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第21話 忠臣蔵

 再びレベルを落とした『レベル2 忠臣蔵 赤穂46義士』は、元禄14年3月14日、江戸城殿中松之大廊下での赤穂藩藩主・浅野長矩⦅内匠頭⦆が高家肝煎・吉良義央⦅上野介⦆へ刃傷を起こしてしまう。

 2人はご法度である『殿中での抜刀』をさせないことでクエスト達成を目指した。

 このクエストはデンちゃんたっての希望だ。デンちゃんはどうしても江戸時代に行きたかった。デンちゃんの父は華道の家元だ。華道は遠く飛鳥時代にその原型を成し、室町時代を経て江戸時代中期には、庶民に広まるべく伝書が多く世に出た。そんな江戸時代、立花の秘伝を公にする花伝書かでんしょを持って帰ったり、記録媒体での撮影はだめだけれど、父に伝えたい、それである。

『古今立花大全(1671年刊)』『寛文13年(1673)立花図并砂物』『元禄11年(1698)、新撰 瓶花図彙』などが刊行されている時代。



◆◇◆◇



「殿中でござる」

「御放しくだされ。五万三千石、所領も捨て、家臣も捨てての刃傷にござる」


 この有名な言葉と共にある登場人物は、背後から取り押さえた梶川与惣兵衛と懇願する浅野内匠頭。


 内匠頭は2太刀を吉良に浴びせている、いずれも致命傷ではなく、おそらくは逆上しての刃傷沙汰であったに違いない。所領を捨て、家臣たちをも巻き込む覚悟ある太刀筋には到底思えない、ただの短慮が招いた事件、それが史実かと思える。



***



 松之廊下刃傷事件の発端は、内匠頭が勅使で登城する前から始まっている。浅野家の赤穂はご存じの通り、吉良の所領である三河も塩の名産地である。しかし後発である赤穂の塩が精白に長けたことで人気が出た。


「精白法を伝授して欲しい」


 吉良の三河は頼んだそうだ。


「門外不出!」


 と拒否するは内匠頭。


 こうしたこともあって吉良は元々良い感情を持っていなかった。




『増上寺への勅使参詣のために畳替えが必要なのに、吉良は長矩にだけ教えなかった』寺坂私記に遺された、内匠頭と上野介との確執の記録もある。



***



「指南役であらせられる上野介殿への付け届け謝礼、いかほどになさいましょう?」

「18年前の時の記録があるはずだ、その時と同じで良かろう」


 34歳になる浅野内匠頭長矩はそう答えた。彼は18年前も御馳走人⦅=饗応⦆をこなしている、しかも指南役は吉良上野介義央で。

 彼は知らなかった、そのときとは物価が2倍にも上昇している。物語において彼は、倹約として吉良への付け届けが相場を下回ったとされることがおおいが、幾度か経験のある御馳走人に対しての慢心、それに伴う指南役への過小評価が招いた短慮であった、と感じる。




「勅使ご登城の刻限と存じますが、式台でお迎え致した方が良いでしょうか? それとも式台下にてお迎えすべきでしょうか?」

「今頃になって左様なことを訊かれるとはもってのほか。その程度の御作法は常日頃からお心がけなさるべきもの。にわかに果せられるとは笑止千万」


 内匠頭は確認の意をもって伺いたてる。それを冷笑にて答えない上野介。


 赤穂浪士の討ち入りは、大石内蔵助以下47士の忠臣は見事成りけれど、浅野内匠頭の行動は責任ある上司の行動やプライドは存在せず、喧嘩両成敗』されなかった不公平を綴った物語といえる。……不公平とは必ず損した方が唱えるものである……。


 朝廷から派遣された勅使と院使が、将軍に年賀の答礼を行う儀式の最終日、つまりは御馳走人のお務めも最終日の4日目……グレゴリオ暦1701年3月14日、午前11時40分頃、江戸城本丸大廊下……。そこに控える浅野内匠頭と伊達左京亮村豊。角柱から梶川がその様子と、その先にある儀式を行う御白書院を見つめる。

 吉良が御白書院の方よりやって来た。いよいよだ……吉良上野介が内匠頭の脇を抜け大広間に向かうところで梶川と打ち合わせを始める。



「史実ではここで上野介の後ろから内匠頭が脇差で切りつける! 今だ、行くよナミちゃん!」


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