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第10話

 土曜日当日。2人はメディエ地下2階入り口に集まっていた。事前に申請しておいたクエストチケットをディスプレイに表示させてスキャンに読み取らせたのなら、奥へと案内される。


「この奥がデン様パーティ2名様の申請されたクエスト『江川事件空白の1日』。日時1978年11月19日、時間は深夜0:00ジャスト。場所はアメリカ、カルフォルニア大学ロサンゼルス校から開始されます。御存じの通り……」


 某テーマパークほどノリ良く案内役に入り込まなくても良いけれど、これから初めて冒険に出るナミにとっては、お役所成りの無粋な案内では盛り上がりに欠ける。そう思って横目でデンちゃんを見ると、デンちゃんは何だかMっ気を出して素っ気ない案内に、まんざらでもない様子だ。


「現在、他のパーティ2組4名様がこのクエストにチャレンジ中となっております。その方たちの行動如何によっては歴史書とは異なる状況が想定されることもありますが、同時期のクエストお申込みに置かれましてはご了承いただいております。デン様パーティのクエスト期限は最大74日間となります。幸運をお祈りいたします、それではいってらっしゃいませ!」


 デンちゃんが1歩踏み出すと、吸い込まれるように消えて行った。それを見て恐怖を感じたナミだけれども、デンちゃんを追う以外の選択肢は考えられない。ゆっくり滑らすように足を前に出すと、右足から一気に引きずり込まれるようにしてそのゲートを潜り抜けた。そこは……ナミはよく知らないけれどグレートアメリカ・・・・・・・・だった。

 圧倒的な雰囲気、偉大なスケール、believe in America! アメリカの地に降立っただけで感じる肌感覚。

 ナミはエリア24区という小さな界隈でしか生きてこなかった視界の解放感を覚えた。隣に立つデンちゃんも同じ想いであったに違いない、クエストのことなんて忘れてしばらく動けないでいた。



◆◇◆◇



 江川は20日の夕方に成田に着いている。だから19日の昼の便でロスを発つはずである。空港で待つより大学を出るのを待ち伏せる方が見つけやすい。




 ……いた……のちの江川夫人となる当時の恋人、菊地正子さんへのお土産の『エルメス』の紙袋が目印となる。


 江川の席はファーストクラスだった。落ち着かない様子なのは『巨人入り』の実現を想ってなのだろうか、ファーストクラスに乗り慣れていないからだろうか、久しぶりに恋人に会えるからだろうか……。


「デンちゃんそれでどーするの?」

「ナミちゃん、どうやら俺たちはクエストを舐めていたみたいだ」


 クエストの空気感を敏感に感じ取ったデンちゃんは気を引き締めるために言葉に出す。


「レベル1なのに?」

「俺たちの物事クエストに向かう姿勢がそもそも『舐めてた』ってことだよ」

「ふーん……なら、どーしましょ?!」


 ナミは持っていたお煎餅をバリッとかじる。『歴史の分岐点』なんて仰々しく、クエスト挑戦の対価はシーカーの経験と情報とか言う割に、野球に興味のないナミにとって江川は偉人のオーラを纏っていないようにしか見えない。だから緊張感がない。


「11月21日の巨人との契約を邪魔すればいい、なんて簡単に考えていたけど……」

「江川さん見てるとこれから日本野球界を騒がすことをしでかす、そんな緊張感はないわね」

「そうだね、江川はまだ何も知らされていないんだ。だから……」


「でもどーしましょ、江川さんったら彼女さん想いなのね。わたしもエルメスのバッグ、欲しくなっちゃったわ」


 ナミから見える江川は『事件』なんて言われるような大それた空気はなく、故郷に帰れること、家族を懐かしむこと、そして恋人に会えること、を楽しみにしている1人の若者にしか思えない。それは人として誰もが想像に易いシーンでしかなかった。彼が帰ってきたときの正子さんの気持ちを考えると、ロマンチックな気持ちすらある。


「いーなぁ、正子さん。愛されてるって感じ」

「『エルメス=愛』ねぇ~……」


「デンちゃんなんか、愛をバカにした嫌な感じ~」

「そ、そんなことないよ、ほ、ほら俺にはまだエルメスなんて買えないから……いくらするのか知らないけど……」


「クエスト成功報酬だけじゃなくって、江川さんを阪神に入団させられればボーナス報酬が出るってなってたわよね?! そうしたら、エルメスのバッグ、買えるんじゃない?!」

「えー?! だから甘く見過ぎだってぇぇ」

「さ、デンちゃん、愛のため頑張りましょう」


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