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第十六話 おスケベなのでございますか?

 季節は初夏。果てしなく澄み切った青空には「ギラギラ」と擬音が聞こえるほどの太陽が優しく、時折激しく地上を照り付けている。その眩い輝きは、人々の目に白いものはより白く、黒いまで白くなっているかのように錯覚させていた。

 白く眩しい石畳に並んだ白い丸テーブル群もまた、テクスチャを剥がした3Dモデルのように白く輝いていた。


 王立オーティン大学食堂カフェテラス。

 何かと「曰く」が有る場所だ。今日も、何やら不穏な空気が流れていた。

 その「象徴」、或いは「原因」と言えるものが、カフェテラス中央に位置した白い丸テーブルだった。


 そこには雪のように白い「大パラソル」が立っていた。それがテーブルに影を落として、仄かな黒に染め上げていた。その様子は「白いシャツに付いた墨汁のシミ」を彷彿とした。

 実際、周りのテーブルは「ガラガラ」と閑古鳥が鳴いていた。その為、「シミ」は一層目立っていた。その周りを見れば、無人と錯覚する。しかし、カフェテラステーブル群の縁、外周には人だかりができていた。


 一体、これから何が始まるのだろう?


 不幸にして現場に居合わせた学生達は、遠巻きに「墨汁のシミ」を眺めていた。すると、「シミ」の方から声が上がった。


「デッカ殿下は、『おスケベ』なのでございますか?」


 白いテーブル群の間に、冷たくも爽快な涼風(美声)が吹き抜けた。それが居合わせた全ての者の耳を存分に弄った。

 その直後、学生達の目が、漏れ無く、一様に、大きく開いていた。


 え? えっと――え?


 オーティン大学生にとって「涼風ボイスの意味」は易門だった。しかし、理解できたからこそ困惑した。


 今、「おスケベ」とか――いや、そんな言葉、言っていないよな?


 学生達は聞いた耳を疑った。その真偽を確かめるべく、全員「涼風ボイス」の発信源に注目していた。


 涼風ボイスの声主は「見目麗しい美少女」だった。しかし、残念なことに可愛げが無かった。

 少女の美貌は全くの無表情だった。それは彼女を見る者に「人形」のような非生物的な印象を覚えさせた。しかし、人形ではなかった。


 その少女の名は「アリアナ・ティルト」という。ティン王国南方領を支配するシムズ・ティルト侯爵の娘、侯爵令嬢だ。「とても、やんごとない身分」と言える。その上、本人に愛想が無い。同級生からも、上級生からも敬遠されがちだ。

 しかし、真面目であるが故に、大人達からは受けが良い。その事実もまた、彼女の傍から同年代の者を引き離す要因になっていた。

 今現在も、学生達は誰もアリアナには近付かない。離れた席から遠巻きに見ているだけだった。


 しかし、何事にも例外が有る。アリアナが着席しているテーブルには、彼女以外に二人の学生の姿が有った。

 その二人は――うん、「特異」な存在だった。


 男子と女子。どちらもアリアナと遜色ないほどの美形だ。その要素だけでも「特異」と言える。人目を惹くのに十分な魅力が有った。

 しかし、最初に二人の顔を見る者は、存外少ない。殆どの者は二人の頭、そこに生えた「ティン」を見た。それも真顔で、食い入るように見た。

 二人のティンは、それはそれはデカかった。「人の腕」と例えられるほどに。そのようなティン(或いはティンティン)を持つ者は、惑星マサクーンには男女、それぞれ一人ずつしかいなかった。 

 その男女とは、言わずもがなの「デッカとリザベル」だった。


 アリアナは学生食堂を背(南)に位置していた。デッカ達は、彼女の対面(北)に並んで座っていた。

 アリアナ視点では「右(東)にデッカ、左(西)にリザベル」という配置になっていた。それを上から見れば、アリアナを頂角とした二等辺三角形を形成している。

 三人とも、やんごとない身分の人間だった。それぞれ王城に登城する権利を持っていた。顔を合わせたことも、何度か有った。同じ大学の学生なのだから、毎日のように顔を合わせていても不思議はない。

 尤も、現況のような「一緒に食事をする仲か?」と問われると、デッカとリザベルの首が斜めに傾ぐ。アリアナは即応で真横に振る。

 まして、「この三人で」となると、実は今日、この瞬間が全くの初めてだった。


 何故、三人で一堂に会しているのか? 何故、デッカはアリアナから「おスケベなのでございますか?」と尋ねられているのか?

 その謎を紐解く為には、少し時間を巻き戻さねばならない。

 今日の「珍事」の発端は、アリアナが遭遇した「昨日の出来事」に有った。


 昨日、大学構内(中庭)で一組のカップルのイザコザが有った。所謂「痴情の縺れ」というやつだ。

 このとき、アリアナは某教授に資料の運搬を頼まれて、その任務を遂行していた。


 中庭を通っていく方が近いでしょう。


 アリアナは中庭経由の進路を選択した。その判断が、アリアナの耳に「男女の会話」を届けてしまった。

 会話の内容を要約すると、「男の方が他所の女性と懇意にしていた」とか何とか。それを聞いたアリアナの表情は、全くの「無」だった。


 はあ、さようでございますか。


 アリアナにとって、男女の会話は「小鳥の囀り」にも満たないものだった。特に関心を覚えるものではなかった。そのはずだった。ところが、


「男って奴は、『全員スケベ野郎』なんだよっ」


 当事者の男性が叫んだ言葉、そのたった一フレーズが、アリアナの琴線に触れた。


 殿方は、「全員おスケベ」なのでしょうか?


 アリアナは「侯爵令嬢」である。その立場上、結婚(政略結婚)することは確定事項だった。それはアリアナ本人も良く心得ていた。

 しかし、アリアナは男性に興味が持てなかった。男性に好かれるための努力など、したことも無ければ、知りもしないで生きてきた。これまでは、それで許されていた。しかし、これからは――


 私も今年で十六になります。大学生にもなりました。そろそろ、殿方に好かれる努力をした方が、良いのかもしれません。


 オーティン大学入学以降、アリアナは秘かに「殿方研究」を行っていた。そんな折、先の発言が耳に飛び込んだのだ。


 これは確かめる必要が有りますね。ですが――


 アリアナには「友人」と呼べる者が少なかった。特に同年代には殆どいなかった。より具体的に言えば、「プライベートで言葉を交わす相手が一名だけ」だった。


 その貴重な存在こそ、現在アリアナの前に座っている女性、即ちリザベルだった。


 アリアナとリザベルは同じオーティン大学一年生だ。大学では、幾つか同じ講義を選択していた。講義室に入れば、必然的に顔を合わせた。


 件の言葉(スケベ野郎)を聞いた日の翌日、即ち今日のこと。アリアナは講義室に入るなり、リザベルを見付けて声を掛けた。


「リザベル様」

「何でございましょう?」

「実は、折り入ってご相談したいことが有ります」


 かくかくしかじか。アリアナの相談内容を要約すると、「同年代の男性に質問したいことが有るので、その機会を設けて欲しい」といったところ。それを聞いて、リザベルが真っ先に思い浮かんだ男性は――まあ、誰もが予想に易いだろう。デッカだった。

 リザベルにとって、同年代の他の男は眼中に無い。デッカに頼むしかない。ところが、


「えっと――」


 リザベルはデッカの名前を出すことを躊躇った。彼女としては、例え「大学での唯一の友人(リザベル視点)」であろうとも、デッカに他の女性を引き合わせたくは無い。その想いが、リザベルの心中で「内戦」を引き起こしていた。


「嫉妬、独占欲連合軍対、友情軍」


 開戦当初から、友情軍は劣勢、敗北は必至だった。

 ところが、友軍として「辺境伯令嬢のプライド軍」が加わった。それによって、友情軍は巻き返しに成功した。

 しかし、嫉妬、独占欲連合も負けてはいなかった。

 戦争は膠着状態に陥った。それぞれの戦力は五分と五分。このまま百年戦争に発展するかと思われた。

 ところが、ここでリザベルの脳内に「天啓」が閃いた。


 そうですわ、別の殿方を紹介すれば良いのですわ。


 リザベルの顔がパッと輝いた。「善は急げ」とばかりに直ぐ様「脳内名簿」で検索した。そこには結構な数の名前が有った。

 リザベルは「辺境伯令嬢」という立場上、それなりに知り合いが多かった。「男性」という条件付きでも結構な数の名前が次々閃いた。

 しかし、甘かった。検索条件に「同年代」、「親しい人」と加えた途端、リザベルの名簿は「二名」だけになった。その事実は、彼女に「非情な現実」を想起させた。


 デッカ様とアリアナ様以外、親しい友達はいませんでしたわ。


 リザベルは絶望した。その重苦しい想いが、彼女にとって最悪の展開を引き寄せた。

 リザベルが「オウ、ノウ」と頭を抱えながら懊悩していると、一人の貴公子が現れた。


「こんにちは。リザ、アリアナ嬢」


 デッカ・ティンが現れた。どうする? リザベル。

 まあ、どうするもこうするもない。そもそも、デッカも同じ大学の一年生なのだ。リザベル達と同じ講義を取っていたとしても不思議はなかった。

 この期に及んで、リザベルが選べる選択肢は一つしかなかった。


「デッカ様、後で少しお時間を頂いても宜しいでしょうか?」


 かくして、デッカとリザベルは一緒に「アリアナの頼み事」を聞く羽目になった。その席で、「おスケベ爆弾」が炸裂した。


 おスケベなのですか。アリアナの声は、ピタラ山脈から吹き降ろす風に乗って、南の方へと飛んでいった。

 おスケベは今、南国、アキネイ帝国辺りまで届いているだろう。後に残っていたのは、渋柿を口いっぱいに頬張ったような気まずい空気だけだった。


 え? これ、どうするの?


 カフェテラスに居合わせた学生達は、固唾を飲みながら「中央の三人組」を見詰めていた。そこに、再び「爆弾」が投下された。


「デッカ殿下」

「はい」

「殿下も、おスケベなのでございますか?」

「…………」


 デッカの眉根が、遠目からも分かるくらい歪んだ。


 デッカ・ティン。ティン王国の第一王子。紛うこと無き王族だ。王位継承権第一位だ。次代の国王を約束されているも同然だ。

 そのデッカに向かって、「おスケベなのでございますか?」と破廉恥無礼極まりない質問をする奴が、デッカの目の前にいた。

 しかも、その女性は侯爵令嬢。デッカが頭痛を覚えたとしても、現場に居合わせた誰もが「致し方無し、宜なるかな」と頷くだろう。


 デッカ達を遠巻きで見る学生達は、漏れなく全員「波乱」を予感していた。彼らの中には「デッカがアリアナを手打ちにする」という残酷な光景を閃く者もいた。


 しかし、デッカは「名も無い花を踏み付けられない男の子」だった。軽々に暴力に訴えることを「良し」としなかった。しかも、それなりに真面目だった。


「ふむ」


 デッカは「アリアナの質問」に付いて、真剣に、一生懸命考えた。しかし、「これだ」と閃く回答は、中々得られなかった。


 そもそも、「王子」という立場にいることもあって、「おスケベなのですか?」と尋ねられることを予想していなかった。


 ティン王国第一王子にして、次代を担う国王候補として、この難問に対してどのように対処すべきか?

 これが地球(現代)の指導者達で有ったなら、笑って簡単に「アイム、スケベ。オケイ?」と答えていただろう。

 しかし、マサクーン(中世)の王族には、少し荷が重過ぎた。

 デッカにとって、「アリアナの質問に付いて考える時間」は、正に拷問だった。しかし、彼にとって幸いなことが「一つ」有った。


 毎度鋭利な刃物を突き付けてくる「拷問官」が、このときはサボっていた。


 リザベルはデッカを見ていなかった。こちらも神妙な面持ちをして、何やら考え込んでいる様子だった。

 実際、リザベルは何やら――「おスケベ」という言葉に付いて考え込んでいた。


 アリアナ様が仰った「おスケベ」という言葉、どこかで聞いたことがございますわ。


 リザベルは、自分の脳内に溜め込んでいる記憶から「おスケベ」に関する情報を検索していた。すると、それは有った。


 そうですわっ、確か――「異性の体に興味が有る者」ということでしたわっ!!


 どこで仕入れた? その情報。まあ、今は情報源などどうでも良い。リザベルにとって、「デッカはどうなのか?」ということが最重要だった。


 リザベルはデッカを見た。途端にデッカが涙目になった。


 滅茶苦茶痛い。


 終に、デッカに「いつもの」拷問が始まった。それに耐え切れる精神的余裕は、今の彼には無かった。


「まあ――」


 デッカは声を上げていた。しかし、考えがまとまっている訳ではなかった。


「『一般的』にはそう言われているな」


 一般的。曖昧な、何とも歯切れの悪い物言いだった。デッカは「自分はスケベです」と断言しなかった。当然ながら、アリアナが納得できるものではなかった。

 アリアナはデッカを見た。その視線の意味が、彼女の可憐な口を衝いて出た。


「デッカ殿下は、おスケベなのでございますか?」


 三度目の「おスケベ爆弾」が炸裂した。その瞬間、カフェテラスの空気が凍り付いた。


「「「「「…………」」」」」


 居合わせた者達は、その殆どが動けなかった。我が身に降り掛かった「天災級の不幸」を呪いながら、固唾を飲んで硬直(石化)していた。

 デッカもまた、直ぐには動けなかった。質問したアリアナも、身動きせずにデッカを見詰めていた。

 誰もが動いていなかった。しかし、例外が一人いた。


 デッカ様は? デッカ様も、おスケベなのでございますか?


 リザベルは忙しなく顔と目と首を動かしながら、デッカの全身の様子を観察していた。彼女は「デッカに何か怪しい反応は無いか」とチェックしていた。彼女としては、自分の行為が周囲の者(特にデッカ)にバレないように、コッソリ見ているつもりだった。

 しかし、その視線は余りに鋭利だった。


 リザ、滅茶苦茶痛い。勘弁してくれ。


 デッカは「全身を斬り刻まれている」という拷問を受けて苦しんでいた。その痛みに堪え切れず、目尻から涙が一滴零れた。しかし、それは「誰も捉えることができないほどの超速」で拭った。

 尤も、拭えたのは「一滴」だけ。現状が続いたならば、きっと派手に泣く。ティン王国の王子として、絶対に避けたい醜態だった。しかし、だがしかし――


「オウ、ノウ」


 デッカは懊悩した。

 おスケベか、否か。その二択であれば、デッカは前者を採るしかなかった。この期(拷問)に及んで、それを躊躇う気も失せていた。しかも、それを断言できる明確な理由も、実は閃いていた。

 しかし、それは「特殊」と言わざるを得ないものだった。


 これも――正直に言うべきか? それとも、誤魔化すべきか?


 デッカにとって苦渋の選択だった。

 先ず、「正直に理由を伝えよう」と思った。すると、隣のリザベルが気になった。

 次に、「適当に誤魔化そう」と思った。すると、対面のアリアナが気になった。

 それぞれの「選択後の展開」を想像すると、何れも「とても面倒なもの」だった。叶うならば、どちらも選びたくは無い。「黙秘、時間切れ」という選択肢も有った。


 しかし、デッカ・ティンは若かった。愛も有った。振り向いたり、躊躇ったりしてばかりいることを良しとしなかった。


 デッカは今一度、視線を「隣に座ったリザベル」に向けた。その際、彼は小さく溜息を吐いていた。その行為は、彼の本心を如実に表していた。

 しかし、覚悟は決まっていた。


「『スケベかどうか』と聞かれれば、『そうだ』と言うしかない」


 デッカは全力で認めた。その回答を聞いて、アリアナの眉がピクリと動いた。しかし、それだけだった。それに対してリザベルの反応は激しかった。


 そんなっ!? デッカ様が――おスケベであられせられるなんてっ!!


 リザベルは「吃驚仰天」と言わんばかりに目を開いた。それと同時に勢い良く立ち上がった。その際、彼女の足下に敷き詰められた石畳が「バキリ」と音を立てて割れた。その音は、隣に座るデッカや対面に座るアリアナだけでなく、カフェテラスにいた全ての者の耳にもハッキリ聞こえていた。


 あ、これ死んだわ。俺達も一緒に。


 学生達は世界の終末を想像していた。恐慌状態に陥っていた。しかし、全く動じていない者もいた。

 アリアナの「鉄面皮」は全く揺るがなかった。もう一人、デッカも意外に平静だった。


 まあ、こうなるよな。


 デッカにとって「リザベルの反応」は殆ど予想通りのものだった。だからこそ、「これ以上の言葉を告げること」に躊躇いを覚えて止まなかった。

 しかし、言わねばならなかった。「自分はおスケベ」と認めたからには、言わねばならなかった。

 何故ならば、「それ」こそが「自分はおスケベ」と認めざるを得ない真正の理由だったからだ。


「だけど、俺の場合は『条件付き』になるかな」


 条件付き。その言葉にアリアナが反応した。


「『条件付き』とは――どういうことでしょう?」


 アリアナには皆目見当も付かなかった。その為、素直に質問した。しかし、


「…………」


 デッカは直ぐには答えなかった。

 このとき、デッカは横目でリザベルの様子を確認していた。


 リザベルは再び着席していた。驚くことに、全く平静に茶を嗜んでいた。

 しかし、リザベルの足下、そこの地面は亀裂だらけになっていた。その事実を直感した瞬間、リザベルのカップが粉微塵になった。

 幸いにして、カップの中は「空」だった。しかし、そんなことは誰も気にしなかった。いや、気にする精神的余裕など無かった。


 誰か助けて!!


 居合わせた者達は「神様の救済」を切望していた。しかし、その声はマサクーンの造物主まで届いていなかった。彼は今、全力で耳を塞いでいた。


 学生達を救える者は、この世界、少なくとも「この場」において唯一人。


 救世主にして現況の元凶、デッカ・ティン。

 デッカは「この場」を何とかする為に、涼やかな美声を上げた。


「俺の場合、『特定の女性』にしかスケベな感情を覚えない――かな」


 特定の女性。その言葉に、アリアナとリザベルが反応した。

 アリアナにとって、デッカの言葉は謎に満ちていた。その為、


「特定の女性、ですか?」


 素直に疑念を口にした。その質問に、デッカは即応で「うん」と首肯した。

 アリアナの反応は、まあ、真面だった。人語が通じる可能性は大いに有った。しかし、問題はもう一人の貴族令嬢、リザベルは――


「…………」


 意外にも静かだった。俯いたまま体を震わせていた。しかし、その心中は穏やかではなかった。


 その女性って誰ですの? 誰ですの? 誰ですのおっ!?


 リザベルの心は「激しい嫉妬の灼熱地獄状態」だった。その心底から、世界を焼き尽くすほどの地獄の業火が込み上げていた。それを、リザベルは必死に、ティン力と精神力で抑え込んでいた。


 もし、「地獄の窯」が開いたならば、どうなるか? 恐らく、カフェテラス諸共王都は火の海に沈む。それは、残念ながら「有り得る可能性」だった。


 そんな危機的状況にあるとも知らず、デッカとアリアナは「特定の女性」に関する会話を続けていた。


「『その子』に出会うまで、俺は特に女性にそう言った感情を持ってはいなかった」

「そうなんですの?」

「うん。まあ――」


 デッカは何か言い掛けて、口を噤んだ。その際、チラリと横目でリザベルを見ていた。

 デッカの視界に映った「デカいティンティンを持つ美少女」は――


「…………」


 俯いたまま肩を震わせ続けていた。彼女の全身から「湯気」が吹き上げていた。その様子は、デッカの視界にシッカリ映っていた。

 しかし、デッカは「リザベルの心境」を想像しなかった。彼は「別のこと」に心囚われていた。


 流石に、「これ」を言ったら気付く――だろうな。


 デッカは「特定の女性」の正体に関する「決定的な情報」を告げた。


「当時は『六歳』だったからな」

「六歳まではおスケベではなかった――と?」

「男女の区別も曖昧だったんだ」

「なるほど」


 六歳。その年齢は、デッカだけでなく、リザベルにとっても特別なものだった。その為、デッカの言うところの「特定の女性」の正体は、リザベルには分かった。そのはずだった。

 ところが、デッカの思惑は異次元の方向に外れていた。


 六歳っ!? 何処の何方か存じませんが、そんな幼い頃からデッカ様を誑かしていましたのっ!?


 リザベルの心中で、嫉妬の炎が勢いを増していた。しかし、デッカは全く気付いていなかった。

 そもそも、リザベルの勘違いが「異次元」なのだ。気付けないのも致し方無し、宜なるかな。

 デッカは「リザにはバレているのだから」と開き直っていた。その上で、リザベルの嫉妬の炎に「薪」をくべ続けた。


「けど、その子に出会ってから、ずっとその子のことばかり考えるようになった」


 デッカは素直な想いを口にした。すると、リザベルの全身から吹き上げる湯気の量が増した。その反応を、デッカは有ろうことか「可愛い」と思ってしまった。その為、デッカは(愚かにも)調子に乗った。


「その子が欲しいと思うようになった。だから――」


 デッカが何か言う度に、リザベルの体から吹き上げる湯気が増量した。その様子を横目で見ながら、デッカは無意識に、全力で地獄の窯の蓋をこじ開けた。


「その子が、俺をスケベにした。いや、その子のことを想うと、俺はスケベになる」


 デッカ様っ、私というものが有りながらっ!!


 リザベルが抑え込んでいた地獄の窯の蓋に、大きな亀裂が幾つも奔っていた。


 もう、もう、もおおおおう、限界ですわっ!!


 地獄の窯の蓋へのトドメの一撃。それを放ったのは、そもそもの発端にして元凶の女性、アリアナだった。


「その方は――私が知っているお方なのですか?」

「まあ、うん。と、いうか――この場にいるから」


 デッカはチラリとリザベルを見た。

 このとき、リザベルは顔を上げていた。しかし、彼女はデッカを見ていなかった。


 まさか、まさか、まさか――「アリアナ」様ですのっ!?


 リザベルはアリアナを見た。彼女としては「視線を向けただけ」のつもりだった。

 ところが、そこには隠し切れない嫉妬の想いが乗っかっていた。


 リザベルの強烈な視線を受けて、アリアナは「顔を滅多斬りにされた」と錯覚した。それも、後頭部まで貫通するほどの深手だった。


 滅茶苦茶痛いです。


 流石のアリアナも涙目になった。その涙を見て、リザベルは更に異次元の方向へと勘違いした。


 やはり、アリアナ様なのですのねっ!!


 リザベルの視線が威力を増した。それに伴って、アリアナの目からポロポロ涙が零れた。


 何故、私がこのような目に?


 アリアナには訳が分からなかった。大いに困惑しながら、救いを求めてデッカを見た。

 すると、デッカはコクリと頷いた。その瞬間、アリアナの脳内にデッカの声(念話)が響き渡った。


(『名前』を尋ねてくれ)


 アリアナは即応で声を上げた。


「差し支えなければ、その方のお名前を窺っても?」


 アリアナの問いに、デッカは即応した。

 デッカは「こいつ」と隣の席を指差しながら、その名前を告げた。


「リザベル・ティムル」


 その瞬間、リザベルは両手でテーブルを敲いて立ち上がった。

 その衝撃でテーブルが砕けた。

 その振動で卓上の食器類も、アリアナのパラソルまでもが木っ端微塵に砕け散った。

 まるで手品化魔法のような光景だった。誰もがその摩訶不思議な現象に意識を奪われた。その直後、彼らは「より以上に摩訶不思議な現象」を体験した。

 衆目がリザベルの手元に集中した瞬間、リザベルが怒鳴った。


「『リザベル・ティムル』とは――どなたですのっ!?」


 リザベルの声は、カフェテラスにいた全ての者の耳に入った。その直後、全員の首が一斉に傾いだ。


 リザベル様、「どなたですの」とは異な仰せでは?


 全員、リザベルの質問の意図が分からなかった。しかし、「答え」は分かっていた。分からない方がどうかしていた。


 カフェテラスに居合わせた殆どの者(リザベル以外)が、首を傾げながらリザベルを指差していた。


 このとき、リザベルの視界にはデッカしか映っていなかった。デッカの右手の人差し指は――最初から、リザベルの方に向いていた。


「え? えっと?」


 リザベルは、その鋭利な視線で「デッカの指先が向いている位置」を確認した。すると、自分の顔に辿り着いた。

 その瞬間、リザベルは右手を掲げた。その指先が、デカいティンティン付きの顔を指し示した。


「私……?」


 リザベルの問いに、デッカは静かに頷いた。アリアナも頷いていた。その場に居合わせた全ての人々が、全力で頷いていた。

 その直後、リザベルは口を開けて――


「――――――――――――――――っ!!!!!」


 声にならない絶叫を上げた。その怪音波は、いつまでも王都中に響き渡っていた。




 ティン工学。それは、ティン力による生活の向上を機として設立された科学。それを志す者、興味を持つものは存外に多い。


 次回、「第十七話 このティンどころが目に入らぬか」


 目に入れたら、きっと痛い。

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