王都オーティン。中心に白亜の王城を頂くティン王国最古にして最大の都市。
王城の荘厳さは言うに及ばず、城下町もまた、王城に比すほど荘厳にして美麗だった。その為、他の領土の人々からは「白い美術品」と呼ばれている。
王都城下町の地面は、王城の敷地と同じくピタラ石製の白い石畳が広がっていた。どこぞの大学と違い、市民達が毎年補修、掃除、点検を行っている。その為、「表通り」は白さを保ち続けていた。
その白い石畳の上に、白い家屋群が整然と立ち並んでいた。
王都城下町の建物は、殆どが白い石(ピタラ石)と白い木材(モリッコロ原産の針葉樹、『ゲッパク』)を組み合わせたハーフティンバー式。それら白い二階建て、或いは三階建ての建物が、背中合わせの二列縦隊で街路沿いに軒を連ねていた。
建物群に挟まれた街路は、その殆どが同じ幅になっていた。それもまた、城下町の美観を高める要因だった。
しかし、唯一本、他より遥かに太く、大きな街路が有った。
内壁の城門と、外壁の城門を貫く大道、王都メインストリート。通称「オーティン通り」。
王都を人間の体と例えるならば、オーティン通りは「大動脈(或いは大静脈)」になるだろう。
毎日市民(都民)達が集まり、商売、食事、談笑、散歩――と、様々な活動が行われる「王都で最も活気の有る場所」だった。その賑わい、盛況振りは、遠目からでもハッキリ確認することができた。
ティン王国第一王子、デッカ・ティンは「内壁城門前」にいた。そこから正面に伸びる大道、オーティン通りの様子を眺めていた。
ああ、王都の城下町は、こんなにも素敵な場所だったのか。
大河の如き大道が人々の活気で溢れている。その様子を見るほどに、デッカの胸にポカポカと春の陽射しのような暖かな気持ちが広がっていた。そんな彼の姿を、首を傾げながら見詰める者が四人ほどいた。
城門前を守る衛兵達だ。
「何だ、あれ?」
「変な格好だな」
「痛い奴だ」
「目を合わせるな。かかわるな」
衛兵達は、デッカのことを悪し様に言い合っていた。不敬罪に問われかねない無礼だった。
しかし、デッカを含めて、現況で衛兵達を咎める者はいなかった。そもそも、彼らが見詰めている男性(デッカ)は、王子様には見えなかった。
デッカは「市井の衣装」を身にまとっていた。その姿を見れば、「首から下」は市井の民そのものだった。その事実は、「市井の民を装う」というデッカの目論見通りだった。
しかし、残念ながら「首から上」は装い切れなかった。違和感の塊だった。
デッカの頭には「奇異な帽子」が乗っかっていた。
その帽子は、他に類を見ないほど鍔が広かった。その上、帽子の前部から「謎の円錐形突起物」、それも「大人の腕ほども有る」と思しき長大な異物が飛び出していた。それは、実はティン王国に於いては「既知のもの」だった。
その正体は、本当の意味での「角隠し」。「ティンケース」と呼ばれる、「ティンを嵌める部位」だった。
尤も、ティンケースが必要になる者がいるとすれば、それは「大人の手」ほどの長大なティンを持つ者、王族か、或いは上級貴族くらいだろう。
しかしながら、そこはティンの大きさに拘るティン族。伊達や酔狂、見栄を張る為に、帽子に「大きなティンケース」という無用な超物を取り付けていた。
デッカも「その内の一人」として、衛兵達に「絶賛見做され中」だった。
酷い言われようだな。でも――我慢だ。
デッカにとっては不本意極まりない。しかし、今の彼には無用の恥をかく必要が有った。
今日の「秘密調査」で、何かしらの手掛かりを得たい。
秘密であるが故に、正体を明かす訳にはいかなかった。その為に、恥を忍んでこの場に立っている。
しかしながら、奇異な視線を浴び続けることは、デッカと言えでも苦痛を覚えた。正直、さっさと移動したかった。
しかし、今は未だできなかった。何故ならば――
「お待たせいたしました」
デッカの耳に「聞き覚えの有る美声」が飛び込んだ。その瞬間、デッカの口から「ほっ」と安堵の息が漏れた。
やっと、来たか。
待ち人来たり。デッカとしては、待たされたこと自体に不満は覚えなかった。しかし、衛兵達の奇異な視線に晒されたことには、少なからず不満を覚えていた。
デッカの心底に、ヘドロ状のストレスが溜まっていた。それをぶちまけたい衝動に駆られていた。
しかし、デッカはにこやかに微笑んだ。彼は我慢ができる子だった。スパダリでもあった。デッカの待ち人を攻める気は毛頭無かった。
デッカは心底で燻る不満を堪え、顔に爽やかな笑みを浮かべながら、待ち人に向かって声を掛けた。
「いや、それほど待ってはいない」
デッカ渾身の気遣い。デッカとしては会心の出来だった。自画自賛したいくらいだった。その効果の程を確かめることに、何の躊躇いも無かった。
デッカは直ぐ様「待ち人」を見た。その際、後の衛兵達も「彼女」を見た。その瞬間――
「!」
「「「「!」」」」
デッカは息を飲んで固まった。デッカの後ろにいた衛兵達も、息を飲んで固まっていた。
デッカの視界には「簡素なワンピース姿の少女」が映っていた。その格好は、間違いなく市井のものだった。それも、「十代前半の少女」用だった。
デッカの待ち人の年齢は十五。少しだけ無理が有った。しかし、それ以上に無理が――いや、「無茶」というべきものが「首から上」に有った。
少女は「奇異な帽子」を被っていた。
帽子の鍔が有り得ないほど大きかった。その前部には「女性の腕」ほども有る円錐形の突起物が「二本」突き出していた。
少女の帽子のあらゆる要素が、デッカのものと酷似していた。
デッカの視線は元より、城門を守る衛兵達の視線までもが「少女」に釘付けだった。
彼らの視線は、「少女」に察知されていた。
少女は、先ず、デッカを見た。続け様に衛兵達の方を見た。すると、不思議なことが起こった。
少女を見ていた衛兵達が、全員、唐突に顔を抑えて蹲った。
何故、そのような反応をしたのか? 後で確認したところ、「何故か分からないが、顔を斬り刻まれたように錯覚した」とのこと。
鍔越しであっても、視線の鋭さは健在だった。そんな凶器を持つ者は、ティン王国には一人しかいなかった。
リザベル・ティムル。彼女はデッカに同行する為に、デッカと同じく市井の民を装っていた。
簡素、有体に言えば「みすぼらしい」姿だった。普段の豪奢なドレスや、大学の制服とは比べるべくもない。それらを見慣れたデッカには、物足りなさを覚えさせる――はずだった。
ところが、「今」のリザベルの姿を見たデッカの反応は、全く意外なものだった。
「ううっ」
デッカは、突然胸を抑えて蹲った。その反応は、リザベルにとっては全く予想外だった。
「デッカ様っ!?」
リザベルは慌ててデッカに駆け寄った。すると、蹲っていたデッカの右手がリザベルの方に突き出された。その行為もまた、リザベルには全く予想外のものだった。
「!?」
リザベルは息を飲んだ。その瞬間、デッカの右手がリザベルの左手を掴んだ。
デッカの握り方は優しかった。しかし、その掌には「絶対に離さない」という強い意志が込められていた。
デッカは、蹲ったまま右膝だけ地面に着いた。それと同時に左脚を立てていた。続け様にリザベルの左手を恭しく掲げながら、リザベルの顔を真っ直ぐ見詰めた。
デッカの一連の行為は、リザベルの想像を超えるものだった。
一体、デッカ様は何をしておられるの?
訳が分からなかった。リザベルは混乱した。しかし、実はデッカの方も混乱していた。
市井の衣装をまとったリザベルを見た瞬間、デッカの体に百万アンペアの電流が流れた。その際、特に心臓が大打撃を受けた。「それ」が、デッカが蹲った理由だった。
常人なら即死の衝撃。デッカでなければ即死していた。しかし、「全く無事」という訳ではなかった。
デッカの心臓は「トキメキ」という名の強力無比の激情にぶち抜かれていた。
何て――可憐なんだ。
可憐。しかし、帽子は兎も角として、リザベルが身に着けているワンピースは、市井のそれと全く同じもの。
華美ではなかった。むしろ、お粗末だった。美点が有るとしたら「機能美」くらいだか。それとて「取って付けたような評価」と言わざるを得ない。
しかし、デッカのハートは射抜かれた。射抜かれてしまった。その事実を直感した瞬間、デッカの心底からマグマのような情動が沸々と湧き上がった。
デッカは抗えなかった。その結果、リザベルの左手を掴みながら、片膝を地面に着いていた。
デッカはリザベルを見た。リザベルも、驚いた顔をしてデッカを見ていた。
「あ、あの、デッカ様?」
リザベルは不安げな声を上げた。それはデッカの耳にも届いていた。しかし、
「…………」
デッカは無視した。
今のデッカの頭の中は、実は真っ白だった。
デッカは、抗い難い情動に駆られるまま、その端正な口を開いた。その直後、口の奥から、「できれば一生の内に一回だけに止めたい」と望んで止まない爆弾発言が飛び出した。
「俺と結婚して下さい」
プロポーズ。如何なる朴念仁でも勘違いしようのない、簡素にして素直な言葉だった。当然、リザベルにも理解できた。だからこそ、
「え? えっと――」
困惑した。リザベルの脳内は「?」の文字が溢れていた。
私(わたくし)、既にデッカ様の婚約者なのですけれど?
リザベルとしては「何を今更」と言いたいところだ。その類の言葉が、彼女の喉下まで込み上げていた。
しかし、そこは史上最大のティンティンを持つ辺境伯令嬢。どこぞの王子と違って、軽々に情動に流されたり、礼を失したり、無為に相手に恥をかかせたりすることは「良し」とはしなかった。
「よ、喜んで?」
リザベルはデッカのプロポーズを受けた。しかしながら、困惑していた為か、惜しくも疑問形になってしまった。
ハッキリ断言できなかった。その事実はリザベルにとっては痛恨の極みだった。しかし、デッカにとっては僥倖だった。
リザベルの気遣いと困惑は、デッカの心に少なからず衝撃を与えた。それは、彼の正気を呼び覚ませる切っ掛けとなっていた。
「あ――すまない」
デッカは、今更ながら自分の失態を直感した。それと同時に、リザベルの左手を取ったまま素早く立ち上がった。その上で、再びリザベルの方を見た。
すると、デッカの視界に「長大なティンケース付きの帽子」が映った。
二人の身長には差が有った。デッカの方が高かった。その為、リザベルを頭上から見下ろす羽目になった。帽子に隠れてリザベルの表情は見えなかった。その事実は、デッカに不安を覚えさせた。だからと言って、押し黙っている訳にはいかなかった。
「何と言うか、その――」
デッカは「先の行為」の言い訳を開始した。
しかしながら、相手は「あのリザベル」。「嘘を吐くこと」は、色んな意味で躊躇われた。
その為、デッカは正直に「リザベルの姿を見た瞬間に覚えた感情」を吐露した。
「えっと、見惚れた」
「え?」
「普段のドレスも素敵と、思う」
「…………」
「だけど、その、えっと――『飾り気のない』って言えば良いのかな? そちらの方が、もっと、ずっと――君の美しさ、可憐さが際立つのかな」
「!」
「何と言うか、その、惚れ直してしまった」
「!!!」
嘘偽りの無い素直な賞賛だった。デッカに褒められて、リザベルの心中が穏やかなはずは無かった。
ああ、デッカ様、デッカ様にお褒め頂いた。お褒め頂けましたわっ!!
デッカの言葉を聞いた瞬間、リザベルの全身に百万アンペアの電流が流れた。
致死量の衝撃。リザベルでなければ即死していた。しかし、「全く無事」という訳ではなかった。
脳がやられていた。駄目になっていた。
「ああ……あああ……」
リザベルの体がグラリと大きく傾いだ。
リザベルの脳細胞が、全てコンガリ焼けていた。その衝撃で魂が天に召された。いや、実際は辛うじて繋がっていた。「召された」とに錯覚するほどの「強い歓喜」の感情が、リザベルの全身を突き抜けていた。
ああ、このままデッカ様に抱き付きたい。抱き付いてしまいたい。
リザベルの鋭利な視界に、デッカの「細身ながらも筋肉質で、意外に厚い胸」が映っていた。そこに飛び込みたかった。飛び込んでしまいたかった。しかし、
「ごほん」
リザベルは咳払いをした。その態とらしい行為によって、己の内に生じた衝動に全力で制動を掛けた。
何故、リザベルは自分の本能に従わなかったのか? それは「現在地が屋外」で、「人目が有った」からだ。その事実が、彼女の「ツン」という性質を激しく刺激していた。
人間万事塞翁が馬。平時には面倒臭い性質のお陰で、リザベルは恥をかかずに済んだのだ。
しかしながら、リザベルはツンデレだった。「ツン」も有れば「デレ」も有った。それが、彼女の口から漏れ出した。
「まあ、その、デッカ様が気に召したのでしたら、これからも身に着けて差し上げても宜しいことですわよ」
面倒な言い回しであった。しかし、デッカには伝わった。
リザベルの言葉を聞いたデッカの顔が「ぱっ」と擬音が聞こえるくらい明るく輝いた。
「是非」
「宜しくて、ですわ」
デッカは「リザベルが垂らした餌」に全力で食い付いた。その様子を目の当たりにしたリザベルの口が、不自然な「W」の字に歪んだ。
ああ、またデッカ様に褒められたいですわっ!!
かくして、リザベルは「デッカへの特効攻撃」を手に入れた。その事実を想うほどに、リザベルの心が高鳴った。その衝動に駆られるまま、剥き出しの左手を伸ばして、デッカの右手を掴んだ。
「さあ、『デート』をしますわよ」
「え?」
「行きますわよ」
「ちょっと――」
リザベルはデッカを引っ張って、賑やかな王都メインストリートに向かって駆け出した。
城下町に繰り出したデッカとリザベル。そこは、二人にとって「初体験の宝庫」だった。新鮮な感動に夢中になる二人。その最中、デッカの心中に不安が過る。
次回、「第九話 ここに何をしに来たのだったか?」
デッカ、浮かれる余り目的を忘れたか。