小太り中年男は撃った反動で尻もちをつく。その衝撃でさらにもう一発引き金を引いてしまう。バズの方とは明後日の方角だ。
1発はまぐれにもバズの足元へ、そしてもう1発はイイネ様の鞭に着弾した。鞭は引き裂かれ、スチュワーデスは再び自由となる。イイネ様はそれを諦め反転したのなら、壁に刺さった短刀を手にデンちゃんへと切りかかる。
バズは驚いて動けない、そこへナミの巻き戻して鉄の棒のようになったヨーヨーで肩口を殴りつけられたのなら一溜りもない。
イイネ様とデンちゃんは火花を散らしている。
デンちゃんは十手術を体得している。十手術は刀より間合いが近くなるので体術が求められる。イイネ様が刺してきた短刀を刺し手側に体を裁くとその肘を押さえる。そうすることで短刀を持ったその腕を制することができる。肘を押さえることは十手術の基本である。イイネ様の眼前に十手が付きつけられる。
「くっ……」
「勝負あったようですね」
デンちゃんがニコッとイイネ様に微笑む。
「ナミちゃん、コレが俺の変な武術だっ!」
ナミにも会心の笑顔を向けるのだった
日航機61便は無事成田に到着した。定刻より32分遅れた17:02。イイネ様たちのハイジャック騒ぎは、不思議と到着の遅れを引き起こした原因として史実と合致した。イイネ様たちは逮捕される前に『クエストギブアップ』でこの世界からエスケープしたようだった。
新東京国際空港という割に都会感の少なさを覚えたのを、後のクエストで思い出すことになったデンとナミ。
◆◇◆◇
「ね、デンちゃん。この後どーするの?」
「うーん……どうしようか? ナミちゃん良いアイデアない?」
「えー?! わたしドラフトとか野球協定とか知らないからどうすれば良いかなんて、どーにも分かりっこないわ?!」
デンちゃんの向こうから男の子が勢いよく走ってくる。ナミたちの横をすり抜ける直前、男の子は激しく転んだ。
「あ、大丈夫?」
ナミが男の子に手を差し出すと、男の子は痛みと涙を必死に我慢しているようだった。男の子の膝は擦り剝けて血が滲んでいる。
「どーもすみません」
後ろから母親たちが駆け付けてナミに頭を下げた。『走り回ったりするからでしょ』などと男の子は窘められたが、男の子の祖母であろうか、更に後ろから優しい声が掛かる。きっと男の子はそうしてほしかったんだと思う。
「お家に帰って、赤チン塗ろうね」
そんな会話が聞こえながら、ナミたちは見送った。ナミは不思議そうな顔をデンちゃんに向けて言う。
「ねー、なにチンだって?」
「赤い……チン……って……」
「ねー、赤チンってなーに?」
「……さあ……?」
……………………。
「契約するんだから、江川と巨人が会わないようにするしかない、よね?!」
そうこうしてるうちに江川は迎えに来た代議士秘書の蓮実の車に乗って走り出してしまう。時はもう夕暮れだ。もう10日もすれば12月になるという日暮れは早い。そして温暖化の進んだ世界に慣れたナミからすれば肌寒い。
「……じゃあ、さ、その契約ってこっそりやったんでしょ? それならこっそりできないように、どーにかみんなにバラしちゃえばいいんじゃない?」
「そうか、江川が急遽帰国したことはアメリカの会見をキャンセルしたことで知れ渡っている。マスコミとかにリークすれば……」
「時間がない……ナミちゃん、手分けして江川の契約を
「デンちゃん、分かったわ」
目の前には初めて見る東京のランドマークタワー『東京タワー』が夜をバックに赤く存在感を示して近づいて来る。ナミは、江川が正子とこの景色を何度も観ているのかと想像したのなら、少し羨ましく思うのだった。
◆◇◆◇
午後11:00 正子訪問。
午前0時。西武ライオンズ、江川との交渉権消失。
午前0時40分、山本栄則巨人顧問弁護士、蓮実秘書、そして巨人球団代表・長谷川実雄らがホテルニューオータニに到着。
4時40分『江川巨人入団フロー』の相互確認完了。本人は何も知らされていないまま事態は進んでいく。
7時30分、江川起床。……後に『空白の1日』と呼ばれる1日が始まった。