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死者を“花”として葬る国
死者を“花”として葬る国
裃左右
文芸・その他童話
2025年03月21日
公開日
5,442字
完結済
この国では、死者は花に変わり、遺された者たちの祈りを受け止める。
主人公の少女・想花(そうか)は、一週間前に母親を失い、深い悲しみに沈んでいた。母親は通勤途中に事故で亡くなり、想花が病院に駆けつけた時には、すでに赤い花となって「壊れた時計塔」に飾られていた。想花は、母親との最後の日々に後悔を抱え、喧嘩別れしたまま「いってらっしゃい」を言えなかったことを悔やんでいた。
青い蝶。彼らは生きた人間の「負の感情」を食べ、前向きに生きられるように導く存在だ。しかし、想花は自分の悲しみを奪われることに抵抗し、蝶を振り払い続けた。彼女は、母親への想いを忘れたくないと願う。

※主題小説コン葬華参加:テーマ『葬華イラスト』

死者を“花”として葬る国

 あたしがおかあさんの赤い花を見上げていると、霧の中から青い蝶がひらりと現れた。


 深い霧が立ち込めるこの国では、死んだ人は花になる。


 花は死者の証となり、遺された者たちの祈りを受け止める。色とりどりの花は、かつて生きていた人々の記憶を宿し、香りや色が思い出を繋ぎとめる。 

 儚げに風に揺れるたびに、その生涯を物語るのだ。


 なかでも、この国の中央にそびえ立つ、『壊れた時計塔』は特別な場所だった。

 塔の時計は何十年も前に止まり、時を刻むことをやめている。だが、この塔には色褪せない花々が献花として捧げられていた。


 『壊れた時計塔』の内部は、時間が止まった空間であるがゆえに、そこに供えられた花は永遠にその美しさを保ち続ける。人々は、失った大切な人の花をここに捧げ、過ぎ去った日々を偲んだ。


 その花を偲ぶ人々の合間を縫うように、ひらりひらりと青い蝶が舞う。


 生きた人間の抱える“負の感情”を食べる生き物。

 青い蝶は悲しむ人々の肩にそっと止まり、弱った心に触れると羽を震わせる。


 悲しみや苦しみ、あるいは後悔や怒りといった、胸の奥底に渦巻く感情を糧にするのだ。

 言い伝えでは、青い蝶は止まった時間を慰めるために生まれたって言うけど、本当かどうかは誰も知らない。


 花を捧げる者たちは、止まった時間の中で愛する人を忘れたくないんだろう。

 塔の周囲には蝶も多く集まる。悲しみをたたえた人間が訪れる場所に、蝶が寄り添うのは必然だった。

 花ではなく、花に悲しみを捧げる人間にこそ、彼らは寄り添う。


 あたしはそれが嫌だった。

 近づいてくる蝶を、必死に振り払う。


「やめてよ! あたしの悲しみを奪わないでっ!」


 一週間前に、おかあさんを失ったあたしは、この蝶たちにまとわりつかれるようになった。


 何度振り払っても、ついてくる蝶。油断すれば、少しずつおかあさんへの気持ちが消えていった。


 喧嘩して、「いってらっしゃい」が言えなかった。

 友達と一緒に旅行に行きたいって、お願いしたのにぜんぜん聞いてもらえなかったから、何日も口をきいてあげなかった。お弁当も作ってくれたのに、食べてあげなかった。

 そのうち、おかあさんの方から音を上げるだろうって。


 なんで、あたしはあんなことをしたんだろう。

 おかあさんは通勤途中に車に轢かれて、あたしが病院に駆けつけた時には花になっていた。


 そんな苦しみがどんどん薄れていく。

 おかあさんは、綺麗な赤い花になって『壊れた時計塔』に飾られた。


 壁に飾られた淡い花々に、一輪だけある赤い花。

 どこにあってもすぐにわかる。ああ、おかあさんの言った通りだった。


「いい、想花ソウカ。 大切な人の花はね、鮮やかに綺麗に見えるのよ」

「そうなの?」

「そうよー。おかあさんもね、自分の両親、おじいちゃんとおばあちゃんの花はすっごく綺麗に見えるんだから」

「あたしにはわかんないなー」

「ふふ、あなたが物心つく前に死んじゃったものねえ。残念ねえ」


 いつかのおかあさんとの会話が頭の中で、反芻された。じわっと涙が浮かんだけれど、青い蝶が寄り添おうとしたので手で払った。

 叩き潰そうとしたがそこまでしようとすると、すり抜けて殺せない。


 すると、おにいちゃんがぴしゃりと言った。


「やめろって、想花」


 おにいちゃんに当たっても仕方ないのは、わかってる。それでも、あたしは許せなかった。


「だって、おにいちゃん! こいつら、あたしの気持ちを勝手に奪おうと」

「こいつらは、俺たちを前向きにしてくれるんだよ。きちんと生きられるようにってな」

「でも、あたしはッ」


 思わず叫ぼうとしたら、優しく頭を撫でられた。温かかった。


「いいから、自分を責めるのは止めろって。かあさんだって、そんなこと望んでないから」


 おにいちゃんは、あたしにそう言ってくれたけど、自分自身を許すことなんて出来なかった。

 あたしの身勝手さが、おかあさんを傷つけて、きっと苦しめた。悲しい顔をさせてたのはわかってたのに。


 もっと、この胸の痛みを長く抱えていたい。

 そう思って家の中に引きこもったけれど、いつのまにか青い蝶たちはあたしの傍にいて、どんどん気持ちを前向きにしようとする。


 耐えられなかった。すぐに、この罪悪感すらなくなってしまった。

 普通に学校に行けるようになり、友だちとも笑って話せるようになった。おかあさんがいない喪失感がぽっかりとはあるけれど、おにいちゃんと支え合って生活できた。


 「本当は、あたし旅行行きたかったな」なんて話せるようになった。でも、こんなのおかしい。


 だから、とうとうあたしは、ある夜にひっそりと『壊れた時計塔』に忍び込んだ。


 この胸には、一つの願いがあった。


「あたしは失った人を、本当に失いたくない」


 死んで花となったおかあさんを、ただ見つめているだけじゃ、思い出が遠のいていく。

 なんとかして、あの時の胸の痛みを取り戻したい。


 だからこそ、禁じられた行為だと知りながら、その花を――思い出の象徴そのものを――食べることで、深く自分の中に刻み込もうとした。


 古びた扉を開けると、月明かりに照らされる塔の中は静寂に包まれていた。


 壁には巨大な時計の歯車が絡みつき、埃をかぶっている。

 窓から差し込む弱々しい光が、無数の花々をぼんやりと照らしていた。淡い色の花たちが、時が止まった世界で咲き誇っている。

 かぐわしくも優しい香りが、こんな罪深いことをしているあたしに親身になろうとしているかのようだった。


 あたしは時計塔の階段を駆け上がっていく。

 おかあさんの花は、もっと上の階だった。


「おかあさん、待っててね」


 息を切らしながら駆ける。そわそわして落ち着かなかった。

 はやく、もっとはやく。気が急いていた。


 おかあさんの花はすぐに見つかった。本当にこの月明かりの中ですら、鮮烈に映えている。


 近寄ると、震える手でそっと茎を摘みとる。掌に包まれた花びらは、どこか温かいような気がした。


「……おかあさんの温もりだ」


 錯覚かもしれないけれど、同じ温もりだとそう思った。

 あたしは覚悟を決め、花を口に運ぶ。じわりとした苦みとともに、甘やかな香りが口いっぱいに広がる。まるで亡き人の思い出が、舌先から血に溶け込んでいくようで、胸が痛いほど締めつけられた。


 堰を切ったように色んな感情が押し寄せてきた。喜び、悲しみ、愛しさ、後悔…様々な感情が渦巻き、胸を締め付ける。花が宿していた記憶が、洪水みたいにそのまま流れ込んでくる。


「ああ、おかあさん。こんなにたくさんの感情をしまっておいてくれたんだね。あたしのこと、こんなに思ってくれてたんだ」


 涙があふれてきた。おかあさんが抱きしめてくれているみたいだ。

 言葉では語り合えなかったけれど、今、あたしたちは心と心を交わしていた。


 そのとき、溢れ出す負の感情に引き寄せられるように、どこからともなく蝶が舞い始める。闇夜に浮かぶその姿は美しくもどこか儚い。


 あたしの胸からあふれる悲しみ、切なさ、どうしようもない後悔――そうした“負の感情”を感じ取った蝶が、一斉に集まってきた。


 あまりの光景に、思わず身体が震えるのを感じる。


「来ないで……」


 心の中で叫ぶが、しかし、蝶たちは無慈悲だった。彼らは、あたしが前に進むために必要なのだとでもいうように、切なさも悲しみも、容赦なく奪い去っていく。


「時間が止まってしまえばいいのに、このまま胸の痛みを奪い去らないで」


 あたしはそう願う。この苦しみと思い出とともに生きたい。この痛みすら、忘れたくない。


 けれど、蝶は容赦なく負の感情を吸い尽くした。

 喪失の哀しみも、胸の奥の鋭い痛みも、次第に薄れていく。たしかに楽にはなる。だが、同時に心にぽっかりと穴が空いたような虚しさが広がっていく。


 流れていた涙すら、次の瞬間には消え失せる。ほんの一滴だけ頬を濡らし、床に落ちたしずくが、確かな悲しみの痕跡として残った。


 カーン、カーン、と壊れたはずの時計塔が、突如として鐘を鳴らした。


 何十年も止まっていた針が、わずかに動く音がする。あたしははっと顔を上げた。暗闇の中、月の光が照らす歯車がゆっくりと回り始めているのが見えた。


「ウソ、動いてる……」


 あたしは瞳を見開いたまま呟く。

 かつての深い喪失感は、蝶たちによって取り去られ、胸を突くような痛みは形を失っている。だが、何も感じられなくなったわけではない。そこには小さな違和感と、わずかに灯る炎が残っていた。


 『壊れた時計塔』は、「さあ、早く出ていけ」と言わんばかりに鐘を鳴らし続ける。


「もう、あたし涙も出ないんだね」


 階段を下りて、時計塔の扉を開く。

 夜風が吹き込み、髪を揺らす。あたしは花を食べてしまった罪悪感と、忘れてしまった切なさの狭間に立ちながら、前を見つめた。


「もう戻れない。あたしは……進むしかないんだ」


 わずかに花の欠片が口の中に残っているが、もう何も伝えてくれない。

 唇を軽く噛む。忘れたくなかったはずの痛みや悲しみは、少しでも形を変えて心の奥底に沈んでいるだろうか。


 あたしが『壊れた時計塔』を出ると、そこには待ち人がいた。


「え、おにいちゃん?」

「よう。ちゃんと用事は終わったのか」


 え、どうしてここに? あたしは驚いて声が出なかった。


「なんだよ、その顔。こんな時間に、大事な妹をひとりで外に出せるわけないだろ。つか、補導されたらどうすんだっての」

「そんなの……まさか、バレてたの?」

「当たり前だろ。何年、お前の兄貴してるとおもってんだ。こちとら、お前が生まれた頃からずっとやってんだっつの」


 額をデコピンで小突かれる。痛くて呻いてしまった。


「う~。なにすんのさ、おにいちゃん」

「俺を出し抜こうなんざ、10年早いっての。この未成年」


 よくわからないけれど、全部お見通しだったらしい。

 ということは、あたしがおかあさんの花に何をしたかもバレてしまっているんだろうか。いや、それでも謝らなきゃならない。

 あたしの勝手で、おかあさんの花をダメにしちゃったんだから。


「あのね、おにいちゃん。あたし」

「良いって。……なんも言うな」


 わしゃわしゃと髪をぐちゃぐちゃにされる。女の子の頭を雑に扱うな、セットもしてるんだぞ。と、いつもならブチ切れているところだけど、負い目があるので何も言えない。


「……ちゃんと謝らせてよ」

「いいんだよ、一言くらい相談してほしかったけど。かあさんも怒らねえだろ、たぶん」


 なんで、そんなことが言えるんだろう。あたしはすごい勝手なことをしたのに。

 もし、立場が逆だったら、あたしは怒っちゃうと思う。


「はあ。ちょっと思い出せって。お前と喧嘩してた時、かあさんの周りに青い蝶いたか?」

「うー、そんなにいなかったと思う」

「だろ。弁当食わなかったのは、かあさんマジで怒ってたけど。……仲直りタイミングとか考えてたと思うぜ、お前もそうだろ」

「……ま、まあ、そうだった気もするけど」


 正直、あたしはムキになってて、実際に怒ってるかどうかよりも、素直になれないの方が強かった気がする。ポーズとして、そういう態度だったと言うか。


「たぶんな。かあさん、お前が元気になってくれるなら、きっとなんでもしたと思うから。だから、これでいいんじゃねえの」


 おにいちゃんはそう言って笑ったけど、その目には一瞬だけおかあさんを失った寂しさがよぎった。


「……無理、してない?」

「俺達が喧嘩したら、お前が一人になっちゃうだろ。かあさんが死んだ時、俺はお前を一人にしないって決めたんだ」


 こんな風に言ってくれるおにいちゃんは、すごいと思った。

 おにいちゃんだって、死を受け止める時に色んな葛藤があっただろうに。自分より頑張ってる人がいることに気付いたら、なんだかもう何も言えなくなっちゃう。


 そうだよね、あたしの代わりにおにいちゃんは色んなことしてくれてたよね。


「ああ、そう言えば。ねえ、おにいちゃん。おにいちゃんは鐘の音、聞こえる?」

「は? ……いや、何にも聞こえねえけど。なんだ、鐘の音って」


 不思議そうな顔をされて、あたしは力なく笑った。


「そっか。ううん、なんでもないんだ」


 この音は、あたしにしか聞こえないらしい。

 あたしは、おにいちゃんの手を握った。ちょっとぎこちなく戸惑うおにいちゃんだけど、拒絶はされなかった。


「なんだ、珍しい奴だな」

「たまには、あたしにだって甘えたいときくらいあるんですぅ~」

「はいはい。お好きにどうぞ、想花さま」

「わーい、おにいちゃん大好き。あ、帰ったら夜食が食べたいから作って」

「かーっ、なんて都合のいいやつだっ!」


 鐘の音が遠ざかるなか、青い蝶は静かに飛び去っていく。

 見上げれば、『壊れた時計塔』の針は、確かに止まったままだ。塔の窓から見える色褪せない花々は月明かりの下、切なげに揺れた。


 あたしたちの足取りだけが、確かに未来へ向かって歩み出す。


 もう涙は流せないし、かつて胸を締めつけた痛みはもう思い出せない。それでも、時間が動き出した以上、あたしは生きるしかない。


 でも、またいつか花を抱えて、再びここに訪れるかもしれない。そんな喪失の瞬間が、あたしは怖い。

 別の愛しい誰かの記憶を、花として弔う日が来たとして。あたしはその時、きちんと受け入れられるだろうか。今度は、きちんと忘れることと向き合えるだろうか。


「ねえ、おにいちゃん」

「はあ、なんだよ」

「あたしより、先に死んじゃやだよ」

「難しいこと言うんじゃねえよ。……はあ、俺だって想花を見送りたくないっての」

「はは、そりゃそうか。……うん、そうだよね」


 それはわからないけれど、今この手にある温もりを大切にしなくちゃいけないって思うんだ。

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