太宰京香という同級生のギャルとばったり遭遇したのは、夏コミのコスプレイベントだった。
この日は、真面目な学級委員長を演じて疲れた私のストレスを解放する為に、自分の好きなとびっきり可愛いキャラのコスプレをして演じたいと思ってやってきた。
普段の私である七川華織は、委員長として、クラスの模範的な生徒になろうと真面目に学校行事に取り組みクラスメイトの悩みを聞いている。
それはそれで楽しいけど、真面目でいようとすればするほど、どこか窮屈になってしまう自分がいた。だから、休みの日くらいは自由に趣味のコスプレをしている。
できれば、このままクラスメイトや知り合いに遭遇する事が無いよう願っていた。
でも、よりによって学校で対立している太宰京香と鉢合わせするなんて……。
「あ! 七川委員長ちゃんじゃん! ここでばったり会うなんて案外気が合いそうじゃね? てか、委員長ちゃんのフローディアコス、意外とセンスイイネ。私とオソロじゃん。意外と『フロき』好きなんだね」
私、七川華織は最大のピンチを迎えていた。
今の私のコスプレは、人気ラノベ作家東頭(とうとう)メイジの最新作『魔法少女フローディアによる弟子育成記録』、通称フロきに登場する主人公『魔法少女フローディア』。
彼女は、パステルピンクのドレスにリボンをあしらったツインテールの魔法少女。冷静な表情が魅力的で、そんな彼女のコスプレでストレス発散したかった。
太宰京香は、シャドークラフトという男らしい僧侶キャラのコスプレで、完成度の高さに驚かされた。
太宰京香の細身のスタイルや顔立ちも相まってか、アニメ版のシャドークラフトの 無精髭に長髪の喫煙者三十代男性を再現していてかっこいい。
どうメイクすれば、三十代イケオジの独特の色気を出せるのか気になる。
私はこれまでみたコスプレイヤーと比べると完成度の高い彼女の男装姿に思わず息を飲んだ。
「それにしても、すげー完成度のコスだね委員長ちゃん。いや、フローディア。ひょっとしてこれ手作りして再現したん? 市販のコス服よりも良い生地そうでハイクオリティって感じだしー」
あの娘に鉢合わせしたら内緒の楽しみをクラスの皆にバラされてしまう。
こ、ここはなんとか誤魔化さないと。
「な、何のことかな? うぬは俺様と誰かと勘違いしてないかにゃん?」
「あはは、委員長ちゃん。キャラがブレブレだよ。ガッコーのときも、コスプレのキャラも。ふふ、何か面白い事でもあったのかい? 委員長ちゃん」
私は思わず顔を真っ赤にしてコスプレ会場から逃げた。
やっばい。どうする私。こんなことしてしまって……あー。取り返しつかない。
うっかり者だと思っちゃいたけど、まさか私がここまでうっかりさんだったとは。自分で自分のフォローができない。
来週どんな顔をして学校に通えば良いんだろう……。
「いて! どこみて歩いて……って、かわいいねぇ」
私は思わず知らないオタクにぶつかってしまったようだ。
「ねぇ、ねぇ、ちょっとここのコラボカフェでお茶しない?」
お世辞にも高いとは言えないほどの再現度の某人気少年マンガキャラコスの二十代後半の小太りの男が、鼻息を荒くしてナンパしてきた。
「い、いえ、すみません。私急いでいるので」
「ほんのちょっとだけだから! ?」
「やめて! どっちの意味でも低クオリティで元のキャラの印象が汚れてしまう!」
「は? どういう意味だよ」
ヤバイ雰囲気で怖くなった。助けを呼びたくても周りはコスプレを楽しんでいる様子で誰も気づいていない。
「なーにやってんだよ。フローディア。全く、あの子たちの手本となる君がこんなところで立ち止まったらどうしょうもないだろ」
シャドークラフトの名台詞が聞こえたので後ろを振り返ると、太宰京香扮するシャドークラフトがいた。
その表情は、まるでアニメからそのまま出てきたかのように凛々しく、かっこいい。いつもはひょうひょうとした態度だけど、いざとなれば頼りになる彼そのものだ。彼女の声は低くて落ち着いた、男性に近い声だ。というか、どうやってイケオジの低い声だしたの?
あぁ、フローディア視点で見るとこんなにも頼もしい相棒なんだなと実感した。
「ここで警備員に通報されたくなかったら今すぐうちの連れから離れろ」
シャドークラフトのコスプレをした太宰京香の凄みに圧倒された偽主人公オタクは情けない悲鳴をあげて逃げていく。
「いやー危なかったねぇ、委員長ちゃん」
「あ、ありがとう。太宰さん」
「んー、気にしない気にしない! それよりも、これ落としてたよー」
太宰京香ははにかんだ笑顔で、私が作った魔法の杖を手渡した。どうやら、さっき彼女と出くわした時に落としたらしい。
というのが、先週起きた出来事だった。彼女が私のコスプレをしている事をみんなにバラしたのかと不安になっていた。でも登校してみると、そんなことはなかった。
いつもの日常で、誰も私にコスプレの件について話している人はいなかった。
「あー委員会ちゃん、おっは~」
いつものように、彼女は遅刻ギリギリで教室にやってきた。いつもなら、遅刻ギリギリに登校する彼女の事を注意するが、今はそれどころじゃない。
「おはようございます。太宰さん、一昨日は」
「いいのいいの、次から変なのには気ぃつけるこった。まぁ結果オーライってやつだよ」
私の心配とは裏腹に、太宰京香は笑顔で私の左肩をポンと叩く。
「ちょっと後でお話があるんだけど」
「あーしに用事? いいよー」
私は放課後、彼女を誰もいない自習室へ呼び出した。
「用事ってあれっしょ? この前のコスイベのやつだよねー」
いつものおちゃらけた表情で太宰京香は、私に問いかける。
「うん。貴方にお願いがあるんだけど」
「お願い? あーいいよ! 全然オッケー」
私が自分のコスプレの事を黙って欲しいという前に、彼女は了承してくれた。
「え、いいの? 私と貴方っていつも注意していたから、てっきり」
「いいの。まさか、委員会ちゃんもコス趣味だったのは意外だったよ。いやーまさか、こんな日が来るなんて。案外、あーしと相性合うかも」
いつもなら私が、何か注意すると「うっせーな」で睨んでいた彼女だったが、意気投合するなんて思わなかった。
「うん、同じコスプレの同志として、これからもよろしく」
「んー。じゃあ、二か月後の文化祭楽しみだね」
二ヵ月? あれ? どういうことなの。
「んー? なんか違う?」
太宰京香は拍子抜けした表情を浮かべる。
「え? いや、てっきり私のコスプレ趣味をクラスのみんなに秘密にしてくれると思って」
「なんだ、てっきり今度の文化祭のコスプレショーに参加するかと思ったよ」
「何それ、聞いていない」
「あー先週学級委員に出し物の申請で届いてないっけ?」
私たちは学級委員の生徒会室へ向かって、申請書を確認しに行った。私の確認ミスでちゃんと申請されていた。
「本当にごめんなさい」
私は彼女の事を疑っていた。これまでの彼女のルーズな言動があったから、出し忘れているだろうと思った。私は最期まで彼女の事を疑ってしまい恥ずかしいと思った。穴があったら入りたいくらい。
「まー、誰でも失敗あるよねー。前に何回か遅刻しちゃったり宿題出し忘れたりしたしー」
顔を真っ赤にして謝っている私の事を、彼女はあっさりと許した。こんな太宰京香のあっさりした返答にあっけにとられた。
京香は全く気にしていない。
自分の失敗や過ちを真剣に受け止めてしまう私とは正反対の彼女に、救われた気がした。
こんな風に、さらっと受け流せる性格が少しいつも羨ましいと思った。この子の明るさ、私も少し元気をもらった気がした。
「んじゃー、申請いいよねー」
「もちろん、先生に提出して申請させて頂きます」
「んじゃ、そのついでに頼み事なんだけど、あーしと一緒にコスプレショーに参加して?」
「うん! あ、でもどうしよう」
私はつい反射的に返事をしてしまった。
「どしたん?」
太宰京香はきょとんとした顔で私の瞳を見つめる。どうしよう、コスプレショーに参加したいんだけど、恥ずかしいと思っている。これまで私は一人で色んなコスプレ衣装を作っては匿名で、SNSで披露してきた。
……その中にはロリータファッションから布面積が小さい際どい衣装まで含まれているから、親やクラスメイトにはバレたくない。
だから、私はこのコスプレショーに参加したいけど、したくないのだ。
「もしかして、コスしてるとこみんなに知られたくないんかな? 多分ハズイやつもあるから」
私の心内を察した彼女は少し真剣な顔をして再び私の目を見る。そして、少し微笑んで言った。
「でも、華織ちゃんのコス、すんごいカッコイイよ。あんな完成度の高いコスプレ見せつけたら、みんなもビビるって。大丈夫、私が隣にいるからさ。楽しもう?」
私は下の名前で言われて嬉しかった。自分を丸ごと肯定してもらえた感じがして、胸の奥で大きく響いていた。
「華織ちゃんのコス、すんごいカッコイイよ」というその言葉に、今まで張り詰めていたものが、急にふっと緩むのを感じた。でも今、京香だけに見せてもいいかもしれない。そんな思いが心の中で進んでいる。
自分の事を肯定してくれた感じがして、私は思わず彼女に抱き着いて泣いていた。
抑え続けた感情が堰を切ったように溢れ出し、涙が止まらなかった。
「うん。よしよし華織ちゃん。がっこーもコスもよく頑張った」
太宰京香は私の頭を撫でて慰めてくれた。
「思いついたんだけど、委員長全員参加するのを伏せて、コスショーやってどうよ?」
三日後の放課後、空き教室で太宰京香に呼び出された。どうやら、彼女はクラスメイトにバレることなく私のコスプレのショーに参加する方法を考えてくれたみたいだ。
「でも、どうやるの? クラスメイトに顔見られたら絶対バレちゃうよ」
「そこは心配ご無用。委員長ちゃんには『超有名コスプレイヤー』として参加してもらうのさ。名前は伏せて参加して、誰もあんたがしてるとは思わないよー。 『顔を隠すキャラ』を選んでコスプレすればバッチリっしょ?」
「顔を隠すキャラ?」
「そ、例えば仮面をつけたキャラとかどう?」
なるほど、仮面キャラなら顔を隠せるし、クラスメイトにはバレないかもしれない。でも、そんな風に堂々とみんなの前に立つのは。
「ちょっと怖いかも……」
「じゃあ、委員長だとわからないほどにメイクしてコスしちゃえば? この前のイベントでチラッとみたかもしれないけど、あーしはメイクに自信があるから信じてさ 楽勝でコスショーに出られるよ!」
京香はそう言っている、自信満々にニヤリと笑った。 その表情に、なんだか不思議な安心感があった。確かに、最初にみた彼女のコスプレのクオリティならいけるかもしれない。
自分よりも二倍ほど年を取っている男性の色気をメイクと衣装だけで再現できる太宰京香ならいけるかも。
もしかしたら、自分の殻を破れるかもしれない――そんな気がしてきた。
「……ほんとに、バレずに参加できるの?」
「大丈夫だって! あーしが全面バックアップするからさ。思い切って楽しもうよ!」
私は、太宰京香の提案を受け入れてコスプレショーに参加することになった。
二日に一回、学校の空き教室やカフェなどで打合せをした。最初の時はどこか真面目でなきゃいけないみたいな意気込みがあったが、太宰京香の前向きな言葉と思い切りの良さもあって、段々と心の重りが剥がれて軽くなっていく。
「んー、最近委員長ちゃんの表情柔らかくなったよねー」
「そうかなぁ」
ファミレスでお揃いのいちごパフェを食べて休憩をしていたら、太宰京香が呟いた。
「前は、あーしなきゃとか、こーでなきゃいけないって義務感に満ち溢れていたけど、今は息抜きの仕方を覚えたって感じー?」
「ふふ、そうかもー」
私は、パフェに乗っかっているアイスを食べながら微笑む。
前は学校もコスプレも、どこか義務感でやっている部分はあった。
「今はきょーかと話しながら衣装作るの楽しいーよー」
「あはは、そうこなくっちゃ。それよりも、いよいよ明日が本番だね!」
彼女は美味しそうに大きな口を開けていちごを頬張る。
あっという間にこの日がやってきた。私たちの高校で文化祭のコスプレショーが目前に迫っていた。
私たちはこの日の為に、一緒にコスプレショーのカリキュラムの打合せをした。
今回の文化祭のコスプレショーは、フロきのコスプレ衣装へ着替えて社交ダンスをする。
私はフローディアの弟子の中級魔法使いの少女ファルシュ。太宰京香は、シャドークラフトの弟子で双剣使いの戦士シュラム。それぞれコスプレをして第十五話の王子の護衛をしながら舞踏会で社交ダンスするシーンを再現する。このシーンは、師匠であるフローディアとシャドークラフトがナハト王の裏切者と対峙しながらも、二人の恋愛を応援するというファンにとっても熱い名場面だ。
お互いに無自覚の恋心を持ちつつも、社交ダンスを通じて心を通わすシーンを、学校の文化祭で演じるなんて夢にも思わなかった。原作ファンである私たち二人にとっても、大切なイベントになるだろう。あぁ、緊張する。
「だーいじょーぶ。うちら頑張ったじゃん! 特にナナっちはコスプレ衣装作るのこんなに頑張っているしさ。努力は裏切らないって」
きょーかはパフェのスプーンを皿に置いて、私の席の隣にある鞄を指さした。中身は、この日のために作った私たちの努力の結晶がつまっていた。
私ときょーかの二人分の衣装を作るために、百均や大手の生地屋さん、ネット通販を駆け巡って生地を購入したり、彼女が持っているフロきの設定資料を参考に縫い合わせたりした。キャラの武器はホームセンターで買った材料で作ったときに知ったけど、DIYが得意な彼女のおかげできれいに仕上げることができた。私が小道具を作ろうとするとどこか寸法が狂ってしまうから羨ましいよ。
「いやいや、裁縫苦手なあーしからすると凄いことだよ」
「そうかな」
彼女は私があげた衣装を取り出し、縫い目を指さした。
「あーしがやると、どこか縫い目がほつれたりゆがんだりして汚くなるからてきとーにごまかすけど、ナナっちだとミシンの縫い目がまっすぐでキレイだよ。商品としても出せるレベルだって」
「ふふ、私たちって意外といいコンビかもね」
「そーかもね! 今後ともよろしくね」
「うん! こちらこそよろしく」
私たちは笑顔でハイタッチした。
彼女みたいな子と一緒に趣味を共有して、泣いたり笑ったりする喜びを知れて本当に良かった。
「そういえば、明日のコスプレショーに参加するって、誰か聞いた?」
突然、ファミレスの中でクラスメイトの二人組の女子の声が耳に入った。
「なんか、超有名なコスプレイヤーが来るって噂だけどさ……実は、委員長じゃないかって有名だよね」
え? なんでそんな噂流れているの?
私は思わず声のする方へ顔を向けると、二人組の女子生徒がファミレスのドリンクバーでたむろしていた。
「スペシャルゲストは委員長説って有名だよねー。ええー。委員長って真面目なのに、なんでそんな噂出てるの?」
「ほんとそれ。でもさ、たまにお茶目なところもあるよね? この前、智子とコスプレの話をしてたら目を輝かせて話に入ろうとしてきたの。本人否定してたけど、委員長の手に持っていた本がコスプレ雑誌だったの。興味あるのバレバレだったよ」
うわぁぁぁぁぁぁぁ。恥ずかしい!
完璧に隠したつもりなのに、きょーかの他にもバレていたの? 信じられない自分のミスに対してあんぐりとした。まさか私がここまでおまぬけだったとは。もう、フォローなんてできないじゃん。
「えー、意外! 委員長って、見た目はすごく真面目だけど、実はそういうギャップがあったりするのかもね」
「うん、だよねー。でも、なんかそういうとこも含めて、委員長ってみんなに好かれてる感じするわ」
「変に目立つわけじゃないけど、いつも頼りになるしさ。素直でウソがつけないところも可愛いよね」
「わかる、わかる。でも、それをあえて口に出すのは野暮でしょ? あれで秘密にしているけど……。まぁ、黙っとこ」
彼女たちの配慮はとってもうれしい。でもなんか、こう恥ずかしくて私は両手で顔を覆ってじたばたする。
もはや、私の預かり知れない所で私のコスプレ趣味が公然の秘密になっている……。
その優しさ嬉しいんだけど、もうコスプレ趣味隠す意味ないじゃん! これまでの自分の趣味を隠す努力が何だったのかと落胆した。
「だね! 何にせよ、明日は楽しみだね!」
二人組のクラスメイトは、ドリンクバーにドリンクを入れ終えて自分たちの席に戻る。
「あー、いやー。本人にバレちゃったか」
「知ってたの! いつ?」
「この際言うけど、あのコスイベ前から私知ってたよ。前の前のコスイベで偶然みたし」
太宰京香はバツの悪い顔をして頭をポリポリ搔いている。
「実は、最初はうるさくあんたが注意してうざったいと思ってた。でも、委員長ちゃんの真っ直ぐで優しい人柄とコスの趣味を知ってから陰ながら応援してたよ。でもそれでみんなが失望したり変な目で見たりしないよ。だって、みんなナナっちの事好きだから」
「そうなんだ」
きょーかを始めとするクラスメイトの優しさを知った私は、学級委員長をやってよかったと思った。学級委員長の七川華織という表面的な部分だけ見ているんじゃなく、私個人をみんなが尊重してちゃんと見てくれたことに温かみを感じた。
「だからさ、これを機に自分の殻を破ってみたら?」
私の最高の相棒はポンと頭を優しく撫でる。
「うん……。うん!」
私の頬に熱いものが流れる。
翌日の文化祭。私は忘れ物がないかを確認してきょーかのいる空き教室に向かうと、既に彼女は衣装を着替え終えていた。
シックな紺色の衣装には、襟元と袖に金銀のエングレービングが施されており、腰にはドラゴンの紋章の輝く双剣が携えている。
メイクは、目元は少し影を落とすように仕上げ、彫りを深く見つつ、眉は部分自然な形に留めた。リキッドファンデーションで軽く整え、透明感を残したまま。 チークは控えめに、色の血良さを演出していた。十代の垢抜けない整った少年が、背を伸ばして異性と接する感じをうまく表現している。
改めてみると、自分の作った衣装ときょーかが作った武器とメイクがマッチしていてまるで原作アニメの中にいるような錯覚を持つ。
「じゃあ、メイク始めよっか!」
太宰京香が手に取ったのは、メイクボックス。開くと、中にはチークや口紅だけじゃなく、たくさんのアイテムが詰まっている。普段の私のコスプレ用のメイクセットより、はるかに種類が多い。
「え、こんなに使うの? コスプレメイクって普通のメイクと違うんだね……」
「そりゃそうだよ! コスプレはキャラになりきるのが大事なんだから、顔の印象も変えなきゃ! まずは、化粧下地を塗って、ベースを作るよ。これで肌のトーンを均一にして、メイクのノリが良くなるんだ」
太宰京香は、真剣な目で私の顔にメイクを施し、ウィッグを被せる。
京香は手際よく、私の頬に化粧下地を塗り始めた。ひんやりとした感触が心地良い。
「次はファンデーションね。厚めに塗ると、舞台でも映えるから。」
彼女はリキッドファンデーションをスポンジで広げ、丁寧に肌に叩き込む。鏡を見ると、普段の自分より肌が滑らかでツヤツヤに見えた。
「うわ、すごい……」
「まだまだこれから」
いつもは明るくて前向きな彼女とはうって変わって、真剣そのものの表情で淡々とメイクの続きに取り掛かる。
コンシーラー、アイシャドウ、にシェーディングと次々と道具を駆使して変身していく。最後の仕上げとして、私の唇にリップグロスを塗ってくれた。唇にツヤが出て、表情がさらに引き締まった。
コスプレに対する真剣さが伝わりこちらも気持ちが引き締まる。
「おし、メイク終わり! 鏡を見てみようか」
普段のきょーかの表情に戻り、手鏡を私に渡した。鏡を見ると七川華織の姿はなかった。
代わりにファルシュがいた。ふんわりとした金髪長髪ロングにサイド編み込みのゆるっとまとめ髪スタイルに、黄金のレンゲソウの髪留めが輝いている。服装は、原作に合わせた金色のエングレービングが施された純白のドレスに、腰に携帯用の小型の杖を忍ばせている。彼女のメイク技術に改めて惚れ惚れする。
「そろそろ時間だから一緒にいこっか」
私たちは、舞台裏に向かう。
舞台裏に控えた私は、喉がカラカラに乾いていた。今更になって足が怖くてすくんでいた。いつもなら趣味でコスプレイベントに参加して楽しんでいたが、あの二人のクラスメイトみたく、あたたかく見守ってくれる人がいるのか気になった。みんながそうじゃなかったら……。
舞台裏には、様々なコスプレをしたクラスメイトが緊張した顔で自分の出番を待っている。各々のクオリティは高く、出来ればみんなに声をかけて話したかった。
「もしかして、京香ちゃんとスペシャルゲストさんですか?」
声をかけてくれたスタッフはなんと、昨日会った二人組のクラスメイトだった。
「そだよー」
きょーかは私の代わりに答えると、ふたりは驚いた顔でこちらを見る。
「すごいクオリティのコスですね!」
「ふふん、あたしと彼女がコンビ組んだからね! ねー?」
「うん、そうだね! きょーか」
もう、バレてもいいやと思い素の自分で返事をすると、二人は微笑ましい笑みを浮かべる。
「ふふ、ゆっくり見たかったけど、そろそろお時間ですので、こちらへ」
「委員長、京香頑張ってね!」
私は誘導された方へ向かい、ステージに出た瞬間、スポットライトが私たちを照らし、客席の目線が集まった。
「せっかく、俺たち練習したんだからさっさと踊ろうぜ」
きょーかは私の顔を見ず、ぶっきらぼうの少年の声で手を差し出す。これは原作版のセリフだ。
「少しは私の顔を見て言ってよ。シュラム」
私は背筋を伸ばし、ファルシュとしての役割を徹することに決めた。 京香も完璧なシュラムとして、クールに構えた。
舞台に上がり、私たちはライトを浴びながら優雅にワルツを踊り始めた。ゆったりとした三拍子に乗せて、彼女が私をリードする。彼女の手は温かく、私を導く動きは自然で、ステージの上で踊ることに少しずつ緊張が解けていった。
京香は見事にシュラムの双剣使いとしての堂々たる姿を演じている。私はファルシュの気品ある魔法使いの役に徹しようと、彼女に一歩遅れないようにしっかりとステップを踏む。
観客の視線が私たちに集中していることがわかる。シーンは、二人が舞踏会で心を通わせる名場面。私はその美しさに酔いしれ、足元の重いドレスの裾にも慣れてきたかのように感じた。
だが、その瞬間――。
ドレスの裾に足を取られ、体が前のめりに傾いた。
「きゃ……!」
彼女は咄嗟に、転びそうな私の体を引き寄せた。瞬時にその場の空気を変えるように動き出す。今までの滑らかなワルツのリズムから、原作にはない鋭い動きへと変わっていった。彼女が一歩前に強く踏み出し、私の体を彼女の方へ引き寄せ、ダンスのテンポが一気に速まる。
「こっからアドリブだから、ついてきて」
京香の囁きに、私もその緊張感とリズムに飲み込まれた。
私たちは互いに体を寄せ合い、タンゴの独特のステップを刻んでいく。観客たちが息を呑む気配が伝わってくる。リズムは短く、シャープな動きに変わり、二人の間には今までにない緊張感が漂っていた。
鋭くステップを踏むたびに、彼女の瞳が私を捉え、息が合っていることがわかった。彼女は笑みを浮かべ、次の動きを導くように私の手を強く握る。お互いの感情が高まるようなタンゴのステップに、私は徐々に自信を取り戻していった。
そして、京香は一瞬の間をつくり、再び踊りのスタイルを変えた。今度は、彼女が 私の周りを大きく回りながら、体を反転させる。まるで闘牛士のような勢いと優雅さを持つパソドブレだ。
私はドレスを振り払って一歩前に踏み出す。強さと情熱を感じさせる力強いダンスに、舞台上はまるで戦場にいるかのような緊張感に包まれていた。観客はその劇的な変化に目を奪われ、舞台は熱気に満ちていく。パソドブレの勇壮なリズムの中で、私たちは完全に一つになっていた。
その瞬間、私たちが舞台の中心にたどり着き、フィナーレを迎えた。
息を整えながら、私と京香はお互いに微笑み合った。観客は拍手喝采を送り、舞台の照明が静かに私たちを包み込んだ。
「すごい……」「あれって、本当に委員長?」観客のざわつきが聞こえるが、不思議と怖くはなかった。
「七川委員長だーっ」「かわいいっ!」「似合ってるー」
私が隠し続けてきたコスプレ趣味は、意外にもあっさりと受け入れられた。
「みんな、ありがとう!」
声が自然に出ていた。京香も「これで気にしなくて済むね」と、満足そうに微笑んだ。
これからはもっと自由に、自分らしく過ごしていける。
新たな一歩を踏み出す勇気が、私の中にしっかりと根付いていた。