」


「てめっ」


 身体に力は入らないくせに、口だけは忙しなく動かせるようになった水野に、何故だか俺はホッとしていた。

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