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第八話 不安な距離

 次の日。

 アルバイトは休みで、安藤さんと顔を合わせる心配がないので少しホッとしていた。勉強する予定だったけれど、昨日の安藤さんや紗希の言葉が気になって、全然集中できない。紗希の帰りを待ちながら、安藤さんがどんな反応をしたのか早く聞きたくてたまらなかった。


 紗希は朝、こんなふうに言って学校に行った。

「もし安藤さんが何か言ってきても無視するからね。まぁ、言ってこなくても無視するけど。でも、お兄ちゃんのことを好きだとか言い出したら、『お兄ちゃんに近づくな!』って言うからね」


 まだ朝の十時。待っていると時間が長く感じる。紗希、早く帰ってこないかな……。

 紗希が帰ってくるまで、家の中を落ち着きなく歩き回り、時計を何度も見たりする。気を紛らわせようと勉強を再開したけど、参考書を開いても全然頭に入らなかった。


 ベッドに寝転び、スマホで学校の連絡用掲示板を開いて生徒同士の他愛のないつぶやきを眺める。

 そこにはボクの休学についての話題もあった。

『アイツなら出席日数足りてなくてもあの成績なら問題ないだろう』とか、『これで妹のお兄ちゃん自慢も少しは収まるんじゃないか?』なんてヒドイ書き込みもあったけど、特に気になるものはなかった。

 ふと紗希のクラスの生徒の書き込みが目に入り、なんとなく追ってみる。でも、紗希のつぶやきも、もちろん安藤さんのもそこにはなかった。


 安藤さんのシフトが分からないから、明日アルバイトでまた会うかな?

 次に会ったとき、どう話せばいいんだろう。

 緊張してうまく話せないとか、自分がボロを出すんじゃないか……見つめられてまた顔が熱くなって、それが余計におかしな誤解を生む気がする。

 挙動不審になったら逆に怪しまれるよな……。

 ……もしかして、昨日のことを気にしているのはボクだけなのかな?

 もっと自然に、普通に話せるようにならないとダメだ……。



 昼食も摂らないで考え込んでいると、ようやく紗希が帰宅した。リビングに入ると、制服のまま冷蔵庫から麦茶を取り出し、一口飲もうとしている姿が目に入った。

「おかえり、紗希。どうだった?」

「う〜ん、特に何も言ってなかったよ」と答えた後、少し首をかしげて、「でも……」と続けた。

「な〜んか、一人で考え込んでた感じだったよ」

「それ、ちょっと不安になるなぁ……」

「うん、そうなんだよねぇ。あの安藤さんに興味持たれちゃったっていうか、目をつけられちゃったってことは〜」

「……」思わず唾を飲み込む。


「……お兄ちゃん、女の子としてどう思われるか、ちょっと気になるでしょ?」

 紗希が面白がるように笑う。それ、考えたくないんだけれど。

「ちょ、え? なにそれ!」

「まぁ、お兄ちゃんは男のときもカッコよかったし、女の子になってもクールさは変わらないし。しかもちっちゃくてかわいいし、ツンデレ声だしね〜」

「そ、それは、紗希がボクのことを自慢しまくってたから、『お兄さんはカッコいい』って、うわさでしかないだろう。それに、そんなにかわいくないし……」

「お兄ちゃんはもっと自信持ちなよ。男のときだって、実はファンが多かったんだよ? ま、あたしがそれを阻止してたけどね〜 案外女の子の格好で学校に行ったら、みんな納得するんじゃないかな〜」

「それ、本末転倒じゃん」

「ま、たしかにね。それよりもう少し、女の子っぽく話す練習が必要よね〜」

「ううっ! まさかそんなところを指摘されるとは……」



 そんなことを二人で話している最中、紗希のスマホからメッセージ通知音が鳴る。

「あ、個チャ……誰だ。うわ、お兄ちゃん、安藤さんからだよ!」

「えっ? な、なんて?」

「え〜っと……げ、『昨日アルバイト先で、北条楓という子に会いました。この方は紗希さんのご親族ですか? 可愛らしい方ですね』だって……なんか固っ苦しいねぇ」

「そ、それって……まさか、バレたのか?」

「バレてるかもしれないけど、安藤さんがわざわざ確認してきたってことは、まだ疑ってるだけでしょ。バレてないってことじゃない?」

「ただ単に怪しまれてるだけか。じゃ、返事はどうする?」

「変にごまかすと逆に怪しいから、普通に返信しておけばいいんじゃない? 『親族です』ってシンプルに答えたら、それ以上聞かれないでしょ」

「そりゃそうだね」

「うん。じゃあ、『はい、北条楓はあたしの従妹です。かわいいでしょ? 自慢の従妹なんですよ〜』――ってどうかな?」スマホ画面を見せながら聞いてくる。

「な、紗希。なんで従妹?」

「それはそうでしょ? お兄ちゃん、どう見たってあたしの『妹』にしか見えないじゃん」

「そ、そうだね……。じゃ、それで返信して」

「わかりました! お兄様〜」

 頼りにはなるけど、調子のいい妹だよまったく。


「安藤さんってさ、ふだんはどんな子?」

「う〜ん、無口であんまり話したことないんだよね。ほら、あたしがお兄ちゃんの自慢話するから寄ってこないってのもあるけどさ。でも女の子が好きなだけあって、気になる子には結構ぐいぐい行ってるし……」

「そうなんだ」

「明日、学校でちょっとだけ探りを入れてみるよ。『楓ちゃん』のこと、どう思う? って」

「楓ちゃんって……ま、いいか。そうだね。明日はバイトで会うかもしれないから、ボクに個チャで反応教えてくれる? バレてそうなのか、完全に従妹って思ってるか」

「うん、わかった」



 昨夜のやり取りが気になって、なんだか重い気持ちで朝を迎えた。

「お兄ちゃん、行ってきま〜す」

 紗希は朝七時半に家を出る。

「行ってらっしゃい」

 その気持ちを引きずったまま、紗希を送り出した。


 今日はアルバイト。ゆっくりと九時半頃、父さんの車に便乗して研究所へ向かう。

 今日の服は、昨夜、紗希が「お兄ちゃんに似合う服を選んだよ〜」と自慢げに言っていたやつだ。

 クリームイエローのワンピースに白のサンダル。

「少しでも大人っぽく見せないとね〜」と、嬉しそうに選んでくれた。

「お兄ちゃんはまだお化粧は似合わないし、したくないでしょ?」と、ポーチにはスマホ、財布、ティッシュとハンカチ。それとカラーリップクリームだけを入れて。うん、さすがわが妹よ。


 安藤さんのことを考えて、少し浮かない顔をしていたせいか、父さんが心配して声をかけてくれた。

「研究所で何か問題でもあったのか? 一昨日、少し早く上がったって山下くんから聞いてたが」

 そういえば、父さんとはこの二日間、顔を合わせてなかったんだな。


「バイト自体はいつも通りうまくいってるよ。でも……」

「ん?」

「九月から入ったバイトの子が、紗希の同級生だったんだ。それで昨日、ボク……『楓』のことを『紗希さんのご親族ですか?』って、紗希に個チャで聞いてきたんだよ」

「個チャ? ……ああ、学校の個別チャットか。そうか、アルバイトの人事は研究室ごとに任せているとはいえ、少し注意が必要だったな。すまなかった、楓太」

「いや、父さんのせいじゃないよ」

「そうだが、山下くんがもう少し気を使ってくれていればよかったかもしれないな」

「でも、学校が同じってだけで不採用にするのは無理でしょ?」

「たしかに、それもそうだな……で、その子にはどう返信したんだ?」

「紗希と相談して、変にごまかすのは逆に怪しいから、『北条楓はあたしの従妹です』って返信したよ。それで、その子がそれを信じたかどうか、今日少し探りを入れるつもり」


 ボクはあえて、その子――安藤梓――が『楓』をかわいらしいと思っていることには触れなかった……たぶん、自分の気持ちを守るためだ。


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