夏。四季の内、最も太陽の恩恵を受ける季節。惑星マサクーンに於いても、そのように設定されていた。アゲパン大陸最北東端に有る王都オーティンも、その例に漏れていなかった。
王都オーティンの夏の空は、突き抜けるような蒼天だった。そのど真ん中でふんぞり返っている光の玉、太陽は「ギラギラ」と擬音が聞こえるくらいに熱く、地上をコンガリ照り付けていた。
地上の「太陽エネルギー充填率」は百二十パーセントを超えた。その過剰なエネルギーを快適に思えるほど、人の体は便利にできてはいなかった。
茹だるような暑さの中に在って、「さあ、今日も仕事を頑張ろうか」と、一層ヤル気になる者は、存外に少ない。それは、王都の市民達も同様だった。
「こんな暑いのに働いていられるか。遊びに行きたい」
太陽の拷問に耐えかねて、海へ、山へ、海外、果ては宇宙へ――と、遊びに出掛けたくなる衝動に駆られても無理はない。宜なるかな。
しかし、現実は非常だ。
人々の欲求を社会が許すとは限らない。人々の希望に為政者達、或いは会社が応えるとも限らない。殆どの人が「諦める」という選択肢を選ばざるを得なかった。
ティン王国に於いても、殆どの領地が「夏季特別就業時間」など無かった。「夏も変わらず働け」だった。
ところが、王都オーティンは違っていた。
「夏季中、休日は倍増」
国王ムケイの計らいによって、王都民の就業時間は大幅に減少した。そのせいで、生産効率が下がった――かと思いきや、実は上がっていた。
何故なのか? 態々理由を尋ねずとも、王都民達は毎日のように口に出していた。
「休みが増えて、ヤル気マックス」
皆、夏の茹だるような暑さに疲労困憊していた。普段通りの仕事をしようものなら、倍以上の疲労感に襲われた。それが、休みを増やしたことで十分以上の慰労時間を取ることができた。仕事には万全の体調で臨むことができた。
これはもう、「流石ムケイ」と称賛されるほどの成果だろう。
しかし、残念ながらムケイの功績を知る者は、ティン王国に於いては王都に暮らす人々だけ。王国の他領土には全く伝わっていなかった。むしろ、ムケイに対して「真逆の評価」を下す地方領主が多かった。
何故なのか? その理由は――「王都の税収状況の改ざん」。
王都の税収は、王城にいる「誰か」の仕業で、態と低く記録されていた。その内容は地方領主達に伝えられていて、彼らはそれを真に受けていた。
「やはり、休みを増やすと生産性は下がるようだな」
ティン王国の他領土民の方々、どんまい。
そのような訳で、王都オーティンに暮らす人々は、タップリある休日を活用して、郊外まで足を延ばす者がそれなりにいた。
しかし、地球に生きる現代人と違って、旅行できる場所は限られていた。
海も、海外も、宇宙も、王都民には余りに遠かった。殆どの者の旅行先は「山」だった。
王都民のモーストフェーバリット旅行先は、王都後背に聳え立つ「ピタラ山脈」。壮健な王都民であれば、誰もが足を踏み入れた。
しかしながら、その最高峰の山頂まで登ったものは、殆どいなかった。
ピタラ山脈最高峰の山、「マウント・フルティンオーカイザー」。その標高は一万メートルを超えている。中世期の装備で挑むには、余りに過酷だった。
それでも、王都民の中には「いつか登ってみたい」と思う者も少なからずいた。彼らの冒険心を擽る浪漫が、そこには有った。
「マウント・フルティンオーカイザーには、我らに『ティンを与えて下さった神様』がいる」
ティンはティン族の力(ティン力)の源にして象徴だ。それを授けた神がいるとなれば、会ってみたいし、お礼も申し上げたい。
しかし、如何にティン族であっても、フルティンオーカイザーの山頂は余りに遠かった。誰も、神の姿を見た者はいない。
そもそも、山頂の神様、その名も「フルティンオーカイザー」は、「誰も登れないよう」設定していた。何故ななのか?
(((まあ、頻繁に会いに来られたら『神の有難み』が薄れるからな)))
標高一万千百八十四メートル。成層圏内にある山頂に、「神の念話」が響き渡った。それを発していたのは、山頂を切り崩した平地に生えた「白い山」だった。
しかし、山ではなかった。生き物だった。より正確に言うならば「魔物」、更に詳しく種族名を言えば「ドラゴン」だった。
白いドラゴン。
山頂の平地に寝そべる様子は、新たな「山頂」だった。体色が白く見える為、増々区別がつかなくなる。しかし、「白さ」は偽物、万年雪を被っているだけだった。
そのドラゴンの体色は「赤と黒のゼブラ模様」だった。四本脚の爪の先まで縞々だ。
しかし、頭から生えた「三本の角」は赤と黒で明確に分かれていた。
逆三角形に並んだ頂角(逆なので下の角)は、最も大きく、「真っ黒」だった。
残り二つの低角(逆なので上の角)は、黒い角より一回り小さく、「真っ赤」に染まっていた。
赤と黒の角を持つドラゴン。彼こそ、ピタラ山脈の主にして、ティン族にティンを「直接」授けた神「フルティンオーカイザー」だった。
フルティンオーカイザー(略称、『カイザー』)は、眼下に広がる雲を見下ろしながら独り言を呟いていた。
そもそも、他に誰もいないのだから独り言にしかならなかった。そのはずだった。ところが、
「あらまあ、そのようなことを気になされていたのですか」
今日に限って、応える者が「一人」いた。
山頂の気温は零下四十度。人間を含めた生き物にとって、とても過酷な環境だ。
しかし、「そいつ」は、有ろうことか「ドレス(夏バージョン)姿」だった。普通の人間ではない。実際、目を見張るほど「特異なもの」が、頭から生えていた。
人の腕並みにデカい角が二本。
そう、そいつ、その少女はリザベル・ティムルだった。
今、リザベルはカイザーの御前にいた。彼女は、持参した折り畳み椅子に腰を下ろしている。今は持参した水筒を取り出して、その中に入った茶をカップに注ぎ、悠々と嗜んでいるところだ。
リザベルの様子、態度、それらは平地にいたときと殆ど変わっていなかった。その姿は、カイザーの爬虫類の目にもハッキリ映っていた。
(((『力』を与え過ぎたかなあ)))
カイザーは「体格差が十倍以上もある小さな少女」に向かって愚痴を零した。それを聞いた少女は、愚痴の対象が自分であることにも気付かずに、
「何のことでしょう?」
小首を傾げていた。その姿は、カイザーの爬虫類の目に可愛らしく映っていた。褒めてやりたい気持ちも沸いた。しかし、それ以上に気になることが「一つ」有った。
その想いが口、いや、「頭」から零れ出した。
(((珍しいな)))
「? 何が、でございます?」
(((今日は『一人』なのか?)))
一人。そう、リザベルは一人だった。たった一人きりで山頂まで登ってきたのだ。その所業は、神からしても脅威と思えた。
しかし、カイザーが気にしていたのは、そこではなかった。
(((いつもなら、『連れ』がいるのにな)))
カイザーの脳内に一組の男女の姿が閃いていた。その内の女性の方は、目の前で茶を嗜んでいるリザベルだった。
リザベル達は、いつも二人一緒に山頂まで上がってきていた。
しかし、今日はリザベル一人だけなのだ。その事実に付いて考えると、カイザーの脳内に「最悪の可能性」が閃いた。それに付いて考えるほどに、カイザーのインド象並みにデカい心臓がパオンと跳ねた。その衝撃が言葉となって、口から――いや、脳から零れ出た。
(((何か、有ったのか?)))
カイザーの声(念)からは、少なからず不安の色が滲み出ていた。しかし、リザベルは平静に茶を嗜みながら、カイザーの質問に答えた。
「特に何も――あ」
リザベルは回答の途中で口を噤んだ。その瞬間、彼女の脳内に一つの可能性が閃いていた。それと同時に、「一人の貴公子の姿」も閃いていた。その閃きが、そのまま彼女の可憐な口から飛び出した。
「『デッカ様』でしたら所用で遅れると――」
リザベルの回答は、カイザーの不安を払しょくするはずだった。ところが、彼女が全て言い切る前に、事態が急変した。「それ」を、カイザーは察知した。
(((何か――来る)))
カイザーは頭上を見上げた。そこには、星に手が届きそうな空、成層圏が広がっていた。
その中に、キラリと光る星が「一つ」有った。
どうやら流星らしい。見詰めるほどに、大きさを増していた。
(((まさか、ここに?)))
カイザーの脳内に「隕石」が落下、衝突する光景が閃いた。
その瞬間、カイザーは四本脚を伸ばして、すっくと立ち上がった。そのまま大きく一歩前に踏み出して、腹の下にリザベルを――隠した。
その直後、リザベルの脳内にカイザーの声が響き渡った。
(((伏せていろ)))
神の注意喚起。絶対に聞くべきだ。聞かない方が、どうかしている。
しかし、リザベルはどうかしていた。
「大事有りませんわ」
リザベルは全く平静だった。神様の腹の下で、悠々と茶を嗜んでいた。その姿は、カイザーの目には映っていなかった。しかし、その様子は雰囲気で察していた。
こいつ、何でこんなに余裕が有るのだ?
カイザーの長い首が斜めに傾いだ。その直後、山頂に隕石が落下した。
凄まじい衝撃――ではなかった。辺りの雪がフワリと浮いただけだった。その舞い上がった雪の中に、小さな(カイザー視点)人影が有った。
それは、人間だった。男性だった。しかし、当然ながら普通の人間ではなかった。
その男の頭には巨大な角が一本生えていた。
「お待たせ」
デッカは、その美貌に爽やかな笑みを浮かべた。その姿を見たカイザーは、息を飲みながらデッカに向かって念話を飛ばした。
(((『空を飛んで』きたのか?)))
空を飛んで。地球の現代人であれば「飛行機」を想像できた。しかし、惑星マサクーンには、そんなものは無い。序に言えば「人間の体」に飛行機能は無い。
デッカは首を横に振った。実際、彼は空を飛んできた訳ではなかった。その代わり、別の「とぶ」を実行していた。
「跳躍しました」
デッカは「飛び跳ねながら」山を登っていたのだ。
(((やはり、『力』を与え過ぎたか)))
デッカの回答を聞いたカイザーの口から溜息が漏れた。その際脳から零した愚痴は、彼の腹下にいたリザベルに届いていた。
「私(わたくし)の王子様を侮らない方が宜しくてよ」
リザベルは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。