参事会委員長室兼、賓客用応接室。
参事会本部の建物の中で、最も白く輝く白金の間に、ファイルケースの山がそびえ立っていた。それを四人の男女が囲んでいる。
西側のソファに若い男女のペアが座っていた。
東側に中年男性のペアが座っていた。
それぞれの前には「山」がそびえ立っている。それが目に入らなないはずはなかった。
しかし、誰も「山」を見ていなかった。彼らの視線の先は、男女のペアの男性、その手に握られた一冊ノートだった。
ノートのタイトルは「各種類別税収まとめ」。男女のペアの男性、デッカがページを捲ると、そこには王都に出回っている商品の名称と、それに掛けられた税金の情報が総括して記載されていた。
「これは――」
デッカの口から小さな声が漏れた。それは無意識に零した独り言だった。誰かに聞かせるもものではなかった。
しかし、他の三人が無言だった為、デッカの独り言は全員の耳にハッキリ聞こえていた。
すると、デッカの対面、斜め前に座った中年男性、トニィが反応して声を上げた。
「どうです?」
トニィの顔には満面の笑みが浮かんでいた。その表情を見ると「自信満々」という印象を覚えた。見る人によっては「傲慢」と思われるかもしれない。
デッカにとっては前者、納得の表情だった。
「これは、本当に有り難いです」
デッカは視線をノートに釘付けにしながら、トニィに向かってペコリと頭を下げた。
各種類別税収まとめには、今年度分の種類別税収総額だけでなく、何と「前年度比」も記載されていた。それらの情報は、デッカの目的、「王都税収率低下の謎の解決」に有用なものだった。
本当に凄い。参事会が担当した王都の税収状況が手に取るように分かる。
デッカにとって望外の便利アイテムだった。その内容を読むほどに、「これで謎が解明できる」と思えた。デッカの顔に笑みが浮かんだ。
ところが、途中からデッカの表情は曇り出した。それに併せてページを捲る速度も下がっていった。終には――ピタリと止まった。
デッカの変調は、他の三人の目にもハッキリ映っていた。
「「「?」」」
リザベルも、オガルタも、トニィも、デッカを不思議そうに見詰めながら、揃って首を傾げた。そのタイミングで、デッカはノートから視線を外して顔を上げた。
デッカ以外の三人は、デッカの顔を見た。そこには「渋柿でも食っている」と錯覚するような渋い表情が浮かんでいた。それもまた、他の三人の視界にバッチリ映っていた。
「「「…………」」」
三人とも、無言でデッカを見詰めた。それと同時に、首を正位置に戻した。その直後、三人揃って、今度は先程と反対側に首を傾けた。その様子は、デッカの視界にもハッキリ映っていた。
デッカの表情が一層曇った。溜息を吐き掛けて、それを堪えた。続け様に――
「うむむ」
「「「…………」」」
デッカは唸った。首を捻りながら何やら考え出した。その様子を、他の三人は黙って見詰めていた。
暫く、数十秒経ったところで、デッカの「へ」の字に曲がった口が開いた。
「申し訳ないのですが」
デッカは、心底申し訳なさげに暗く渋い表情を浮かべた。その表情の意味は何なのか? 皆が考えるより先に、デッカの口から「表情の理由」が飛び出した。
「『失礼な質問』をさせて下さい」
「「!」」
デッカの言葉を聞いて、参事会委員長達は同時に息を飲んだ。
えええ、どういうことなの?
参事会委員長達の顔には「鳩が豆鉄砲を食った」というような表情が浮かんでいた。
このとき、委員長達はデッカの質問の内容を想像していた。その中に「これだ」と確信できるものは無かった。
しかしながら、二人の本能は「嫌な予感」を覚えて止まなかった。
殿下は何を言い出すのだろう?
参事会委員長達としては、叶うならば耳を塞ぎたい。しかし、彼我の立場を鑑みれば、願望を実現する訳にはいかなかった。
デッカの要求に対して、オガルタが声を上げた。
「ど、どうぞ」
オガルタが返事をすると、デッカは「では」と応じてから、本当に失礼極まりない質問をした。
「ここに書かれている内容は、『事実』――ですよね?」
「「!?」」
事実。その言葉を聞いて、参事会委員長達の顔色が目まぐるしく変わった。
青くなったり、赤くなったり、黒くなったり、土気色になったり――と、様々な変遷を経て、最終的には元の色に落ち着いた。しかし、頭の中は絶賛大混乱中だった。
ええええええ、どういうことなの?
委員長達には「デッカの意図」が分からなかった。しかし、デッカの質問に対する答えだけは明確だった。
二人は同時に首を縦に振った。その際、トニィが声を上げていた。
「事実ですけど」
トニィの声音には、隠し切れない苛立ちの感情が滲み出ていた。自分の仕事を疑われたのだから致し方なし。宣なるかな。その想いが、言葉となって溢れ出した。
「何でしたら、昨年の分とか、一昨年、いえ、有るだけお持ちしますけど」
参事会本部には「ノートの記載内容を保証する資料」が幾つも有った。
そもそも、目の前に積み上げられた「山」の中身を確認すれば済むことなのだ。それが分かっているからこそ、参事会委員達は困惑した。怒りもしたし、嘆きもした。
しかし、デッカにも理由が有った。「それ」に拘るが故に、デッカは敢えて相手の気持ちを無視して、念入りに「言質」を取りに出た。
「王都の――少なくとも、参事会で扱っている『税収は増えている』と、いうことで良いのですよね?」
税収は増えている。その事実は、「各種類別税収まとめ」を見れば明らかだった。それを保証するように、参事会委員長達は首肯した。
「「そうです」」
委員長達にとって、「それ」は紛れも無い事実だった。彼らにしてみれば「今更確認されるまでもないこと」だった。
ところが、その「当たり前」の内容に、リザベルが噛み付いた。
「そんな!? まさか、ですわ」
「「!?」」
リザベルは驚いていた。その反応を見て、参事会委員長達も驚いた。彼らにとっての「当たり前」が否定されたのだから、驚くのも致し方無し、宜なるかな。二人の顔色が、再び目まぐるしく変わり出した。
参事会委員長達が「車道の信号」だったなら、きっと大惨事になっている。尤も、今は彼らの頭の中の方が大惨事になっていた。
誰かが収拾しなければ、被害が拡大する。しかし、この場に交通規制の専門家はおらず、代わりに破壊神がいた。
「どういうことですの?」
リザベルは身を乗り出して、対面のソファに座る二人に詰め寄った。その行為によって、リザベルの巨大なティンティンが突き出された。
オガルタとトニィの視界に「真っ赤に燃える(幻覚)ティンティンの切っ先」が映り込んでいた。
このまま焼き殺されるのでは?
二人の背筋が凍った。何とかしたかった。この窮地を脱したかった。しかし、
「どういうことと」
「申されましても」
二人とも、既に真面な回答(税収の増加の事実)を伝えていた。それ以外の解答など、有るはずもなかった。だからこそ困惑した。
この場にいる殆どの者が困惑していた。唯一冷静だった者は、皆を混乱に陥れた「元凶」、デッカだけだった。
「リザ」
「!」
デッカは右手を上げてリザベルを制した。
その際、デッカの視線は正面、参事会委員長達の方を向いていた。
「デッカ様っ!?」
リザベルは、目を大きく開いてデッカの横顔を見た。
デッカの頬に「痛い」では済まない鋭利な視線が突き刺さった。そのせいで、デッカは少し涙目になった。
しかし、デッカ・ティンの名前は伊達ではない。彼は立派な男の子だった。悲鳴を上げたい気持ちを堪えながら、参事会委員長達に向かって声を上げた。
「俺――私の質問の意図をお教えしたい気持ちは有ります。ですが――」
デッカは、目の前にいる二人、参事会委員長達が好きになっていた。心中には「彼らならば信用できる」という想いも有った。心底の奥深くには「全てを打ち明けたい」という気持ちが燻っていた。そうすることで、「より早く王都税収率低下の謎が解明できる」という予感も有った。しかし、それでも、デッカは――
「私の口からハッキリ伝えることはできません」
全力で黙秘権を行使した。好きだからこそ、そうせざるを得なかった。
もしかしたら、王城内での不祥事なのかもしれない。それを伝えたら、二人に類が及ぶのは確実。
デッカは、対面に座るオガルタとトニィを交互に見詰めた。二人の顔には一様に「鳩が豆鉄砲喰った」というような表情が浮かんでいた。それは吹き出したくなるほどの間抜け面だった。しかし、それを見詰めるデッカの顔に笑顔は無かった。
「…………」
デッカは口を堅く閉じた。その行為は、デッカの良心、或いは「甘さ」の表れだった。
しかし、デッカは「甘いだけ」ではなかった。彼の心中には「苦さ」も有った。
デッカは、唐突にノート(各種類別まとめ)を左手に持って、それを全員に見えるよう掲げた。
すると、全員の視線がノートに集まった。その直後、デッカは右手を掲げて、人差し指でノートの表紙に書かれた「税収」の文字を指した。
デッカを除く三人の視線が「税収」の文字に集中した。その直後、デッカの人差し指が文字を離れて、空中に「城」を描き出した。その形は、王都に住む者には既視感を覚えるものだった。
デッカは「ティン王国の王城」を描いていた。それが完成した後、再びノートの「税収」の文字を指した。そこに視線が集まったところで、今度は空中に「曲線」を描き出した。
デッカの曲線は上昇し続けていた。ところが、途中で下降し始めた。
デッカは「謎の山」を描いていた。その山は、「王都税収率の低下」を表していた。少なくともデッカはそのつもりだった。ところが、それを見ていた他の三人は、
「「「?」」」
それぞれ不思議そうな顔をして、一様に首を傾げていた。その様子は、デッカの目にシッカリ映り込んでいた。
伝わらなかった。
デッカの眉が「八」の字に歪んだ。その表情は、とても残念そうに見えた。他の三人の目にも、そのように映っていた。
デッカの期待を裏切る。それはリザベルには許されざる大罪だった。
何とかしなくちゃ、ですわ。
リザベルはデッカに声を掛けようと口を開いた。そこまでに要した時間は、「刹那」と言えるほど速かった。
ところが、もっと速く動いた者がいた。
「殿下」
まさかの最年長、オガルタ・ケインツ。王都参事会委員長にして二児(十二歳の男子、十歳の女子)の父。
オガルタは、デッカに声を掛けた後、続け様に「デッカの期待通り」といえる回答を告げた。
「その、殿下が仰ること(ジェスチャー)の意味は、何となく分かるのです。ですが――」
オガルタは、話の途中で口を噤んだ。彼は、そのまま上を向いた。続け様に下を向いた。最後に顔を横に捻って、隣に座ったトニィを見た。
すると、オガルタの視線に応えるように、トニィもオガルタの方を向いた。
「「…………」」
二人は暫く見詰め合った後、同時に頷き合った。
二人の間に、どのような内容の意思疎通が有ったのか? その答えが、トニィの口から飛び出した。
「意味が分かるからこそ、分からないのです」
まるで「禅問答」。全く正解が見えない回答だった。それを聞いたリザベルは首を傾げた。
しかし、デッカは大きく頷いていた。
それは、そうだろうな。
デッカは参事会委員長達の想いに共感していた。
参事会の記録によると、王都の税収状況は好調、税収率は「上がって」いた。しかし、デッカが見た王城の記録では「下がって」いる。
何故なのか? その謎を解き明かす方法は、デッカには一つしか閃かなかった。
これはもう、「王城の担当者」から事情を聴くしかない。
王城における税収の担当者。それが誰かと想像すると、「初代オーティン王の代から仕え続ける古貴族達」が閃いた。
古貴族の王族に対する忠誠心は高い。それに併せてプライドも高い。彼らに疑念の目を向けるだけで、きっと、とてつもなく面倒なことになる。要らざる犠牲が出る可能性も否定できなかった。
そんなことになるくらいなら、聞かない方が良いのでは?
最悪の展開を想像するだけで、デッカの脳ミソは漬物石のように重くなった。
しかし、デッカの想像は、或る意味杞憂だった。いや、「的を外した」と言うべきか。その事実を教えてくれたのは、参事会財務委員長トニィ・タニティだった。
「あの、その、この状況では言い難いことですが――」
トニィは心底申し訳なさげな表情を浮かべながら、デッカにとっては「寝耳に水」というべき意外な真実を打ち明けた。
「実は、我々が提出した税収に関する資料の内容は、殿下の父君、『ムケイ陛下もご覧になっておられる』はずなのです」
「「えっ!?」」
トニィの言葉を聞いた瞬間、デッカとリザベルの顔に「鳩が豆鉄砲を食った」というような、驚きの表情が浮かんだ。そのような間抜け面は、王族に有るまじき、或いは辺境伯令嬢に有るまじきものだ。
しかし、そのような顔になってしまうのも致し方無し、宜なるかな。
まさか、父上が?
デッカの脳内に、初めて「父王疑惑」が浮上した。
しかし、「それ」を認めることも、受け入れることも、デッカには難しかった。それは、他の三人にとっても同様だった。
国家元首による不正行為。その可能性を考えるだけで、三人の脳ミソは鏡石並みに重くなった。それに併せて、部屋の空気も重みを増した。
「「「「…………」」」」
全員、無言で俯いていた。誰もが「何とかしたい」と思っていた。しかし、どうすれば良いのか分からなかった。
デッカのティン力も、今回ばかりは何の役に立たない。王子という立場も、いや、王子だからこそ、父王を糾弾することは難しい。王子が反逆者となれば、国を二分する羽目になる。
だからこそ、デッカは動けなかった。リザベルも、彼女の家を窮地に追い込む愚行は避けたかった。オガルタ達一般王都民の場合、王城に引き立てられて「処される」可能性は否定できなかった。
誰も、何もできない。そう思った。そう思われた。しかし、ティン族、いや、人間には奇跡を起こす力が有った。その事実を、この場にいる人物が証明した。
誰もが憂うつな空気に喘いでいる中、場違いなまでに朗らかな声が上がった。
「ちょおっと良いですか?」
「「「!」」」
デッカが面を上げて、斜め前方を見た。
リザベルも面を上げて、正面を向いた。
オガルタも面を上げて、真横を向いた。
三人の視線の先には、トニィ・タニティの「はにかみの笑み」が映っていた。
果たして、謎は謎のままで終わるのか? それとも、トニィの閃きが突破口を開くのか?
次回、「第十五話 より多くの人が幸せになるとすれば」
王の務め、人の道義、古貴族達への義理、王都民に対する人情、或いは――正義。与えられた選択肢の中で、デッカは何を選ぶのか?