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第十七話 このティンどころが目に入らぬか

 王立オーティン大学大講義室。

 大学構内に於いて「最大」と呼び名の大広間。その全体像は、最奥の講壇を中心にした「扇形」。その広大さも相まって、見る者に「劇場」と錯覚させた。

 そこに今、劇場さえも狭く思えるほどの大人数が押し寄せていた。現況に付いて「誰が? 何をしに?」と問われたら、現在地に相応しい回答が返ってくるだろう。


 劇場を埋めている者は、その殆どがオーティン大学の学生だった。彼らは講義を受けに来ていた。


 大学生なのだから、講義を受けることに不思議はない。しかし、現場の学生達をよく見てみると、奇妙な状況であることに気付く。

 学生達は、それぞれ異なる学年、異なる学科の者ばかりだった。その為、立ち見が出るほどの超満席になっていた。


 因みに、現在行われている講義の対象学年は「一年生」。しかも、「選択科目」だった。


 必修でないならば、他の講義を受ける手段も有った。一年生以外の者が受講する必要も無かった。実際、現場にいる半数以上の学生にとっては既に「履修済み」の教科だった。

 それでも、学生達は大講義室にやってきた。彼らにとって、「この講義」は特別、別格だった。


 その講義の名を「ティン工学」という。略称は「ティン工(ティンコウ)」。


 現況が示す通り、ティン工学は大学内の講義の中で「最人気」と言えるものだ。

 大学構内にいると、至るところから「ティン工」と聞こえてくる。オーティン大学生、いや、ティン王国で学問を志す者にとって、「大声で叫びたい言葉第一位」と言っても過言ではない。

 それほどまでに好かれる理由は、ティン工学が「今日のティン族の栄光と繁栄」を支える基盤になっていたからだ。


 そもそも「ティン工学」とは何なのか?


 簡潔に言うならば、「ティン力(ティンポウ)を活用して、生活をより良いものにする」となる。

 より具体的に言うならば、「ティン力に反応する機器『ティン力機(ティンポウキ)』に付いて学ぶ」となる。

 尤も、一口に「ティン工学」と言っても、様々な分野が有った。大別すると「三つ」。


 ティン力機のしくみを学ぶ「基礎」。

 ティン力機の利用、及び活用方法を学ぶ「機械」。

 新しいティン力機器の理論、及び製造を考える「開発」。


 オーティン大学に於いて、ティン工学の「基礎」と「機械」は選択科目になっている。それを取らなくても、他の教科で代替できた。

 しかしながら、そこは人気科目。在学する全ての学生がティン工学を選択していた。

 尤も、「開発」だけは「専門学科」となっている。その上、「選択すれば誰でも受講できる」というものではなかった。基礎、機械を履修した者の中で、選りすぐりのエリートだけが門戸を敲くことができた。


 現在大講義室で行われている講義は、ティン工学の入門編、「基礎」。オーティン大学の学生であれば、誰もが受講できた。誰もが視聴できた。その門戸の広さが、現況に反映されていた。


 大講義室の中は満員御礼、いや、「満員電車の鮨詰め状態」というべきか。その超過密な空間の中で、唯一広々とした場所が有った。

 そこは、言わずもがなの講壇だ。今は「講義中」ということも有って、天井に吊るされた「ティン力発光装置」の光に満ち溢れていた。

 その光の中に、「子ども」と錯覚するほど小柄な老人が立っていた。


 オーティン大学名誉教授、「エイジ・トゥノ」。


 エイジは、今年で百十二歳になる。とてもお年寄りだ。

 因みに、ティン族の寿命も人間のそれと大差無い。百十二歳となれば「片脚どころか両脚まで棺桶に突っ込んでいる」と言っても過言ではない。


 しかし、何事にも例外は有る。

 エイジ・トゥノは棺桶に突っ込んだ両脚で、その底板をぶち破っていた。方向性は全く違うが「デッカ、リザベルと比肩するほど特異な存在」だった。

 実際、エイジは百十二歳とは思えないほど壮健で、その外観は実に若々しかった。

骨格に直接皮を張ったかのような細身、その肌は土気色。その若々しさは、見る者に「百歳では?」と錯覚させた。


 正に、生ける屍――じゃない、伝説。


 伝説の偉人が今、右手に「黒い棒」を握りながら声を上げた。


「「「カッカッカッ、今日も沢山の学生が集まりましたなぁ」」」


 とても百十二歳とは思えない、張りの有る声だった。


 因みに、エイジが握っている黒い棒は「マンク」という。ティン力を使った小型の音響変換装置で、これもまたティン工学が生み出した便利道具だった。


 エイジはマンクを握り締めながら、その二本の脚で直立して、ニコニコ微笑んでいた。

 とても百十二歳とは思えない壮健な姿。見る者に、「後、百年くらい元気なのでは?」と本気で想像させた。それはもう、ティン力工学が霞むくらいの奇跡。見ているだけで「長寿の御利益を授かろう」というもの。

 大講義室にいる学生達の中には、両手を合わせて拝んでいる者が、多数いた。


 今日もご尊顔を拝せてありがたや、ありがたや。

 ああ、教授。どうか、どうかそのままお元気で。

 危ない、危なそう。今のはヤバかった。

 どうか倒れないで完走して(完走するのは人生ではなく、講義の方)。


 エイジを見詰める学生達は、その殆どが目頭を熱くしながら最高齢講師の講義に全力傾注していた。その為、大学の講義であるはずが、戦場にいるかのような異様な雰囲気に包まれていた。

 その緊迫した空間の中に在って、一層異様な気配を放出する学生が、一人いた。


 その学生の名は、「リザベル・ティムル」。アズル辺境伯の娘にして、人の腕の如き巨角を持つ者。


 リザベルは「大学内最高人気の講師の講義」を受けながら、全く壇上を見ていなかった。彼女の視線は「学生側の席」に向いていた。彼女の視線を辿ると、二列ほど前の席に辿り着いた。

 そこには、額から「人の腕」を生やした男子学生が座っていた。


 その学生の名は、「デッカ・ティン」。ティン王国第一王子にして、史上最大のティンを持つ者。


 デッカは、リザベルから二メートルほど離れた席に着いていた。

 二人の関係性(婚約者同士)を鑑みれば、隣に座った方が自然かと思われる。しかし、そうはいかない事情が有った。


 現在行われている講義は、大学内でも「最高人気」と言えるものだ。当然のように席取りも熾烈を極めた。

 デッカは運良く空いていた席に座った。

 リザベルも同様だった。

 ただ、それだけのことだった。仕方がなかった。宜なるかなだった。それぞれ「やんごとない身分」であれと、今は「只の大学生」なのだ。


 そもそも、身分が高い者は他者の見本にならねばならない。そうでなければ、大衆から「指導者」と認められない。

 ノブレス・オブリージュ。二人は良く心得ていた。だからこそ、二人は強権的な態度を取ることは控えた。現況で満足するしかなかった。我慢するしかなかった。

 デッカは我慢した。

 リザベルも我慢した。今もジッと黙っている。

 しかし、リザベルの心底には「暗い恨みの情念」が渦巻いていた。


 ああ、デッカ様。何故、私(わたくし)の隣に座って下さらなかったの?


 リザベルは、デッカに恨みがましい視線を向けていた。その「不可視の凶器」が、現在進行形でデッカの後頭部にスバズバ突き刺さっていた。


 滅茶苦茶痛い。


 デッカは涙目になっていた。しかし、耐えた。

 デッカとて、今日の講義を楽しみにしていたのだ。それに集中していたかった。だからこそ耐えた。耐え続けた。

 幸いにして、デッカには耐える力が有った。しかしながら、不幸にして「他の者」には耐える力が無かった。


 デッカとリザベルの周囲にいる学生達の顔には、「この世の終わり」を彷彿とする苦悶の表情が浮かんでいた。


 く、苦しい。

 誰か助けて。


 デッカ達の周りから、声にならない慟哭が轟いていた。それはとても煩かった。平時であれば、誰もが気付いていただろう。しかし、今は平時ではなかった。

 他の学生達は壇上を見ていた。最高齢講師エイジに夢中になっていた。地獄の亡者の如き慟哭も、場を盛り上げる心地良いBGMに過ぎなかった。


 デッカを含めて、地獄の亡者(デッカ達の周囲の学生)を救う者はいなかった。少なくとも、学生側の席には誰もいなかった。

 しかし、唯一人、学生達の窮地に気付いた者がいた。


「「「カッカッカッ」」」


 大講義室に快活な笑い声が響き渡った。その声の主、エイジは、針山地獄(リザベルズ・アイ)に喘ぐ学生達に「救い」と言う名の蜘蛛の糸を垂らした。


「「「では、ここで『余興』を一つ」」」


 余興。講義中の余興など、本来なら控えるべきだった。しかし、今は赦されたい。

 エイジは「蜘蛛の糸」の垂らし先として、「最も苦痛を受けている学生」を指名した。


「「「デッカ・ティンさん」」」


 マンク越しに響くエイジの声は、大講義室内にいる全ての学生の耳に届いていた。その中に、デッカの耳も入っていた。


「はい」


 デッカは即座に返事をして立ち上がった。

 すると、大講義室内にいた全ての学生達の視線がデッカに集中した。

 このとき、デッカは少なからず困惑していた。


 何故、俺は呼ばれたのだろう?


 講義の内容の中に、デッカが絡む要素は全く無かった。その為、デッカには思い当たる節が無く、その頭上には大きな「?」が浮かんでいた。

 デッカにしてみれば「不名誉な現象」だった。叶うならば早期に解決を図りたかった。

 ところが、ここでまた珍事、デッカの「?」が二つに増える出来事が起こった。


「「「リザベル・ティムルさん」」」


 エイジは、デッカに続いてリザベルを名指しした。

 その瞬間、デッカの後頭部に突き刺さっていた「真剣の切っ先(視線)」が雲散霧消した。


 千載一遇の好機到来。デッカ、デッカの周りにいた学生達、リザベルの周りにいた学生達、それぞれが全力で脱出を図った。

 結果、全員「エイジが垂らした蜘蛛の糸」を辿って地獄から脱出した。しかし、「これでもう安心」とはいかなかった。


 未だ「この場」には地獄の主がいた。人々を苦しめ抜いた悪魔は、その所業とはかけ離れた涼やかな美声を上げていた。


「はい」


 リザベルは返事をして立ち上がった。すると、学生達の視線が彼女に集中した。

 それぞれの視界に映ったデカいティンティンの辺境伯令嬢は、全く平静な様子だった。

 しかし、リザベル当人の頭の中は「えらいこと」になっていた。


 何故、名前を呼ばれましたの? それに、デッカさもご一緒なんて――何故?


 リザベルの頭上に「?」が浮かんだ。このとき、デッカの頭上の「?」は二つに増えていた。その様子は、大講義室最奥の壇上からも確認できた。


「カッカッカッ」


 エイジは心底面白そうに高笑いをした。それが収まった後、彼はマンクを口許に当てて声を上げた。


「「「二人とも、どうぞ『こちら』へ」」」


 エイジは、自分が立っている「講壇」を指し示した。それを見たデッカとリザベルは、二人揃って首を傾げた。

 デッカにも、リザベルにも、エイジの意図は全く分からなかった。しかし、言葉の意味は理解できた。


 デッカとリザベルは、エイジの指示に従って壇上に上がった。その瞬間、講壇の天井に吊るされた「ティン力発光装置」の輝きが一層増した。


 発光装置はデッカ達の強大なティン力に反応していた。

 それまで目に優しかった光が、今は「太陽」と錯覚するほど強烈になっていた。その光の中に立つデッカ達は、それを目にした学生達に幻想的なまでの美を覚えさせた。


 正しく神の使い、いや、神の化身か。


 誰もがデッカ達に見惚れていた。「この二人の間に割って入る者などいない」と直感、いや、確信していた。

 そこに、壇上から「見た目より十二歳くらい若い」と錯覚するハスキーボイスが轟いた。


「「「それじゃ、二人は儂を挟んで立って」」」

「「「「「!?」」」」」


 まさか、あの二人の間に挟まるつもりなのかっ!?


 エイジの言葉は、学生達の度肝を抜いた。中には「神に対する冒とく」と、強い忌避感を覚える学生もいた。しかし、


「「「「「…………」」」」」


 誰も何も言わなかった。いや、「言えなかった」と言うべきか。


 この三人が並んで立ったら――どうなるんだ?


 未知との遭遇。或る者は期待した。また、或る者は恐怖した。様々な想いが渦巻く中、衆目の中心にいるデッカとリザベルの声が上がった。


「「はいっ」」


 二人は元気良く返事をして、エイジの指示通り、彼を挟んで並び立った。


 デッカは、エイジの左手側に立った。

 リザベルは、エイジの右手側に立った。

 かくして、三人並んで立った。只それだけ。それ以上のことは何も無かった。


「「「…………」」」


 三人とも、本当に立っているだけだった。何も言っていなかった。それなのに、彼らを見詰める学生達の脳内には「不思議な幻聴」が響き渡っていた。


 このティンどころが目に入らぬか。


 幻聴を聞いた学生達は一斉に――「跪いた」。そのまま床に空いた僅かな隙間に「両手を着いた」。その直後、全員揃って声を上げた。


「「「「「ははーっ」」」」」


 見事な「平伏」だった。教科書に乗せたいくらいに見事だった。しかし、「何の授業で使えば良いの?」と問われたならば、「分からん」と答える他無かった。

 そもそも、学生達の行為そのものが意味不明だった。デッカ達を含めた当事者達も、よく分かっていなかった。

 しかし、唯一人「分かっていそうな奴」がいた。


 デッカとリザベルの間に挟まった老人は、その皺の目立つ顔を「してやったり」と愉快そうに歪めて、


「カーッカッカッカッ、カーッカッカッカッ」


 痛快な高笑いをしていた。

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