「50年ぶりのキュビズム展」と題された展示会に、朝から多くの人が並んでいる。複数の名画がやってくる。ピカソやブラックの大作の並ぶ大きな展示会で、たった1枚のアンリ・ルソーに夢を馳せるのは、もしかしたらボクひとりかもしれなかった。
不遜だけれど、アンリ・ルソーの魅力なんて、ボクだけが分かっていればいい。究極的にはボクの感性の理解者はボクだけで、ボクの価値観が東京でひとりだったとしても恥ずかしさや疎外感はなかった。そんな尊大な気分と青さをボクはまだ存分に有していた。
「君、いつにもましてワクワクしてるね」
見ず知らずの大勢の人々に倦怠と辟易、それから萎縮と威圧を感じるボクに、並んで立つ同行者が朗らかに声をかけた。
ボクを明るくさせるこの人を、そうだな、この文章の中では、“アンリさん”とでも呼んでみる。
名前なんて、記号だから。なんだっていい。どうせだれも読まない文章なのだから、“石ころ”でも、“夢見がち”でも、なんでもいい。
けれど最大限の称賛と愛着を持って、ボクはこの日記の中で、この人を“アンリさん”と呼んでみることにする。
「茶化しているでしょう? アンリさん」
「だって、君があまりに可愛らしいから」
「自立した大人に上からものを言うのは、出会った頃からのアンリさんの悪い癖だ」
「その欠点をも愛して、長く一緒にいてくれてありがとう」
アンリさんは悪びれもせずそう言って、前髪をかきあげて適当に笑った。ため息をつくボクは、何も答えなかった。
そうそう、アンリさんについて、ボクは君たちに何も伝えていなかったね。アンリさんは・・・、そうだな、これもまた、形容するのが難しい。