ティン王国王城内にいるデッカ・ティンが、彼の許嫁リザベル・ティムルへの対応に頭を抱えていた頃、当のリザベルはと言うと、とある場所の豪華な「個室」に置かれたベッドに俯せで横たわって――
「ああああああああああああっ、デッカ様っ」
枕に顔を埋めながら叫んでいた。その声がデッカの耳に届くことは無かった。しかし、二人の距離は存外に近かった。
リザベル・ティムル。彼女は、「辺境の雄」の異名を持つアズル・ティムル辺境伯の娘、二人姉妹の長女である。
リザベルの生家、アズル領は王国領西南端、モリッコロの際、隣国との国境沿いに位置していた。
デッカがいる王都までの距離は、他の領土と比べるべくもなく遠い。最長だ。
リザベルが「王都に行きましょう」と思い立ったとしても、軽々に行き来できる距離ではない。早馬を走らせて十日、天候によっては二週間ほど掛かった。彼我の生家は余りに遠い。
しかし、今やそれも過去の話。リザベルがその気になれば、デッカにかかわる情報は、「その日の内」に彼女の耳に入れることができた。
何故ならば、リザベルは今、王都に住んでいるからだ。
今春、リザベルは王領の教育機関、「王立オーティン大学」に入学した。そこに通う為、彼女は「大学女子学生寮」に住んだ。
女子寮は、嘗ての辺境伯屋敷と比肩するほど大きかった。ティンティンの色に因んで、赤褐色のレンガと、モリッコロに群生する「リョウタロ」という赤みを帯びた杉を使った、赤いハーフティンバー式の巨建造物だ。
尤も、学生が占有できる場所は、建物内の一室に過ぎない。「その点」に関しては、辺境伯令嬢と言えども例外ではなかった。
今のリザベルは「オーティン大学一年生」であった。大学に入る年齢となると、地球に於いては「十八歳以上」と言うのが一般的だろう。
しかし、惑星マサクーンに於いては「満十六歳から」というのが一般的だった。
リザベル・ティムルは未だ十五歳。同い年のデッカも、実はまだ十五歳だった。
十五歳。「子ども」と言っていい年齢だ。しかし、二人とも、他人から「年齢通り」に見られた試しは殆ど無かった。
二人は、やんごとない立場にいる人間だ。その為、人前では「傲慢」に思えるほど堂々と振舞う必要が有った。その為、二人とも二十代くらいに見られがちだった。
それでも、二人は未だ十五歳。落ち着き払っているように見えても、脳内に住む「やんちゃな餓鬼大将」に手古摺ることも、結構有った。
そもそも、リザベルにとって「オーティン大学入学」と言う大事は、一日千秋の想いで待った悲願だった。それが叶ったのだから、「脳内餓鬼大将」が騒がないはずもない。躍りたくもなった。歌いたくもなった。何より、今直ぐにでもデッカに会いに行きたかった。毎日、毎時間、毎分、毎秒会いたかった。
しかし、しかし、だがしかし、リザベルは耐えた。我慢した。
リザベルには「辺境伯令嬢」と言う立場があった。それに加えて、彼女には「史上最大のティンティン」というティン族最強の優位性あった。軽々に脳内餓鬼大将に従うほど、彼女の心は弱くなかった。
リザベルがオーティン大学に入って以降、自分からデッカの許に行くことを控えていた。その「我慢」を継続する胆力が、彼女には有った。
しかし、耐えれば耐えるほど、「デッカに会いたい」という想いは増すばかり。それに耐え切れなくなったとき、リザベルは女子寮の私室のベッドの上で叫んだ。
「あああああああああああっ、デッカ様、あああああああああああっ、デッカ様っ」
本年度のオーティン大学入学式以降、リザベルの個室から「怪しい絶叫」が上がるようになった。他の者が「それ」を聞いたなら、直ぐ様女子寮近くに駐屯している衛兵を呼びに行くだろう。
尤も、例え衛兵が駆け付けたとしても、彼らには何もできない。「声の主」を知った瞬間、踵を返して走り去るのが関の山だ。
しかしながら、ここで奇跡が起こっていた。これまで女子寮で「職務放棄」をした衛兵はいなかった。「怪しい絶叫」を聞いた者も、殆どいなかった。
その事実は、リザベルにとっても、周囲の者にとっても、とても有り難い「奇跡」と言える。しかし、それには相応の理由が有った。
リザベルが使用している個室は一人部屋。しかも、女子寮最奥に位置していた。その上、最高の「防音機能」を備えていた。「これらの点」に関しては、全くの特別扱いと言える。
このような厚遇を得た理由は、大きく二点有った。
リザベルが「デッカの許嫁」であること。彼女が「史上最大のティンティン」を持っているということ。
実のところ、「二人の子ども」に関心を持つ者は、ティン族の中では存外に多い。その中に、オーティン大学の学長がいた。デッカの父、現国王ムケイ・ティンもいた。
「二人の子どもは、きっと凄いデカいティン(或いはティンティン)が生えるに違いない」
二人の周囲にいる人々は、全力で二人の仲を支援していた。彼らがリザベルに施した「特別扱い」という厚意が、目的から外れた功を奏していた。それが、「奇跡」を起こした主因だった。
しかしながら、リザベルも厚遇に甘んじてはいなかった。自ら努力していた。
リザベルは、デッカの名前を叫ぶ際、ベッドに俯せで横たわって、枕に顔を埋めていた。
これで、絶対声が外に漏れませんわ。
リザベル本人は自信満々だった。実際、これまで人に咎められたことは無かった。だからと言って、
「会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい、お会いしたいですわっ!!」
叫び続けていれば、何れ誰かの耳に入る。その「何れ」という機会が、たった今訪れた。
「リザベル様」
「!?」
リザベルの耳に、女性のものと思しき高音の声が飛び込んできた。その瞬間、リザベルは息を飲んだ。それと同時に声を上げるのを止めた。
静まり返ったリザベルの個室に、リザベルとは別の女性の声が響き渡った。
「少々宜しいでしょうか?」
涼やかな美声だった。声量は抑えられていたが、一字一句ハッキリ聞き取ることができた。その発信源も直ぐ様特定できた。
部屋の外に誰かいますわ。
リザベルは警戒して返事をしなかった。すると、再びドア向こうから声が上がった。
「お伝えしたいことが有ります。お時間を頂いても宜しいかしら?」
耳に優しい、清水の如く染みわたる美声だった。しかし、口調の方は冷淡で、聞く者に「機械仕掛け」というような無機質な印象を覚えさせた。
聞いているだけで、怒られているような気がしますわ。
このとき、リザベルの脳内には「居留守」という回避手段が閃いていた。「今」ならば、未だ通用する可能性は高かった。
しかし、誇り高い辺境伯令嬢は、来客に対する無礼を良しとはしなかった。
「少々お待ちくださいませ」
リザベルは「謎の来訪者」に向かって声を掛けた。それと同時に、超速でベッドから起き上がった。
先ずは、身嗜みを整えないと、ですわ。
リザベルは室内の隅に置いた「姿見」に移動して、そこに掛けられたカバーを外した。
すると、等身大の鑑の中に「絶世の美少女」が現れた。
長い髪、光る姿。正しく令嬢の中の令嬢。彼女を見た者は、見惚れながら感嘆の溜息を吐いただろう。
しかし、実際は違う。リザベルと出会った者は、彼女の顔や体を見ない。その殆どが、リザベルの蟀谷から生えた「ティンティン」を見た。凝視した。
リザベルのティンティンは、とてもデカかった。それこそ「女性の腕が生えているのか」と錯覚するほどに。
ティンの大きさに拘るティン族ならば、リザベルのティンティンに視線と心を奪われる。そこに是非など有ろうはずがない。
しかし、リザベルを見ることはできても、彼女を正面から見詰め返せる者は存外に少なかった。
リザベルが相手の視線に気付いて、そちらを見た瞬間、殆どの者が目を逸らした。
何故なのか? その理由はリザベルの「目」に有った。
リザベルの目、瞳自体は「星」や「宝石」に例えられるほどと美しい。しかし、彼女に視線を向けられた者にとって、その輝きは「刃物の照り返し」だった。
リザベルはとんでもなく「目付き」が悪かった。とんでもなく鋭かった。「鋭利な刃物」そのものだった。
実際、リザベルに睨まれると、殆どの者は「顔が切り刻まれている」と錯覚した。その感覚に耐えられる胆力を持つ者は、ティン族、いや、マサクーンの中では希少だった。
リザベルの視線は化け物じみている。しかし、このような事態に至った原因、理由は、人間らしい感情、「恋心」だった。
意中の人(デッカ)のことを考えたり、意識したりする度、リザベルの顔はだらしなく緩み、輪郭を無くすほど蕩けた。それは、とても幸せなことではあった。
しかし、そこは辺境伯令嬢。その立場上、他者に「だらしない顔」を見せる訳にはいかなかった。
根性、で、ございますわっ。
リザベルは必死に自分を律した。緩む顔を引き締めようと、歯を食い縛ったり、虚空を睨み付けたり、様々な努力を重ねた。
結果、リザベルは「人を切り裂くほどの鋭い目付き」を習得した。リザベル本人は元より、彼女の周りにいる者にとっても「不幸」以外の何ものでもなかった。
殆どの者が、リザベルと目を合わせられなくなった。その事実が、周囲の者を彼女から遠ざけた。
リザベルは、どこに行っても孤立した。しかし、孤独ではなかった。
リザベルには両親がいた。妹がいた。そして、彼女の視線を浴びても物怖じしない「例外」がいた。それも、同年代に「二人」いた。
例外の一人は、言わずもがなのデッカ・ティン。
もう一人は――実は、部屋の外にいる「機械仕掛けの声の持ち主」だった。
いけません、「あのお方」を待たせる訳にはいきませんわ。
リザベルは超速で部屋着からオーティン大学生の制服に着替えた。続け様に髪を超速で梳かし、超速で身嗜みを整えた。それが八十点くらいの出来栄えまで仕上がったところで、部屋の出入り口まで跳躍した。
見事に着地。十点満点(ですわ)。リザベルは、心中で密かにガッツ石松ポーズを決めた。その上で、
「お待たせしました」
丁寧な所作でドアを開けた。
すると、リザベルの目の前にオーティン大学の制服に身を包んだ女性が現れた。
こちらも絶世の美少女だった。リザベルと相対しても、全く遜色が無いほどに。
尤も、ティンの大きさはリザベルに遠く及ばない。それでも「大人の手」と形容できるほどの大きさが有った。
ティン王国に於いて「人間の手ほどデカいティン」を持つ者は、王族、或いは上級貴族以外にいなかった。
史上最大のティンティンを持つ美少女と、上級貴族並みのティンティンを持つ美少女。滅多にお目に掛れるシチュエーションではなかった。初見の者は、二人のティンティンに感動して、咽び泣いていたかもしれない。
しかし、法悦に浸れる時間は、ほんの一瞬だ。直ぐに目を逸らす羽目になる。
何故ならば、リザベルのみならず、彼女の前に立つ上級貴族令嬢もまた、尋常ならざる雰囲気をまとっていたからだ。
「ごきげんよう、リザベル様」
「ごきげんよう、『アリアナ』様」
リザベルの来客の名は、「アリアナ・ティルト」という。そのティンティンが示す通り、ティン王国南方領の領主、「シムズ・ティルト侯爵」の長女(弟と妹が一人ずつ)だった。
容姿、出自、そして、ティンティン。どれをとっても一流、周りから一目置かれる存在だった。
しかしながら、アリアナの特異性(優位性)は「与えられたもの」ばかりではなかった。
アリアナは賢く、努力家だった。本年度の「オーティン大学年度代表学生」に選ばれていた。その優秀さ故、周囲の者から「大学創立以来の才女」と評価されている。
優秀。そして、性格も「くそ」が付くほど大真面目。
アリアナが入学して早々、大学側から女子寮内に於ける「新入生区画の区画長」に任命された。それを、アリアナは二つ返事で了承した。
アリアナは「誰もが憧れる優等生」だった。リザベルもまた、彼女に憧憬の念を覚えていた。しかし、覚えた感情は「それ」だけではなかった。
リザベルはアリアナにデッカと家族以外に抱かない(『抱けない』と言うべきか)感情、「親近感」を覚えていた。
リザベルにとって、アリアナは同じ年に入学した同級生。しかも、それぞれ上級貴族の令嬢にして長女。互いに「似た境遇」なのだ。
尤も、現在の身分ではアリアナの方が「格上」だった。その為、リザベルはアリアナに礼を尽くしている。アリアナの方も、リザベルには「様」と敬称付きで呼ぶくらいには気を遣っていた。
尤も、アリアナの場合、「相手によって態度を変える」ということは殆ど無かった。今も――
「…………」
アリアナは、能面のような無表情のまま、無関心と思える感情の無い視線でリザベルを見ていた。
アリアナを知る者は、彼女のことを「人形」と評価する。その顔に感情が現れたことは、殆ど無かった。
しかも、面の皮が分厚い。「鉄面皮」ならぬ、「鋼面皮」だった。リザベルの鋭利な視線を浴びても、
「…………」
アリアナは全く動じていなかった。それどころか、能面のような無表情を一切崩さず、真正面から見詰め返していた。
アリアナの反応は、リザベルにとっては意外、新鮮なものだった。
流石はアリアナ様。私(わたくし)を見詰め返せるなんて。
リザベルは心中で秘かにアリアナを称賛していた。その鋭利な視線に敬愛の念も込めていた。
しかし、当のアリアナはリザベルの想いには全く無関心だった。取り付く島も、にべも、何も無かった。
「早速ですが、用件をお伝えします」
アリアナは事務的に、淡々と、無感情な口調で、リザベルに「核兵器級の爆弾」を投下した。
「『デッカ殿下からの言伝』です」
「!!!」
デッカの言伝。リザベルとしては無視できない。全身全霊で聞き届けなければならない。もし、「用が有る」と言われたならば、全身全霊で実行しなければならない。その覚悟を、リザベルは一瞬で決めた。それを成し遂げる為、両手をアリアナの細い両肩に伸ばし掛けた。しかし、踏み止まった。
許嫁なればこそ、人前で無様は晒せません。
リザベルは直ぐ様両手を下ろして、それを後ろに回した。その上で、「全く興味有りませんことよ」と言わんばかりの渾身の平静を装った。
「あら、殿下から?」
「はい」
「まあ、珍しい」
「そうですね」
この場にデッカがいたならば、二人の「素っ気なさ」に中てられて涙目になっていただろう。そんな空虚で機械的な言葉の応酬は、それほど長くは続かなかった。
「それで、言伝の内容ですが」
「!」
アリアナは「余計な話は無用」とばかりに本題を切り出した。その言葉を聞いて、リザベルは直ぐ様口を噤んだ。
一瞬の間。その直後、朱に染まった学生寮の廊下に、冷水の如き美声が響き渡った。
「『話が有る。今日、午後一時、大学のカフェテラスに来て欲しい』とのことです」
「!」
デッカ様のお話。許嫁として、絶対に聞かねばなりません。ですが――
因みに「大学のカフェテラス」とは、大学構内の食堂、所謂「学食」に設けられた野外の食事スペースだ。王族が利用することは滅多に無い。しかし、リザベルの関心は「そこ」には向いていなかった。
「急な話――ですわね?」
「そうですね」
敢えて「本日中」と指定した意味を考えると、「急を要する用件」と想像が付いた。
一体、どんなお話なのでしょう? とても、とても気になりますわ。
リザベルとしては「具体的な内容」が知りたかった。知りたくて堪らなかった。その衝動に駆られて、アリアナに縋るような視線を向けた。すると、
「何か?」
アリアナから冷たい言葉と、それ以上に冷たい視線が返ってきた。それらを浴びた途端、リザベルの顔が凍り付いた。
絶対零度。普通の人間ならば、そのまま固まり続けていた。しかし、リザベルの耐久力は常人の領域を超えていた。
「いえ、分かりました。お伝え頂き感謝いたしますわ」
リザベルは丁寧な所作で頭を下げた。それに対してアリアナは無表情のまま、
「それでは」
踵を返してサッサと歩き去ってしまった。
実に素っ気ない。しかし、アリアナを知る者は、「彼女はそういう女性」と理解していた。
尤も、アリアナの性格を知らずとも、彼女の態度を気にする精神的余裕は、「今」のリザベルには全く無かった。
デッカ様、ああ、デッカ様。私に何のお話が有るのでしょう?
リザベルの頭、心、ありとあらゆる箇所が「デッカのお話」で一杯になっていた。
三話にして漸く現れたメインヒロイン。恋する乙女、リザベルに如何なる運命が待っているのか? デッカの話とは何か? その衝撃的な内容が、リザベルの心を打ちのめす。
次回、「第四話 俺のティンを握ってくれ」
オーティン大学学生食堂に、「愛」という名の嵐が来たり。