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第2話 地球にようこそ

1――――――――――――

 熱帯雨林の空に、重く湿った風が流れる。鬱蒼と生い茂るジャングルの奥深く、白煙を上げるシャトルが横たわっている。その機体は、胴体着陸の衝撃で地表に深くめり込み、左翼はどこかへ吹き飛び、片翼は折れ曲がっていた。船体のあちこちに焦げ跡があり、機体下部からは微かに蒸気が立ち上っている。


「......さて、どうしたものか」


 熱帯の木々が壁のように生い茂り、鳥や猿の鳴き声が響くばかりだった。湿気が重く、空気がじっとりとまとわりつくように感じられた。緑の葉が音もなく揺れ、時折聞こえる鳥の鳴き声が場の不気味さを一層引き立てていた。

「さっきの音、救難機のよね。早くきてくれないかしら。ほんとに気味悪いわ。あいつが言ってたみたいに良いとこじゃなさそうね」


 森の奥から足音が聞こえる。


 警戒する。

「何よもう」


「君たちが要救助者か」

 ゆっくりとした足音と共に姿を現したのは迷彩服に身を包んだ兵士であった。救援が来たようだ。

 迷彩服の男は後続の隊員に目と顎で合図をし、彼らは小走りで駆け寄ってくる。訓練された動きだ。


 あらゆる状況に対応するための装備に身を包んだ頑強な兵隊が救出に来たことがわかり、緊張は解けていく。


 マイルズは迷彩服のUSMCの文字を確認し、さらに安心する。

「海兵隊だよ、サニー。助かったんだ」


「名前は」

「マイルズ・フレア、こっちはサニー・ライトだ」

「年齢は」

「どっちも20」


 海兵隊員は、彼らを取り囲み、手際よく救助の手順を進めていた。プロの動きだ。

「本部へ、救助者2名を確保、帰投する」

 別の隊員が医療キットを取り出し、外傷の有無をチェックする。

「軽い擦り傷だけだ。あの有様じゃ、結構叩きつけたれたろう、基地に戻ったらすぐに医務室へ行くといい」

 周囲を警戒しつつ対応していく。

 別のもう一人が来た方向を指差す。

「この少し先の開けたところに、垂直離着陸輸送機のペリコンが待ってる。数百m先だ。急ごう。アンダーソン大尉だ。この部隊の隊長だよろしく」

「感謝するよ」


 マイルズは多少なり安心した様子である。住む場所が突如爆発し、凄惨な大気圏突入を行なった後、どこだかわからない南米の森にやってきて路頭に迷うところであった。この海兵隊の存在は心強いことだろう。


 アンダーソンらは2人を囲むようにして、彼らは森の中を歩き出す。

 ボロボロになったシャトルを改めて見て、

「それにしても派手にやったな」

「ああ、人生史上、最高の歓迎だったよ、全く」


 マイルズは安堵の表情だったが、サニーの方は不快感を示すばかりだった。シャトルの中で酷く打ち付けられ、そもそもEDENが崩壊してしまって、一体どこへ向かうのかという不満が頭の中に満ちていた。


 寄ってくる虫を手で払ったりしながら、愚痴を吐く。

「こんなところによく住んでられるわね」

「それはあたしたちへの侮辱かしら?」

 右手に配置する女の隊員が返答する。大きな機関銃を軽々と構えた屈強な女戦士のようだ。その覇気に怖気付いてサニーは黙り込む。

「あたしはジーナ、怖がるんじゃないよ」

 しかしサニーは引き攣った顔で謝る様子もない。


 左の隊員も会話に入る。

「気にするな。いつもこんな感じだよ。僕はモーガン。よろしく」

 この男ももまた、小銃を抱えている。

「わからないことがあったら何でも聞いてくれ、無線機の修理から傷の手当てまで資格は持ってる」

 アンダーソンが加える。

「基地に着くまではなんでもサポートする」


 隊員と軽い自己紹介を交わす中で、マイルズ最も気になったのは、その殿しんがりをまかされている大きな男だ。他の隊員に比べて身長も10cmは高いだろうか。腰の周りに幾つも弾倉を取り付け、大きな銃を抱えている。袖をまくり、鍛えられた肉体が見えた。人の形をしたの要塞のようだ。

 モーガンが彼の方を向いて言う。

「その無口なのがドレッドだ。おい、挨拶ぐらいしてやれよ」

「彼は何なんです?」

「そうだな、難しいな。役割で言えば、狙撃手...なんだけど」

「戦争の男よ」

「戦争の男?何だそりゃ」

「戦場が生き甲斐みたいなやつだ。詳しく知ることはないよ。よおアンダーソン、確かこいつに初めて会ったのがアフガンだったよな」


「余計な口を開くな」

 ついに彼が口を開いた。声は低いがその存在感は圧倒的だった。彼が放つ一撃は戦況を一変させるほどの力があると思わせるほどである。


「やっと喋ったな。恥ずかしがり屋じゃあないんだ、こいつは」

「任務に集中しろ」


 マイルズは彼が、他者との関わりが苦手な類の人物と一瞬感じたがそうではない。おそらく、何かに特化した実力と人となりが結びつくタイプの人間だということだろう。戦争の男ということは、武器マニアか何かであろうか、確かに他の隊員より戦闘に長けてそうだ。

 そして、ふとあいつを思い出した。輸送ポートでタバコを買ったあいつだ。奴に似ているような何かを感じた。いや、その根底は違うのだが、その上に積み重なっているものが似ているような感じだった。マイルズのまだ浅い人生経験からもなんとなくそれが分かるくらいに。


 そんなことを考えながら歩いていると、

「見えてきたな」

 海兵隊の輸送機の静かなエンジン音が聞こえてくる。


 アンダーソンが無線で報告する。

「こちらアルファ分隊、ペリコン1、応答せよ。救助者を確保した。あと数分で搭乗できる」

「ペリコン1、了解。これより、離陸準備に入る。直に暗くなる、急いでくれ」


「それじゃあ輸送機に乗って、基地に向かおう。あそこだ、さあ行って」

 木々の向こうの開けた場所にそれらしきものが待機してるのが確認できた。

 ジャングルの湿気と陰鬱な緑の中で、ペリコンのエンジンがひときわ響き渡り始める。木々の間に差し込む夕暮れの薄明かりと、機体の赤と白の点灯の対比は幻想的だった。


 これでひとまず命は助かったと安心し切ったその時だった。


 突然、ジャングルの奥から異様な音が聞こえてくる。最初は微かであったが、徐々にその音は大きくなり、草木が風で揺れるような音でないことがはっきりした。


 アンダーソンは、何かが迫っているのを察知し、緊張感が一気に高まる。


「なんだ」

「猿か」

 ジーナが機関銃を後方に構える。

「いや、動物の音じゃないわね」

「何よ、すぐそこなんだから行きましょうよ」

「サニー、伏せて、マイルズも」


 マイルズにもサニーにもなんのことなのか分からなかった。だがプロが何かを察知している。


「動物じゃなかったら何なのよ!」

「静かにしてろ!人間に決まってるだろ。気をつけろ、この森のどこかにいる!」


「200m先で動きを探知、センサーに反応あり」


 突如、森の奥の方で轟音が鳴り響く。


「何かが発射されたぞ!」

 モーガンが素早く周囲を確認する。

「あっちの森の中の方だ!追ってきやがったんだ!」


 上空を見上げると黒い煙を帯びて閃光が飛ぶ。何者がこの森のどこかでミサイルを放ったのだ。


 モーガンが上空を見上げ指さしながら叫ぶ、

「くそっ!ペリコンが狙われてるぞ、あれは対空ミサイルだ!」

 アンダーソンが無線機に放つ

「ペリコン1、早くその場を離れろ!急げ!」

 その声も風とエンジン音にかき消される。


 ミサイルが空中で赤く光りながら、ペリコンに向かって飛んでくる。パイロットはその動きを見てすぐに反応し、急上昇を試みるが、その速度には間に合わない。瞬間、空気が裂けるような音と共に、機体の右側を直撃する。


 ドーン!という強烈な爆発音と共に、機体が一瞬にして火の玉となり、激しい炎と煙が空中に広がる。機体の金属がひしゃげ、ローターが火花を散らしながら落ちる。爆風がジャングルの木々を引き裂き、葉や枝が空中で舞う。


「ペリコン1がやられた!」


 海兵隊員たちは爆風に押し倒され、地面に伏せる。彼らの体は泥と落ち葉で覆われ、目の前で燃え上がる輸送機の残骸と煙で視界は完全に遮られてしまう。ジャングルの緑が赤い炎に照らされ、普段の静けさとは裏腹に、激しい混乱と恐怖が広がっている。


「マイルズ、サニー、背を低くして隠れて!」

「ゲリラの連中だろうな」

「ELFか」

「おそらくな!」


 爆発によって周囲の植物が大きく揺れ、ジャングルの動物たちはパニックを起こして逃げ惑うのがわかる。煙が立ち込め、視界はますます悪化する。森の中に新たにできた火の手が広がり、炎が湿気を含んだ空気の中で激しく燃え続ける。


「立て!銃撃に備えろ!」

 アンダーソンが声を張り上げる。彼の声は煙の中で何とか聞こえる。

 そしてその声の中には冷静さが保たれていた。海兵隊員たちは周囲の状況を確認しながら、迅速に次の行動を決定しなければならない。

 密林の中で身を隠しながら、敵の動向を探り、反撃の準備を始める。彼らの目には、燃え上がる輸送機の残骸と、炎の光が強く刻まれた。


「おい!戦闘配置につけ、白兵の準備をしろ!」

 アンダーソン隊長の指示がジャングルの中に響き渡る。海兵隊員たちは即座に反応し、周囲に展開しながら防御の姿勢を整える。


「ああ、冗談じゃないわ、行くよモーガン!」

「まかせろ!」


 ジーナは機関銃を抱え、射撃の準備をする。目は険しく、周囲の動きを見逃さないように注意深く構えている。一方、モーガンはマイルズとサニーの近くについて護衛に徹する。迅速な対応だ。


「大丈夫だ、落ち着いてろ、僕から離れるなよ」


 ドレッドは狙撃手として、ジャングルの中に隠れた敵の動きを捉えようとしていた。彼は木の陰に身を隠し、スコープの赤外線照準を通して敵の配置を見極める。そして精密なX線センサーで敵のリーダーや重火器を持った兵士たちが見える。障害物と煙が視界を遮る中、ドレッドは冷静に狙いを定める。


 ゲリラたちは手榴弾を投げ込んだり、ライフルで威嚇しながら接近し、攻撃を仕掛けてくる。


 敵の銃撃は激しく、弾が木々に当たり、枝が砕ける音が響く。


「くそ、煙で何も見えない、ジーナ!こっち見えるか?」

「なんとなくね」

「誤射はやめてくれよ!」


 ジャングルの中で、銃声と爆音が響き渡り、木々が引き裂かれる音がする。海兵隊員たちはその激しい銃撃の中で、必死に防御しながら反撃を開始する。


 アンダーソンが無線を使って状況を把握する

「ドレッド!何か見えるか!」

「敵は5か6だ、リーダーを狙う」

「よし、やってくれ!」

 アンダーソン隊長が叫ぶ。ドレッドはその指示を受け、スコープを覗き込む。彼は木の枝越しに、指揮官が部隊を指揮している姿を見つけ、正確に狙いを定める。


 彼の指先がトリガーに触れると、銃撃の中一発の重い砲音がジャングルの中で鋭く響く。

 弾丸が空気を切り裂き、敵の指揮官の頭部に命中する。敵のリーダーが一瞬にして倒れ、ゲリラたちが一瞬動揺する。その瞬間、戦況が一変し、敵の進行が少しずつ止まる。


「リーダーをやった、右の2人は動きを止めた。俺がやる。左前方から2人進んでくる。後ろにはいない。今のうちに後退しよう」


「よし、ドレッドがボスを仕留めたぞ!ジーナ、カバーしろ、モーガン、そのまま救難者を後退させろ!!早くするんだ!」

 隊長が指示を飛ばす。


「きてみな、クソッタレ!」

 ジーナは重機関銃を振り回しながら、敵の進行を阻む。弾丸が木々を切り裂き、敵の前線を押し返す。

 モーガンはマイルズらのそばで安全を確保しながら左方向へ定期的な射撃を行いつつ、後退を支援する。


 ジャングルの中で、炎と煙の中に響く銃声と爆発音が交錯し、戦闘の激しさが増していく。


 その時、右前方のゲリラの一人がマイルズを狙っていることにドレッドが気づく。

「おい、モーガン、そいつの頭を下げさせろ」


 直後、マイルズの頭上に弾丸が直進した。

「うわあ!」

 マイルズは悲鳴をあげる。

 木屑が飛び散り。その粉屑が肌にあたる感覚で生きていることを確かめる

「大丈夫だ、生きてるよ。助かった、ドレッド!」


 ドレッドは引き続き冷静に狙撃の目標を定め、引き金をゆっくりと、確実に引く。


「右の一人は片付けた、もう一人も始末する」


 徐々に煙は晴れてきて、視界が少しずつひらけてきた。


 ドレッドはさらに狙撃を続ける。彼の目が、最後のターゲットの目と合った。煙が徐々に消え去り相手もドレッドの様相をはっきりと視認した。向こうは元より覚悟していたという風であったが、戦いの誇りよりも、先ほどからの正確な狙撃の主はお前だったのかと、関心と畏怖の念が大きく現れ、当然の報いとして負けを受け入れた。


 ドレッドは冷徹にも引き金を引く。

「すまないな、あの世で会おう」

 狙撃音が響き渡る。

「最後のやつを仕留めた」


 突然の銃撃を目の当たりにしたマイルズたちは未だ混乱している。

「はぁ...はぁ...今の一体...なんなんだ...!」

 ニュースに映像の向こうで銃撃戦をやっているだけで、まさか対面することになるなんて思いもしなかった事態に巻き込まれたのだ。混乱に苛まれる。


 アンダーソン隊長が告げる。

「言いそびれてたな、現在、南米ではELFの勢力が拡大してる」

「だったらなんなのよ!」

 モーガンが少しため息をついて、補足するように口を開く。

「つまりお前たちは、その勢力圏内に不時着しちまったんだよ」


「救助部隊なのに武器を持ってったのはそういうことだったのか」

「救援は?来るの?」


「おそらくこない」

「なんだって!?」

「じゃあ、どうするのよ!」


「幸いなことに俺たちは生きてる。前哨基地までは歩いて進むしかない」


 燃えるようなオレンジと赤の太陽がゆっくりと沈んでいく。空は刻々と変化し、紫から深い黒へと変化していく。



2――――――――――――

 AMS101の船内は未だ緊迫の雰囲気が漂う。次の任務に備える諜報要員ラーディックと、自分の業務に集中するマックス、そして不安に苛まれるウォード。それぞれ思うことはあるが、EDENを吹き飛ばしたという事実は変わらない。重い空気が漂う。

 一部の者は、インターリンク上のSNSを検索し、先の出来事がすでに世界に混乱を与え始めてることを知り、狼狽えている。


 そこへ、月から連絡が入る。

「艦長当てです。機密回線です」


「どこからだ」

「アリス・ナイトシェード中佐からです。情報部の」

「セキュリティ5でこっちに繋いでくれ、通信士官」

「了解、では通信ルームへ」


 ウォードは後部の通信室へ移動する。情報部からということは、おそらくまた何かラーディックのための任務に協力しろということだろう。

 しかし、もう一つ、一瞬期待する。情報収取のプロのことだから、先のミサイル発射について何か掴んだのかもしれないと。


 通信機器から音声だけが流れてくる。抑揚の少ない静かな響きだ。

「昨日のことは大変だったわね」

「全くだ。火器管制のデータ記録を送ったはずだが、何かわかったのか」

 期待は外れた。

「残念だけど、現状全く進展はないわ。実際に装置を調べないことにはなんとも言えないの」

「そうか。で、どうやら世界中でニュースになってるよな。どうすりゃいいんだ」

「アストルコスの外交省は、老朽化した武器保管庫での火災発生だと発表したわ」

「おいおい、世界はそれを信じるのか」

「少なくとも米国は信じないでしょうね。でも、しばらくは、あなたの鑑からミサイルが発射されたことは誰にもわからないわ。今の彼らじゃ、調査隊だって簡単に出せないわよ」

「でも、いつかは誰かが突き止めるはずだ」

 向こうのため息が聞こえる。

「そうね。でも、安心して。あなたたちに関しては、今のところ、反乱罪にも問われてないし、内乱への関与は疑われていないわ」

「それは、喜んでいいのかね」

 ウォードは若干、緊張の表情が緩んだ。どうやら、反逆罪を押しつけられるという、彼にとって最悪の事態は回避したようだ。


 しかし、アリスは事態を冷静に伝え続ける。

「ただ、これで我々と地球諸国との関係がさらに悪化したことは確かよ。上層部は資源協定が破棄されることも念頭に置いてるわ」

「もしそんなことになれば」

「ELFとコンコードの連中を、調子に乗らせることになるわね」


 コンコードとはセレナ・コンコードという月面都市連盟のことである。現在、月を支配しているのはアストルコスだが、3つの月面都市が同盟を組み、アストルコスと対立していた。

 その同盟の中心都市"アル=プラーハ"は、地球内の各国から敵視されているELFに物資を支援している。そして、ELFはコンコードの戦力を補っている。協力関係にあるのだ。


「そこで、司令部からの命令よ。ラーディックを出してちょうだい」


 怪訝な顔をして彼を呼び出す。


「おい、ラーディック、お友達から命令だ」

 自分たちと同じ命令系統にいながら、一体何をしているのかわからない情報部の連中がやはり気に入らず、マックスは通信室に入っていくラーディックを睨んでいた。


 ラーディックが入ると、アリスは淡々と命令を伝えていく。

「一度しか言わないわよ。ダミーの輸送機で地球に降下、エジプト経由で南米に向かって。ELFの動向を調査してほしいの。シャトルは中継のステーション1に用意してあるわ」

「ELFは脅威になりそうか」

「ここ最近南米での動きが活発になってることは知ってるわね。米国は手を焼いてる。軍部もすでに一国の軍隊レベルでこの集団を警戒してるわ。ノウマンが動いたって情報も出てる」

「ELFの指導者だな」

「流石に米国が落とされるなんて思ってはないけど、現に、勢力を拡大しつつあるの。野放しにしておくとELFと協力してるアルプラーハが何をしでかすかわからない」

 ラーディックはただ頷く。


「とにかくできるだけ早急に私たちが何をすべきかを決めなければならないの。任務内容は伝えたから、あとは遂行して。私からは以上。何か質問はある?」


 一通りのことを聞き終えラーディックは通信室から出てきた。それを見てウォードが交代する。

「また違法活動か。悪いが、俺は見なかったことにするからな」

「今に始まったことじゃないでしょ。正当化するつもりもないけど、どこの国もやってることよ」

「倫理は、許してくれないだろ。それに、ただ使いっ走りにされるってのは、気分は良くない。軍学校時代のお前に戻ってほしいよ」

「黙りなさい。伝えることは伝えたから、切るわよ。それじゃ」


 薄情にもそそくさと切ってしまった。仕方がない。情報部はそういうものだ。必要なことだけを機械的に、冷徹にこなしていくというイメージが広まっていた。


 通信室から戻ってきてラーディックに声をかける。

 嫌な存在とはいえ、数年前から奴の移送担当をさせられている。全くの他人として振る舞うわけにもいかない。いわゆる腐れ縁である。

「よお。あんたも大変だな。つい先日、南極から機密物資の調達をしてきて、また戻るなんて」


 この数日前、ラーディックは南極での任務につき、ある機密物資を調達してくる任務についていた。AMS101はそれを受け入れるためにEDENに係留していたのだ。

 当然中身を知っているのは情報部に所属する一部の人間と政府の上層部だけで、ウォードも敢えて知ろうは考えなかったが、実際貨物区画に入れ込んでからは、その中身が気になっていた。

 知ってもしょうがないし、探りを入れたら何をされるかもわからない。知らない方がいいということもある。


「今の現状では、俺がいちばん近いんだろう。ステーション1で降りる。そこまで行ってくれ。そこからは専用のシャトルで降下する」


「わかったよ。ところで、あんたが南極から持ってきたあの貨物は...」

 知らない方がいいこともあると分かってながら、つい尋ねる。

 だがその返答は例の如く変わらない。

「それについては、教えられない。わかるよな」

「構わんさ、下手に関わるとこっちの命が危なそうだ。全く、お前たちの考えてることはわからんよ」

「だがあんたはその情報部のなすがままだ、今は。俺の諜報活動を支援して、本部からは実態もわからない違法活動をさせられてる」

「皮肉か。それで給料をもらってるからな。じゃなきゃ、こんな仕事やめてるよ。全く、ありがたく思えよ」


 会話したことでか沈んだ気分がほんの少し和らいでいた。だがやはり緊迫はいまだに残る。

 しかし、本当の不安はこれからのことである。月面ではおそらく政府は穏やかではないだろうし、下手もすれば戦争になりうる。

 この時、ウォードは、後にに何かとんでもない事態、世界を壊滅に陥れるやもしれない事態が発生するかもしれないと予感していた。



3――――――――――――

「大統領!これは緊急事態なんです!今すぐに、宇宙艦隊を新設して、月に派遣するべきだ!」

 ガンフォードの怒鳴り声が部屋一帯に響く。


 重厚な鋼鉄製の扉が静かに閉じられ、室内はピリピリした空気が張り詰めている。

 米国防省ペンタゴンの最深部、統合指揮センターで、EDEN崩壊後の対応策が講じられていた。壁一面に並ぶスクリーンには、各地域の衛星画像、迎撃シミュレーション、各基地とのリアルタイム通信が映し出されている。


 部屋の中央には、オーク材の円卓。軍服の肩章が並ぶその場で、ただ一人、スーツ姿の男、大統領が座っていた。その背後で大統領専属の軍事顧問団が控え、無言でデータパッドを操作している。


「ガンフォードよ、そうは言っても、議会はすぐには承認しないぞ。警戒レベルは上げたんだ。本当の緊急時になるまで...」

「都市衛星が一つ吹き飛んだんです。これ以上の緊急がありますか!」

「わかってる...わかってるとも。確かに宇宙の連中が危険だという認識は間違いないが...」

「ならば今すぐ!」


 ガンフォードは、以前から優柔不断な態度をとってきた大統領に痺れを切らしていた。大統領とて、宇宙側の危険性は認識しているつもりだった。

 だが、責任の重大さゆえに、軍事的な政策には控えめな態度をとっていた。

 この国だけではない。アストルコスが、地球に並んで、主に軍事と経済の中心になりつつあってから、多くの政府が宇宙関連の政策、特に領域の主張や軍事的政策に対して、臆病さと慎重さを表すようになっていたのだ。


 顧問団も大統領を擁護する。

「我が国の議会が承認したとて、果たして世界は許すか。宇宙条約によって、高度4万km以上の領域での軍事活動は、フロンティア政府とアストルコス以外の国には禁止されとるぞ」

「法や条約を無視して各国にスパイを送りこんだり、違法な尋問を重なってる連中がよく言う」

「あれは国の安全のための例外的な超法規的措置だ」

「私が主張しているのも国家安全保障のためですが!」


 ガンフォードの心理としては、そのような軟弱な姿勢によって、いつか月の軍隊が地球を支配しにくると考えていた。

 実際にアストルコスの国家主義においては、先進が優先され、第一次宇宙戦争以後、宇宙開発に前向きではなくなった地球側は、退化の一途を辿る堕落の者として軽視されている。

 そして、その月の国家アストルコスの軍部の最上位に君臨するヴェルゾール・ヴァルコフという男が、ガンフォードにとっては最大の悪魔という認識であった。


「しかしなあ、あの爆破が連中の仕業と決まったわけじゃないだろう?下手に軍を動かして、それこそ、向こうを刺激して戦争になったらどうする」

「無実なら我々が軍艦を数隻出したとてケチはつけてこないはずだ」

「わかった、考えておく。議会で話し合おう」

「またそれだ」


「それより、今、目の前に迫ってる危機はどうする」

 話を逸らすように別の問題を提示しようとする。


「なんです」

「南米のことだよ。ELFはどうする。さっきも海兵隊機が1機ロストしたらしいじゃあないか」

「何?海兵隊司令、それは本当か。私も時々耳にしていたが、今月に入って何度目か」

 ガンフォードは海兵隊のお偉方の方を睨む。


 海兵隊司令はため息をつきながら、

「12、いや13だったか」

「なぜ反撃しない?」

「先月、監視衛星が不具合を起こしてから、敵の詳細な動向が読めなくてね」

「それだけのことか。だが、ミサイルを撃って相手の拠点の一つや二つ、叩き潰すくらいはできるだろう」


 しかし、海兵隊側は、色々と事情があると言ったふうに返答する。

「あのな、ガンフォード、あそこは背の高い木が生い茂ってるんだ。熱帯雨林地域なんだよ。適当に上から覗いただけじゃ、どこに何がいるかも把握できない。それに、歴史的文化財が眠ってるかもしれないとか、貴重な生き物が生息してるとか言って、爆弾やミサイルにとかくうるさい連中がいるんだよ。簡単に命令ができんのだ」


「ならば提案しましょう。大統領が一筆書けばいい、連中を一人残らず吹き飛ばせと。空軍は核でも中性子爆弾でも用意してやる」

「ガンフォード、落ち着いてくれ。我々だって尽力してる」


 ガンフォードは苛立つも、冷静さを保ちつつ、資料をまとめながら発言する。

「全く、今日も何も決まりそうにないですな。よく考えていただきたい。我々が世界に示すべきは、いざという時は容赦はしないという意思だ」

「我が軍は皆その精神で動いとるよ」

「だが現実には、都市衛星の爆破事故に軍も出せず、南米ではELFの勢力拡大を許している」

 ガンフォードの発言は間違ってはいない。むしろ事実をついている。だからその場にいる誰も反論ができなかった。


 大統領はガンフォードの心を宥めるように発する。

「いまだに35年前の大戦のことを引きずっておるのか。あれはもう終わったのだよ」

 しかし、

「いや終わってはいない。地球と月の間の40万kmの空間。ここに、科学的にも政治的にも、一切の不安なく確たる和平をもたらさない限り、終わりませんよ!」


 そして国のトップである大統領の目をはっきりと見てこう言った。

「大統領、私は次の国連宇宙会議ではっきりと言うつもりです。アストルコスは排除すべき敵だと」



4――――――――――――

「なあ、もうどれくらい歩いたよ」

 マイルズたちは、あれから長い時間、アマゾンの森の中をただひたすら歩いているだけだった。

 空に輝く星は綺麗だが、疲れがそれを楽しむ余裕を奪う。

 まとわりつく闇の中、空気は重く、ねっとりと肌に貼りついて離れない。風はまるで死んだように止まり、ただ蒸し返すような熱気だけが体を包み込んでいる。シャツはすでに汗でぐっしょりと濡れ、背中に貼りついて気持ち悪い。息を吸うたびに、湿った熱気が肺の奥まで流れ込み、まるで沸騰した泥をすすっているかのようだ。

 頭上を覆う巨大な樹々の葉が、わずかな月明かりすら遮り、森の中はぬるい闇に沈んでいる。歩を進めるたびに、地面の腐葉土がじくりと湿った感触を返し、靴の中まで蒸れた湿気が入り込む。じっとりと額を流れる汗を拭っても、すぐに新しい汗が滲み出し、首筋を伝い、背中へと落ちていく。

 耳元では見えない虫がぶんぶんと飛び回り、腕に止まったかと思えば、すぐに鋭い痒みが広がる。遠くでは動物の鳴き声が響き、茂みの奥で何かがカサカサと動くような気配がする。


 ただ、じっとりと蒸し返す熱に耐えながら、重い足を引きずるように前へ進むしかなかった。


「本当に気持ち悪いわ。暑苦しくて死にそうよ」


「この先に少し休憩できる場所がある、そこまで言って休息を取るから、頑張ってくれ」

 アンダーソンが鼓舞する。


「お願いよ、疲れたのよ、休ませてよ」

「だけど、サニー、先に進まないと」

「ちょっとその木陰で休むだけよ」


 モーガンがそれを見て、

「しょうがないな。おい、ドレッド、言ってやれ」


 ドレッドがサニーの方に近づいて、ゆっくりと口を開く。その声は重みを帯びている。

「お前がここで休もうが、俺たちは先に進む。ただ、ろくに訓練を受けてない人間が、南米の森の中で生き延びられるとは思わないがな。その体じゃあ、アナコンダには勝てそうにないよな、首を締め付けられて死体として放置されるか。それとも、ジャガーに襲われて内臓を食い荒らされるか。好きにすればいい」


「何よ」


「足元を見てみろ。そのサソリは神経毒を持ってる、刺されたら呼吸困難、心臓発作で動けなくなって、苦しみながら死を待つことになるぞ」

「きゃっ!なんなのよ!優しくない人たちばっかりね、わかったわよ」

「そうだ、わかったら大人しくついて来い」


「あんたはガキね」

 ジーナが揶揄う。サニーの顔はますます不機嫌を呈する。


「救援を呼べば良いじゃない」

 また愚痴をこぼす。

「それはできないんだ」

「どうして」

「南米一帯の地勢状況を把握するための衛星が不具合を起こしたからだ。それを知ってたかのようにELFは1ヶ月で戦線を北に追い上げてきた。ここはほとんど連中の庭なんだ」


 結局歩き続けなければならないという事実は変わらなかった。


 だがマイルズはこの気味の悪い暑さも、不快ではあったが、自然の一部として受け入れ始めていた。

「ああ、暑いのは確かだし、楽しい場所じゃないけど、僕は最悪の場所だとは思ってないぞ、勘違いしないでくれよ」

 アンダーソンが答える。

「じゃあどう思うっていうんだ」

「そうだなあ...神秘的な...」

「変な表現だな」


 モーガンも興味を示す。

「上と比べてどうなんだよ」

「上って?」

「宇宙から来たんだろ?」

「ああ、そうだな...実のところ、ここはもっと汚い場所だと思ってた。ここに来てからは文字通り最悪なことしか起きてない。だけど、少なくとも、この森は人間らしさを感じさせてくれる」

「なんだそりゃ、面白いことを言う」


 マイルズが感じた人間らしさは、宇宙出身者が地球の者に抱く感覚かもしれない。

 6人とも同じ人間だが、海兵隊4人は、おそらく宇宙都市の生活とは違って、日々太陽光を浴び、自然と空気と共に生活している。生命の力強さがあったように思われたのだ。当然軍人だから、多少筋肉量の多い健全な体つきをしているのだが、そう言うことではない。見た目も同じ人間だが、何かしらの違いがあった。

 ただ、それが良いものなのかは不明だ。


 浮かぶ月を指差す。

「本当はあっちに行きたかったんだ。あいにくこっちに来ちゃったんだけど」


「ここは、フロンティアサテライトと違って匂いも独特だし暑苦しいよ。でもなぜだか、憎めない」

「へえ、来てまだ一日も経ってないのにすごいこと考えるのね。さすが宇宙人ね」


 当時、月面のニューキャピトルに暮らす学者がこんなことを発表していた。

 宇宙史進出した人間は、真空、つまり死と隣り合わせである。だから、より生を渇望する。そして本能における、奪い奪われないようにする精神が強まるのだ。それゆえに、技術や学術の水準は高く、孤立志向が高まる。

 一方、地球に留まっているものは、生の源である自然にふんだんに触れて、温かみを与えられながら生活する。それにより協調精神が強い傾向にある。


 あくまで、彼の研究が示した傾向でしかないが、実際にここに来て以来、マイルズは少し知的に見えるし、サニーは年齢の割に強調生がないと海兵隊員たちも感じていた。


 だが地球の大地を受け入れようとするマイルズのような姿勢は、宇宙と地球が対立する情勢において新しい考えをもたらすかもしれない。


「だけど、こんなところでも殺し合いをするのが人間の性というのは、残念だけどね。何年もやり合ってるのか」

 ふと森を見上げて発する。


 アンダーソンが反応する。

「詳しい経緯は知らんが、ELFってのは30年も前から世界各地で戦争をしてる。俺がガキの頃からな。どうやら、この世界に正義をもたらしたいらしい」

「30年も、ずっとか?」

「そうだ、地球でのテロや紛争は、基本奴らの仕業だ」


 ELFはもともと環境保護を目的とした草の根運動として、2128年に結成された組織である。国際社会が宇宙開発と資源搾取を優先した政策を進める中で、彼らは次第に武装闘争に転じていった。組織のカリスマ的指導者は、国家や政府の腐敗に対する強い反発を示し、多くの若者や農民に彼の理念が共鳴したのである。

 結成当初、主な目的は、環境保護と民主的社会是正の実現であった。自然を守る持続可能な開発を推進し、熱帯雨林の伐採や資源の乱獲、無用な宇宙開発などの阻止を目指して活動してきたのだ。また、貧困層や先住民族の権利を擁護し、富の不均衡を是正することにも力を入れていた。

 地域ごとに分かれた組織を持ち、各地で自給自足の生活を実践してきた。地元住民との強い結びつきを保ちながら、教育や医療支援を行い、支持を得るために尽力してきたのだ。このようにして、彼らは信頼を築き、地方の支持を拡大していた。


 月面においては、アストルコスに属さない都市アル=プラーハが彼らの主要な拠点になっており、防衛組織として都市政府とも強く繋がっている。


 だが、時代が進むにつれ、世界の是正という抽象的な大義名分と各国との敵対状況だけが活動の動機となり、ただただ戦っているという状況になってきたのだ。


「本当に酷い連中だよ」

「でも、何年もずっと殺し合いなんて...どうしたら終わる。そもそも終わりはあるのか」

「一応、奴等の指導者ノウマンを討てば終わると言われてる。後継者もいない。そいつが圧倒的なリーダーなんだ」

「そいつなら情報ポストで見たことあるよ。もしかして、ここにいるのか、南米に」

「さあな、だが先月からのELFの急速な拡大を考えれば、ノウマン自ら戦線に出向いてるって話だ」


 モーガンが気付く。休憩できる小屋を見つけたのだ。

「あそこだ。歴史の授業は一旦終わりにしようぜ。あの小屋で休憩できるぞ。よおサニーとかいったな。よくやった。しばらく睡眠を取れ」

「マイルズ、あんたも寝てきな。見張りはやっとくから」

「助かるよ」


 地図上でも同じ場所に小屋があることを確認し、周囲の見晴らしをチェックしながらアンダーソンが指示を出す。

「夜明けと同時に出発する。いいな」


「あんたたちについていけば死なないのよね。嘘っぱちじゃなきゃいいけど」

 サニーは嫌味を行って小屋の方へ行く。やはりこの女は、思い通りに接してもらえないのがよほどプライドに触ったのか周囲の連中に不機嫌になっている。

「子守唄でも歌ってあげましょうか」

 ジーナがふざけるがサニーは睨みつけ、小屋に入っていった。気に食わなかったが、眠るしかない。気に入らない連中を信頼して眠るというのが最も癪に触ったが、横になるとすぐに深く眠りに落ちた。眠りこそが癒しをもたらしてくれる。


 マイルズの方はすぐには眠らなかった。同じ大地の上に、ゲリラが潜んでいる。すぐそばにいるかもしれない。もしかするとノウマンという男もいるかもしれない。さらにはどこかの戦線でロマン溢れる攻防戦が繰り広げられているかもしれない。この状況はマイルズにとって恐怖だが冒険でもあった。人生の高まりのようなものを感じていたのだ。


 空に輝く月が彼らを見守っている。



5――――――――――――

 夜の帳が、アマゾンの密林を深く覆い尽くしていた。空には無数の星と月が輝いているが、幾重にも重なる巨木の樹冠がそれを遮り、地表は完全な暗闇に沈んでいた。湿った空気が肌にまとわりつき、腐葉土の甘い腐臭が鼻腔を満たす。

 どこか近くでカエルが甲高く鳴き、遠くではフクロウの低いうなりが響く。

 ここは人間が踏み入るには非常に過酷な地、だが、それこそが彼らにとっての最大の利点だった。


 星ではなく人工のライトがひっそりとあたりを照らしている。


 ELFのメンバーたちは作業に勤しんでいた。密林に潜む大型の拠点の建造を行っているのだ。彼らは闇に溶け込むように働き、森と一体化して拠点を築き上げている。


「ここだ。掘れ」

「何ができあがるんだ」

「砲塔を設置するんだとさ、ここと、そっちに」


 どうやら武装拠点を作っているようだ。

 地面を均等に掘り進めるが、根が何度も作業を中断させる。刀を取り、根に刃を入れて切り離す。そのたびに、土の中から微かに湿った木の香りが漂う。掘り進める度に空気が重くなり、汗が額を伝うが、黙々とその作業を続ける。


 時折、どこからとなく輸送トラックやバイクがやってきて、食糧と銃を積んできては去っていく。

 それぞれの持ち場を指揮する男が、命令を与えながら部下の仕事を監視している。

 ある者は木を切り出して運び出し、ある者は装備の点検をし、他にも穴を掘り続けたり、トレーニングをしたりして粛々と事を進めている。

 だが規律と規則に支配された雰囲気はなかった。端では酒を飲み、大声で歌っている者や仮眠をとっている者もいる。与えられた仕事さえやればどうでも良いといった感じだ。老若男女関わらず様々な者たちが、一つの目的に向かって働いていた。


 すでにここには、並の人間たちが適当に作ったものとは思えないほどの大きな要塞が出来上がっていた。頑丈な壁に地下室まで堅固に築き上げられているのだ。

 密林の天蓋に近い位置では、見張り台が建てられている。太い木々の間に丈夫な蔓を張り巡らせ、そこに簡易的な観測所を設ける。ここからは、わずかに開けた河川の流れが見え、水面は闇に沈んでいるが、ときおり月光がちらつく。

 さらに、敵が接近した際の罠も仕掛けられた。密林にはすでに無数の危険が潜んでいるが、それをさらに増やすことで侵入者を混乱させるのだ。地面に鋭い竹の槍を埋めた落とし穴、毒草を巻きつけた罠、獣道に忍ばせた鋭利な刃物。どれも古典的な手法だが、ジャングルではこれが最も効果的だった。


 これらの備えは全て、来る戦いのためか。


 しかし、末端のメンバーたちはそのような目標を全く感じてはいなかった。彼らにとって、武器や戦況は重要な関心ごとではないのだ。


「よお、ビート。あんた何のためにELFに入った」

 作業員が別のメンバーに何気なく聞く。

「海兵隊は好きじゃねえや。それにELFは食糧をくれるだろ。あんたは?」

「あれだよ」

 近くの警備要員を指差す。月面都市アル=プラーハから密輸された最新のライフルを所持していた。

「金になるものをくれるのさ。正直、ノウマンとかいう奴の考えてることなんか知ったことじゃねえ。金をくれるからやる。それだけだ」

「だな、俺たちがアメリカや中国に行ったところで、無法者って言われて追い出されるだけだ」


 生活を担保してくれるからELFの下で働いてるという者がほとんどであった。彼らにとっては生きる手段が確保されればそれで十分なのだ。


 すると、奥の方から大型の輸送車両が近づいてくる。銃を運んでいたのとは違う。何倍も大きなトラックだ。


 荷台の物資にはカバーがかけられていたが、完全に包まれず、そこに巨大な砲身が見えた。


「ありゃなんだ?」

 見張りに尋ねる。

「迎撃用の砲台だ。チリの基地から運んできたんだとよ」


 おそらくこれも宇宙製だろう。ASTOLCOSという刻印が薄く見えた。誰かが消そうとしたのだろうか。奪ってきて、それが密売され、色々と経て、南米のELFの拠点にやってきたのだろう。


「優れものだ。AIが監視ドローンと連携して精密に照準補正を行ってくれる。そして音速の数倍の速さで500mm弾を飛ばす。やってきた海兵隊どもにぶち込んでやるのさ」


 積荷をおろし、さらに築営の作業を進める。だが、作業員には戦場で命のやり取りをするのだという気配は全くない。末端の人員のほとんどは昼は農民として仕事をしている。拠点設営もその延長線上のことでしかなかった。

 ただ、似た者同士の集まりだからであろうか、妙な連帯感が存在していた。作業場では自発的に役割分担をし、怪我をしたものを交代で休憩させ、食料は占有していない。警備要員はわざわざ見張る必要もないくらいであった。

 こういった連帯感は敵にしてみれば意外と厄介である。


 そこへ、その区域の担当指揮官が小走りでやってきた。少し焦っている様子だ。仮眠を取ろうとしていたビートは面倒そうな表情をする。

「おーい、みんな!心して聞いてくれ!」


「なんだよ全く」

 指揮官は続けて呼びかける。

「今日の夕方、シャトルの墜落地点に行った部隊が戻ってない。おそらく海兵隊の返り討ちにあったんだ」


 他の者たちがざわつく。


「海兵隊は決して貧弱ではない!我々に相応しい強固な相手ということがこれでわかった!」


「いいか!我らが指導者ノウマン・クラークがもう直ぐここにやってくる!失態は許されない!気を引き締めろ!」


 聖書を握り、薄汚れた羽織を纏った、だらしのないヒゲの老人が酒瓶を抱えて笑っていた。

 ビートはその笑いを気持ち悪く不気味に思い、

「何がおかしい」

「EDENが崩壊しただろ」

「だからなんだよ、関係ないことだ」

「きっとあのシャトルはEDENからやってきたんだ。EDENってのはな、旧約聖書で楽園って意味だ。そこが崩壊して...」

「爺さん、あれはな、本当のEDENじゃなくて、聖書だか神話だかから名前を取ってきてそう名付けたんだ。わかるか?」

「黙れよ、人の話を、よくきけ」

 顔を強張らせ吐き出す。


「いいか、今から10日か、20日か、あるいは1ヶ月か、その間に、最終戦争が起きて世界は滅びるのだよ」



6――――――――――――

 輸送機の機体が微かに揺れた。窓の外には、エジプトの荒涼とした砂漠が薄明かりに浮かび上がる。機内は貨物用として改造されているため、乗客のための座席はない。数席の座席がポツンと並んでいるだけだ。


 ラーディックは壁に取り付けられたベルトに体を預けていた。


 タバコをふかしながら独り言を言う。

「あのステーション限定で売ってるタバコだったんだ。もう買えないとは。売店の青年も嫌いじゃなかったんだがな」


 機内のスピーカーが静かな音を立てた。パイロットの低くしわがれた声が、かすかな雑音の中で響く。


「高度3000フィートの空域に入った。これから降下準備に入る。これが最後の瞬間かもしれんぞ」

 パイロットが煽る。


「もし...着地に失敗したら?」

 あえてその煽りに乗ってやった。


 パイロットはスピーカー越しに、冷笑を浮かべるような口調で答えた。

「その時は、お前も俺も同じ運命さ。ただ、俺は墜落した機体の中にいるが、お前はもっと悪いところに落ちるかもな」


 ラーディックは窓越しに、地平線に迫るカイロの輪郭を見つめながら、唇を固く結んだ。この瞬間に焦りは不要だ。月面都市の洗練された機械的な風景ではなく、泥臭くも歴史と繁栄を感じさせる地球の都市の魅了を実感した。

 それも束の間、都市部から少し外れた地域を見渡すと、対空迎撃に備えたアイアンドームがいくつもその目を光らせていた。

 人類の進歩の裏にある戦争の恐怖を教えているようだなと、他人事のように眺めていた。


「地球は初めてか」

「いや、何回もある」

「以前はどこへ」

「いろんな国の大使館さ。アメリカだのロシアだの」

「なら、降りて後悔するだろうな。アフリカ、南米地域での任務で無事に帰ってきたやつなんてほとんどいない」

「あいにくだがな、俺はこんな薄汚い場所で死ぬつもりはない」


 パイロットは、ここ数日で何件も、アストルコスの諜報員の密入国手伝わされていた。各地の軍事的動向を調べるのに月面国家は手を緩めることはないのだ。

「今回はELFが絡んでるのか、南米で動きがあったらしいが」

「残念ながら、そいつは企業秘密なんでね」

「そうか。ところで、昨日だ、シャトルが南米に墜落した。今頃ゲリラの連中に拷問されて無惨に死んでるはずだ。同じ目に遭わないようにな」

 ラーディックはただ頷く。


 機体がゆっくりと降下を始めると、エンジンの音が低く、鈍い振動が体に伝わる。普通の民間機が通るルートではない。レーダーに引っかからない高度とタイミングを計算した上で、管制部に発光信号を送った。密入国するための慎重な操作だ。窓の外にカイロの光が見え始め、荒野の中に不規則に並んだ建物がじわじわと近づいてくる。


「通常の滑走路は使わねえからな。貨物ターミナルの裏にに垂直着陸する。準備しろ」


 パイロットの声にラーディックは小さくうなずく。不法の飛行だけあって操縦は荒い。着陸の衝撃に備え、足元を確認し、シートベルトをもう一度しっかり締め直した。胸ポケットを触り、偽造パスポートを確認する。


 機体が急に滑るような感覚に襲われ、ぐっと降下した。エンジン音が低くなるのと同時に、窓越しに地面が迫ってきた。輸送機は、荒れた未舗装の地面に、勢いよく着地した。砂と土を巻き上げ、機体がわずかに跳ねたが、すぐに安定を取り戻す。


「...着いたぞ、死なずにな。ま、楽しんでくれ」


 スピーカーが最後の言葉を告げ、機体後部のハッチが開かれた。


 ラーディックは、カイロ国際空港の薄暗い荷物取り扱いエリアに足を踏み入れた。一般の旅客とは違うルート、目立たない従業員専用の通路を通り、アスファルトの冷たい空気が肌を刺す。

 指定の場所で待っていると、彼の到着を待っていたシークレットの案内人が出迎えた。


「あんたがラーディックか。パスポートと通行証を見せろ」

「ほらよ、こいつだ、確認しろ」

「お前たちの情報部から聞いてる。旅客機が滑走路で離陸準備をしてる。離陸まで10分。これが偽造の航空券だ。西アフリカのナイジュリアまで行ける」

 素早く説明していく。

「そいつはどうも。感謝するよ」


 つまるところラーディックは、ステーション1から、低軌道のプラットフォームまで行き、そこから大気圏突入用の輸送機に乗り換え、わざわざエジプトから入って、西アフリカを経由し、そこからさらに乗り換えるという手順を踏んで、ようやく南米に辿り着くということだ。そこまでしないと、紛れることはできないのだ。直接いけば海兵隊か、ELFの餌食だろう。


 案内役に連れられて、到着したのは商業便のターミナルではなく、使用頻度の低い貨物便専用の小さな建物だった。誰にも見られないところでやり取りしたい者にはちょうど良い。というより、その手の取引を行いたい上層部がわざわざ残しているのだ。

 案内役は無造作にタバコを吸いながら、ラーディックに冷めた視線を向ける。ラーディックもまた悠々とタバコをふかしている。


「西アフリカからの空路は麻薬の輸送機を使え。ナイジュリア政府が手配した。安全だ」

「一国の政府が麻薬の密輸に手を出してるなんてな」

 ラーディックの皮肉に案内役は少しだけ顔色を変える。

「おたくの国がやってることも同じだろ。希少鉱石に法外な値段をつけて莫大な利益を得てる。違うのは、商売相手が、金持ちのクソ野郎か貧乏人のクソ野郎かってことだけだ。自分たちだけマトモなふりはするなよ」

「俺たちが高尚ぶってると言いたいのか」


 案内役の男は短く笑うと、わずかに目を細めた。


「まあな、ここから先は管轄外だ。ほらよ、あれがナイジェリア行きの便だ。13、4時間後にはお前はアマゾンでスパイをやってるわけだ」

 建物の扉が開くと飛行場で旅客機が待機しているのが見えた。


「ここの夜は冷たいな。協力に感謝するよ」


 簡単な言葉を投げ、機体へと向かう。夜の星は新しい任務を導いているようだ。


 こうして、ラーディックは、南米へ、ELFと米国の戦いの最前線へと足を運ぶのだった。



7――――――――――――

 初めて見る熱帯雨林の朝は、まるで世界が新たに生まれ変わるような瞬間だった。夜の湿り気がまだ空気に残る中、東の空がゆっくりと薄明るくなり、森全体が静かに息を吹き返していくようだ。


 日の出が近づくと、遠くの木々の間から淡いオレンジ色の光が浸透し始める。茂った葉の隙間を縫うように差し込む光は、霧に包まれた森の床を照らし、幻想の輝きを放つ。濃い緑の葉が、朝の柔らかな光を受けて輝き始めると、鳥たちが一斉にさえずりを始め、その音の波が次々と広がり、森の静けさをやさしく包む。

 夜露に濡れた木の幹や葉は、朝の光を浴びてきらきらと輝き、蜘蛛の巣が細かい糸を光に映し出す。微かに吹く風が森を通り抜けるたびに、葉がささやくような音を立てている。


「綺麗ね」

 睡眠によりストレスが軽減されたのか、サニーは穏やかな顔をしている。自然の情景に見惚れていた。

「いい顔じゃない。朝飯食ったら出発するよ」 


 小屋の外で朝食が待っていた。とは言っても、得体の知れない魚を焼いて、見たこともない果物が用意されているだけだった。しかし、サニーは睡眠により冷静さを少し取り戻したためか、こんなもの食えるかと思うのはやめて、生き延びるためのことを考えようという心理になっていた。

 自分の無力さを多少理解し、生きてここから抜け出すために少しは協調的な姿勢を持ってやろうくらいには思考できるようになっていたのだ。


 焚き火の煙が上がる。皮を剥ぎ、身を切り分けると、淡白な白身が現れた。串に刺し、火にかけると、脂がじわりと滲み、皮がパリパリと焼ける音がした。

「ほら、食べて。ピラニアよ。近くの川でモーガンがとってきたのさ。意外と美味しいのよ」

「ピラニアって、まさか。他のにするわ」

「ねえ、この子はバッタの方が好きなんですって」

「あ、ええと、ピラニアにしとくわ」

 調味料もないので、特に味がするものでもないが、この状況で贅沢は言えない。だが肉は確実に生への活力を与えた。


 モーガンが水を渡す。

「寝たら少しは気分が楽になったろ」

「そうね、意外と美しい場所だって気付けるくらいの余裕はできたわ」

「そいつはよかった。自然だけじゃなくて遺跡やらも眠ってるんだけど、観光ツアーはまた今度だな。とにかく睡眠が大事なのはわかってもらったが、この先、出発してから、おそらく15時間は休みはない。しっかり食っておけ」

「わかったわよ」


「こっちはマラクジャだ。パッションフルーツさ」

 モーガンはナイフとその果物をマイルズとサニーに投げて渡す。

 その果実の表面はしわが寄り、甘さが凝縮されている証だった。静かに果皮に刃を入れる。厚く硬い殻が裂け、中からは鮮やかな黄金色のゼリー状の果肉が露出した。種が無数に埋まり、ねっとりとした芳香が鼻をくすぐる。

 殻を握り、直接口をつけた。トロリとした果肉が舌に広がる。酸味と甘みが鋭く弾け、爽快な清涼感を与える。種を噛めばカリッとした歯触りが心地よく、後からほんのりとした苦みが残る。

 これが食べ物の力。喉を潤し、体を目覚めさせる、生きるための恵みだった。


 一方、ドレッドは武器の手入れをしていた。黙々と手を動かしている。無駄のない動作で巨大な銃の機関部を開き、金属の奥深くまで目を凝らす。戦場の泥と硝煙の残滓が、微細な粒となって冷たい鋼の隙間にへばりついていたが、それを見逃すことはない。

 布を巻いた指が慎重に擦り、オイルを染み込ませたブラシが溝の奥をなぞるたびに、僅かに錆びかけた箇所が光沢を取り戻していく。

 この男の動きには、単なる作業ではなく、儀式めいた静謐さがあった。


 マイルズがそれを見入る。


「どうした、気になるか」

「ああ、いや」

「いいだろう。教えてやる」

「こいつは狙撃銃だ、正式名称はXR-99-D多用途作戦用狙撃銃"ヴェナトール"だ。射程は2500m。相手が人間なら、簡単に吹き飛ばせる」

「まじかよ...そいつは...結構なことだな...」

「当然、人間以外にも対応してる。25mmプラズマコア弾に切り替え可能だ」

「なんだそりゃ」

「弾頭内部に小型のプラズマ発生装置を搭載、命中した際に瞬間的に高熱を発生させ、ターゲットの狙った位置を局所的に蒸発させる。対戦車、装甲車用といったところだ」

「そのモニターみたいなやつは」

「戦術センサーだ。周囲の空間を3Dスキャンし、超高精度でターゲットの位置を割り出す」

 技師を目指しているマイルズにとって、このような機械的な装備は好奇心が引き立てられる。

「それなら知ってるぞ、シャトルの内部の破損を探知するときに使うんだ、X線だろ」

「よく知ってるな」


「実はなこう見えて、僕は技師なんだ、宇宙技師さ」

「ちょっとあんた、見習い見込みでしょ」

 サニーが反応する。

「いいだろ、今その話は」

「なんでもいい、上を目指せばいいさ」

 ドレッドは二人の顔を見てつぶやいた。


 マイルズはふとあの言葉を思い出し尋ねる。

「それで、あんたはずっとこんなところで、その、戦争の男ってのをやってんのか」

 ほんの頷く。

「その銃は、アンダーソンたちが使ってる銃に比べてかなら大きいようだけど、あんたらしいよ」

「アンダーソンとモーガンが構えてるのはM123-A4制圧用プラズマライフルだ。状況を問わず使いやすい。ジーナが持ってるのはGV-M150突撃機関銃。毎分5000発の発射が可能だ。それぞれ役割があるんだ」

「ほお、なんでも知ってるんだな」


 詳しく教えてくれるが、ただの武器マニアではないことはわかる。

「そういや昨日のあれはすごかった。煙の中で、一発ずつ、確実にターゲットを仕留めるのは。練習してるのか」

「練習なんかないさ、全て実戦で覚えた。相手の動きは経験で判断する。戦いの経験だ」


「じゃあ戦争のことはあんたに任せれば間違い無いってことだな」


 マイルズが立ちあがろうとした時、

「いや、気をつけろ。死はいつ襲ってくるかわからない」

「怖いこと言うんだな。基地に着くまでは守ってくれるんだろ?」

 確認するように問いただすと、

「こいつを持ってみろ」

「はあ?」

 ドレッドは腰のホルスターから拳銃を抜き、マイルズに差し出した。有無なく受け取ったが、その手に若干の震えが生じる。

「ちゃんと持て」

「どういうことだよ」

 グレーの光沢を持った標準的なサイドアームだ。マガジンにはフル装填の弾、スライドにはほとんど使用感がない、というよりこまめに整備され、丁寧に扱われていた感じがあった。

 マイルズは慎重に両手で拳銃を受け取ると、その重みに戸惑った。実戦経験豊富なドレッドが個人的な貸しとして譲ってくれるのは、戦士としての彼なりの計らいだった。しかし、まだマイルズにはそれがわからない。


 マイルズの顔は少し引き攣っていた。使ったこともない凶器を突然渡されたのだから無理はない。

「こりゃ...驚いた...思ったより重いな」

「慣れりゃそうでもないさ。使い方はわかるよな?」

「ああ...ここを...引けばいいんだろ」

 戸惑いと興奮を感じながらマイルズは答える。

「そうだ、でもな、銃は手に馴染むまでが勝負だ」

 戦士らしい返答だ。


「やってみるか」

 ドレッドは腕を組みながら軽く顎をしゃくった。マイルズの体が震える。

「大丈夫だ、やってみろ。弾倉を差し込んで、スライドを動かせ」

 マイルズは頷き、手を慎重にスライドへかける。

「こうか?」

「そうだ、そいつをしっかり後ろに引け」

 ガチャリという内部の金属が噛み合う音が出る。中の様子がわかり、しっかり込められていることが確認できた。

「手を離せ」

「ええ?」

「いいから離せ」

 手を離すとスライドが前進、

「これで装填完了だ。あとは引き金を引くだけだ。初めてにしてはまあまあだな」

 ドレッドは軽く肩を叩くと、軽く笑った。その顔には、厳しさの中にどこか兄貴分らしい温かさがあった。 


「撃ち尽くしたら、スライドが後退したままになる。その時はここを押して、弾倉を出せ。それからリロードしろ」

「わ、わかったよ」

「そいつはお前にやる。周りには言うなよ」

 ドレッドはマイルズに対して何かを感じていた。

 戦争の男としてか、一人の男としてか、はたまた単に浸りを守れなかった時の責任回避のためか不明だったが、その男が武器を渡したのだ。


 そしてこう告げた

「グズグズするなよ。銃と弾薬はいくらでもあるが、命は一つだ」


 マイルズは黙って拳銃を握り直し、しっくりくる持ち方を探るように構えてみる。まだ手の中で不安定さを感じていた。

「なかなかいい構えだ」

「ありがとう、大事にするよ」

「貸しができたな、返してもらうのはずっと先でいい」


 そう言うと、ドレッドは背を向け、立ち上がって自分の銃の動作の確認に戻った。


 マイルズは改めて手の中の拳銃を見つめ、深く息をつく。この武器を託された本当の意味を、いつか思い知ることになるのかもしれないが今は、ただその重みを噛みしめた。


 アンダーソンが呼びかける。

「そろそろ出発するぞ」

「あとどれくらい歩くのよ」

「そうだな、うまくいけば今日の夕刻には前哨基地だ」


 モーガンがアンダーソンの肩を掴み、状況を確認する。

「ここから南東に向かえば基地にたどり着ける。だが最警戒地帯になってる。一番近場の農村はつい先週ELFの配下に置かれたばかりだ。大きな武装基地があるなんて噂も回ってたろ。だがこの森の中じゃ、どこに何がいるか分かったもんじゃない」


 そして注意を促すように加える。

「気をつけろ。こっから先、一歩踏み出した先は闇だ」


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