「ほら!席に着きなさい!!」
体は小さいのに、良くもそんな大きな声が出るもんだ。教師ってのは、声がでかくなきゃダメのか?
2-A組、担任の女性教師、
「今日から、産休に入られた小泉先生に代わって、副担をして貰う事になった
先生からも一言どうぞ、と福島先生が退いた教壇に促され、生徒たちからの視線を一斉に浴びながら、ありきたりな言葉を吐く。
「もう2学期も終わりだし短い期間だけど、よろしくな」
教師1年目の俺は数学教師。
この学校では、同じクラスでも標準コースと特進コースに別れ数学の授業を受けることになっていて、二年の標準コースを受け持つ俺は、見知った顔も多い。
つまり、知らない生徒のほとんどは、俺の受け持ちではない、デキの良い奴等だ。
中でも、一年の途中から都内でも有数の進学校と言われるうちの高校に転入して来て以来、常に学年トップをキープしているという、教師たちからも一目置かれている奴がいる。
教師だけではない。そいつは、生徒たちからも注目の的だ。
決して、自ら前に出て行くタイプでもないのに、そこに居るだけで存在感のあるそいつ。
小さな顔に、吸い込まれそうなふたつのブラウンの瞳とスーッと通った鼻筋。色白のせいで余計に目立つ、赤い唇。瞳と同じ色で、天使の輪がくっきりと浮ぶサラサラな長いストレート。
どれを取っても完璧な容姿。下手な芸能人より、よっぽど見栄えがいいそいつの名は────
水野奈央の存在は、教室を見渡し時に直ぐに気付いた。遠目から見たことだけはあったが、こうして近くで見るのは初めてだ。まあ、言われるだけのことはある。評判通りの美貌だった。
教師ですら水野に目を奪われている奴もいると聞く。教頭自らが、くれぐれも恋愛感情なんて抱かないよう注意してきたほどだ。
だが、綺麗なものは綺麗と認めつつも、それ以上の感情を探せと言われたところで、俺には無理だろう。
「ねぇ、沢谷先生彼女いるの~?」
甲高い声で俺に向けられる女子生徒からの質問。その質問と同時に、そわそわし始める女子生徒を普通とするならば、確かに水野はそこからはみ出ている。
「いきなりそんな質問かよ。ま、恋人ならいるけど」
普通とカテゴライズした女子生徒たちに、一応答えとく。不特定多数だけどな、って事実は胸にしまって。
俺の答えに一段と高い声でギャアギャア騒ぐ女子たちに対して、男子生徒は呆れ顔だ。
そして、まるで人形のように整った綺麗な顔立ちで静かに微笑するだけの水野は、女子が騒ぐこの場では異質ともとれる存在なのかもしれない。
福島先生の響き渡る声で再び静まり返る教室を後にすれば、またいつもと同じ日常が始る。
授業をして、休み時間には女子生徒に囲まれて……。
午後からの授業が終われば、放課後には勉強を教えて欲しいと言う名目で言い寄って来る女子生徒を躱しながら、職員室では煩い教頭の話を上手く受け流す。
これが教師としての在り来たりな俺の日常だ。
別に、こんな毎日がイヤなわけじゃない。かといって、満足かと問われれば、満たされない何かが常に燻っている気がする。
特別に望んで就いた職でもない。本来、教職者にあるべき人間じゃない自覚もある。ただ、昔から学校が好きだった。家にいるより学校に安らぎを求めた。だから大人になっても、その場所に逃げただけ。
生徒に戻れない俺は、教師となってこの場にいることを人生の選択肢としただけだった。
✦✥✦
俺が2-Aの副担になって5日が過ぎた。
特別変わったことは何一つないが、教師である以上、気を引き締めなきゃならないことも山ほどある。それを継続するってのは大変なわけで⋯⋯。
他の先生や生徒の目を盗んでは、屋上の片隅で煙草を吸いながら、束の間の休息を自分に与えていたりする。
普段から立ち入り禁止だと生徒たちに口を酸っぱくして言っているせいか、この屋上に入って来る奴はほとんどいない。
いないはずなんだが⋯⋯。
突然、バタン! と威勢良く開かれた扉の音が響き渡る。
────誰だ?
吸おうとしていたタバコを内ポケに隠す。
タンクの裏にいる俺からは、入って来た人物は見えない。だが、正体不明の相手は、俺がここにいるのを知ってるかのような足取りで、どんどんとこちらへと近付いてくる。
「先生、見っけ!」
ニッコリ笑い俺を指差す女子生徒の足が、俺の目の前でピタリと止まった。
「何やってんだよ、お前は」
「えへへ、先生の後つけてきちゃった!」
えへへ⋯⋯って、可愛さをアピールしてるつもりなのかは知らないが、後をつけて来たってだけで正直引く。
「授業はどうしたよ」
「自習になったんだよね。だから抜けて来た。これもサボりになる?」
「どうして疑問系なるのかが疑問だな。間違いなくサボリだろ」
「だって⋯⋯」
モジモジし出したこの生徒は、うちのクラスの確か、川島!?⋯⋯だったように思う。
「とにかく今は授業中だ。直ぐに教室に戻りなさい」
クラスの生徒の名もまだあやふやにしか覚えていない癖して、教師らしい口調で宥め聞かす。
「先生もさぼってるんでしょ?」
「俺はこの時間授業ないんだよ。休憩し終わったらまた資料作りに戻るし。だから、お前も早く戻れ」
「だって、こうでもしなきゃ先生に近づけないじゃん! いつもいつも周りには他の子達がいるし」
イヤな状況だ。教師と生徒なんだから、必要以上に近付く意味も理由もないのだと、何故分からない。
「お前、特進コースだろ? 分かんないとこあんなら、特進担当の先生に聞けよ」
あっさり言い捨て、こいつが授業のことで聞きに来たわけじゃないのを知りながら、この場から離れようと足を踏み出した。
「待って、先生!」
「悪いけど、待てないな」
川島の声には振り返らず、扉に向かって歩いていた俺の腕に力が加わる。
───引き摺って歩くか? って、まさかそんなことも出来ねぇし。
「腕、離してもらえるか?」
「イヤ」
俺の左腕に自分の両腕を絡ませ顔を埋める川島。立ち止まってお願いしてみても、こいつも必死らしく離してもらえそうにない。
「⋯⋯一体、どうした?」
本当なら聞きたくなんかない。どっちみち聞いたところで、こいつの願いは叶うはずないんだから。
「わ、私ね? 先生が⋯⋯好きなの」
やっぱりな、と想像通り過ぎて内心で嘆息する。
「悪いが、その気持ちには応えられない」
「今すぐ返事しないで! 先生、私のことなんて何も知らないでしょ? だから、ゆっくりこれから私を見て欲しい」
────何も知らない?
あぁ、知らないなかもな。でもたった一つ分かることがある。それは、お前も俺を知らないってこと。教師って面をつけた俺しか、生徒であるお前たちは知らないんだよ。
でも、それが普通だ。
教師なんて職業、生徒の前で言える本音なんて限られている。そんな大人に憧れるのは自由だ。でもな、それを自分の願望に乗っけて恋愛まで持ってくな。
生憎、教師以前に俺は、いくら想いをぶつけられても何の感情も湧いてきやしない。
それでも、こうやって言われてしまえば教師を盾に答えるしかない。
「これから先も、お前を特別な目で見ることはない。俺は教師だ。可愛い生徒の一人としか見れないよ」
こうしてまた、本音を伝えず教師として振舞う。本当は、恋愛なんか出来ない欠陥人間なんだと、内に隠して。