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第37話

「じゃあさ、もう一つの坂本龍馬の方は?」

「もういいじゃない、大した話じゃないよ」


「えーでも、ちょー有名人じゃん、教えてよー」


 ナミにせがまれたのなら、藍はざっとクエストを話しだす。



 坂本龍馬、近江屋事件は1866年1月23日に起きた寺田屋遭難に端を発する。


 深夜2時、船宿や旅籠が建ち並ぶ京都伏見……寺田屋は幕府伏見奉行の捕り方30人に囲まれる。彼らの目当ては2日前に結ばれた薩長同盟の立役者、坂本龍馬と三吉慎蔵である。


 寺田屋は薩摩藩の御用達の旅籠で、お登勢という名物女将が贔屓にしている。そしてその養女に『お春』という女が居た。


 仕事を終えたお春は風呂に入っていた。すると屋敷の周りに何やら物音が伝わってくる。その気配は1~2人ではない。

 お春はただ事ではない事態を察知したのなら裸のまま裏階段を上り、龍馬たちに危急を告げる。


 このとき龍馬は護衛のため拳銃で捕り方を2人射殺して逃げ果せる。しかしこの捕り方を殺したことで、後に近江事件となって龍馬の生涯を締めくくることに繋がる。

 このお春は後の龍馬の妻となる楢崎 龍⦅* お龍⦆である。



 藍は逃げ果せた寺田屋と殺された近江屋との違いを探る。比べれば比べる程、近江屋での警戒への怠りが目についてならない。


 なぜなら近江屋襲撃の起きた1867年は、有名な『船中八策』⦅* 大政奉還・議会開設・官制改革・条約改正・憲法制定・海軍拡張・京都守護・外国為替及び貿易⦆を説き、龍馬自身の耳にも届くほど『暗殺』の風聞は広く流れていたからである。


 藍が目に付けたのは山田藤吉という男である。彼は暗殺の風評もあって龍馬に雇われた用心棒である。そもそも20歳そこそこの元相撲取りの山田が、いかほどの信頼を得ていたものか。

 近江屋事件のとき、彼は階下で切られて倒れていたとも、客の取次をして2階で倒れていたとも言われている。どちらにしても用心棒としてはお粗末すぎる。


「だから実は、彼は伊東甲子太郎が雇った間者であり、口封じに龍馬もろとも殺された。と僕は睨んだ」



***



 風邪を引いた坂本龍馬は逃げやすい土倉ではなく2階に移っていた。


 午後9時頃、十津川郷士を名乗る来客に藤吉が取り次ぎに出ると、龍馬と中岡慎太郎のいる部屋に押し入った。すぐさま龍馬は額を切られ、更に龍馬の佩刀・陸奥守吉行むつのかみよしゆきを掴みに振り返った背中を切られる。龍馬はほぼ即死であったという。

 中岡は手足を切られ、また腹も切られて倒れ、死んだふりをした。中岡は暗殺のあった11月15日の2日後に死んだ。

 山田は6箇所を切られ、11月16日に死んだ。


 以上が史実である。



***



 午後9時頃、暗殺者たちは龍馬と中岡慎太郎のいる部屋に押し入った。すでに中岡と龍馬は部屋から逃げ延びており、斜向かいにある土佐藩邸に向かおうとしていた。しかしそこにも見張りがいる。

 このままでは裏切り者にされてしまう山田は焦り、龍馬が土佐藩邸へ助けを求めることは、いくら土佐が龍馬や中岡の土佐脱藩の罪を許したとはいえ、土佐藩からの刺客の可能性もある上、土佐藩に助けを求めるには龍馬の威信にかかわると、何とか足止めを計る。

 寺田屋の時も薩摩藩の伏見屋敷に逃げ込んだ、薩摩藩だって龍馬を苦々しく思っている、だからそんなことは大事に足らぬプライド自尊心だ、と背中越しに跳ねのける。振り返りもしない無下な龍馬に対し、我を失くした山田が切りつける。

 山田の一太刀目が龍馬の背中を切り裂く。しかし山田の太刀には腰が入っていない、致命傷には及ばない。


「ぎゃッ!」


 短い叫びと共に前に突っかける。振り向いた龍馬に山田の二太刀目が。しかしさすがは坂本龍馬。抜けぬまでも鞘で受ける。しかし山田の刀身は鞘を滑り、龍馬の額を切りつけた。


「ぐッ!」


 再び龍馬が呻いたのなら、一足先を行っていた中岡が引き返す。山田を止めに掛かったところで刺客が中岡に追い付いた。背後から追い付かれた中岡も一太刀目で手が切れ落ちる程の一刀を浴びる。そしてここで切り合いが始まるも、山田の不意打ちに崩された龍馬は刺客の一振りで再び額を割られ、それが致命傷となってしまう。


 賊が去った後、龍馬は道に落ちた行燈あんどんを拾い上げ、その明かりで刀身に額の傷を映して見ると、その傷口は手のつけられない深手であることが分かった。


「脳をやられちょる、わしゃもういかん」


 その死は前のめりに突っ伏したという。あと2日もすれば満月……空には藍の知る月よりも何倍も大きな月が張り付いていた……。



◆◇◆◇



「クエストはクリアしたけど、二つとも後味のスッキリしない結末だった……」

「えーでもすごい! じゃあさ、義経さんたちもきっと逃がしてあげられるわよね?」


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